ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女 (2005)
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退屈、それに伴い苦痛
2006/03/28
by
樒
※あくまでこれは私の個人的な感想です。そしてネタバレの嵐です。まだ見ていない方、この映画が大好きな方は迂回したほうが良いと思われます。
この映画において、私が主人公たちに共感できるものは何もありませんでした。
この映画はファンタジーの中に、家族愛というテーマを強く含んでいたように感じます。ナルニアの世界を通じて兄弟姉妹の絆を深めていく……。感動された方も多いと思いますが、残念ながら私にはここで描かれている家族の愛が理解できませんでした。
次男は、悪い魔女に利用された事に気づいた後も、兄姉妹の命を狙う魔女に有利な情報を与えました。そして自分の家族を殺そうとしている相手に怯えてばかりです。本当に家族の身を心配しているんだろうか、と疑問になります。
兄弟喜びの再会も、この時点で長男と次男に思い入れがないため、他人事のように傍観していました。しかも心理描写が無駄に長く、ダラダラした雰囲気が退屈でした。もうすぐ戦争が始まるというのに、全く緊張感なし。
そして私がイライラ最高潮になったのはアスランが死んだシーン。
ナルニアの王・アスランの死を好機に、魔女が戦争を仕掛けようと準備している。そんな大事な時に、アスランの元を離れがたかった姉妹は、重要な情報を他者に託し、そのままアスランを枕に…居眠り!?
私には信じられません。自分の兄弟が戦争で傷つかもしれない。死ぬかもしれない。それが何の不思議もなく現実に起こりうるということが、本当にわかっているの、この人たちは?
この状況を深刻に感じていないんじゃないかと思いました。
この子たちには、家族を失う覚悟も、死ぬ覚悟も、大好きな母親に会えなくなるかもしれない覚悟も、現実世界を捨てる覚悟も、ないんじゃない?
だって私なら、戦う家族が心配で心配で、早く駆けつけてあげたいと思う。いつの間にかうっかり寝てたわ、なんてできない。私は長女なので、彼らと自分を置き換えて見てしまう。
だから主人公たちの行動を見ていると、どうしても表面だけの薄っぺらい家族に思えて仕方ありませんでした。
そして募る4人への不満……。
まず全体を通して、姉妹は泣いてばかりだった気がします。何か悲しいことがあればメソメソ泣いていた。確かに優しい人は、他人の苦しみを悲しみ、涙を流すと思う。けど悲しいからって泣いてばかりいる人を、私は単に『優しさ』でくくりたくない。もはや世界観に入っていけず他人事の私には、彼女たちが泣けば泣くほど、うんざりしてしまいました。
そして全く活躍しなかった戦争場面。サンタからもらった弓も短剣も意味のないものに…。弓はあって良かったな程度の使用率。
魔法を使わない魔女に、素人にしては巧みな剣技の長男。兵力の多さとスケールの大きさには盛り上がったんだけど、この2人の対決は何か物足りなかったです。
兄弟の危機にようやく、姉妹が(まさに)寝る間も惜しんで連れてきた援軍が到着。けれど到着と同時にアスランが魔女を殺してしまったため、そのありがたみは薄いものに。一瞬「あれ?アスランだけでも勝てたんじゃないコレ?」的な考えが脳裏をよぎります。
戦争終わってから仲間に薬飲ませるのなら誰にだってできるよ…とツッコミつつ、嬉しそうに微笑む末っ子に少し違和感。だってこの薬、死んでる人には効かないんですよね?なぜ笑えるの?まるでこの話が『誰も死なない』ことを、主人公たちが初めから知ってるんじゃないかと思うほどの緊張感のなさ。
ナルニアを救うのは、あの4人ではならなかったのではなく。
2人のアダムの息子と、2人のイヴの娘でなければならなかった。んじゃないの?
どう見ても活躍の浅かった主人公たちに、『この4人が選ばれた』というよりは……ナルニアを初めて訪れた人間が、たまたま予言に符合する家族構成だったという、信じられないほど確率低い『有り得ない説明』の方が、私はまだ素直に信じられるなぁ。と思うところです。
やはりあの、いつの間にか寝てたシーンが大ダメージでした。
みなさん何も触れていないところをみると、すんなり受け入れられたみたいですね。
でも家族派の私にとっては、彼女たちの行動が理解不能で許せなかったわけです。長々と失礼しました!
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Re: 退屈、それに伴い苦痛
2006/03/28 by
パーまん原作者のルイスは小説家と言うより宗教学者であったので、この作品では物語の整合性よりも聖書との対比が重んじられています。ですから、
> やはりあの、いつの間にか寝てたシーンが大ダメージでした。
あのシーンは、犠牲となったイエスと、夜が明け彼の復活を知る乙女たちを意識して描写されたものであるため、あそこですぐさま「いざ合戦へ」という訳にはいかなかったのです。
というような話をどこかで聞きましたが。。。クリスチャンでもないのに映画だけで分かるわけないです(笑)。 -
Re: 退屈、それに伴い苦痛
2006/04/15 by
ニキパーまんさんのおっしゃるとおり、あの物語の基礎には「イエス・キリストの贖い」が大きく横たわっています。よって、クリスチャンでない人やキリスト教の概念を理解していない人が見れば、ただのボンクラな映画に見えてしまうのは仕方ないことかもしれません。
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返信ありがとうございます!
2006/04/17 by
樒原作者が神学者であることは、映画を見る以前にちらっと小耳に挟んではいたのですが…。
聖書をファンタジーに置き換えるという発想は素晴らしいですよね。
誰も思いつかないし、想像力ないと書けない。
けれど、ひとつひとつのシーンに聖書的な意味があるんだと納得しても、やはりあの『家族愛』には抵抗を感じました。
私の中で、あのアスラン(キリスト)がいれば大丈夫!みたいな緊張感のなさが、本当に心配してるの?という疑念に。
血は水よりも濃い派なので、聖書だろうが何だろうが、この行動おかしいよ!とつっ込まずにはいられなかったわけです。
予告を見て、子供が知恵と勇気と武器を手に魔女と戦う、ワクワク冒険ファンタジー(なんじゃそりゃ)みたいなのを期待してたので、さらに落ち込みました。
主人公の誰かに感情移入できていたら、きっと感動もしたんでしょうねσ(^_^;) -
いつの間にか寝てたシーン
2006/04/23 by
ジャン・ルークについては、個人的には、観ていてまったく気になりませんでした。
「気にならなかった」ことを分析するのは難しいのですが、それはたぶん、自分の中で
「彼女たちは、アスランのそばで夜通し泣いていたのだろう。子供が思い切り泣いた後で自然に眠ってしまうのは、ありうることだ。」
という解釈が無意識に働いたためだろうと思います。
> ※あくまでこれは私の個人的な感想です。 -
騎士たるもの
2006/04/23 by
‥ぱど第二次世界大戦の頃ですよね。
当時の戦争観から言えば、女性が戦場に来てもらっても、たとえでそれで勝てるとしても、どこかに逃がすのが男でしょう。
でなければ、仲間の士気が下がる。
その上、子供です。
そう、女性は守るものなのです。
圧倒的な戦力差の中でも、誇りを捨てるわけにはいかない。
疎開させたのも、そういう事情も含んでいる。
戦いたいけど、子供の身。
戦場に行かない事も家族思いでもあるのです。
あのビーバーの奥さんは陣地にいるのです。
それをなんとなく知ってる姉妹は、戦場に向かうべきで無いかもと、なんとなく体得していた可能性もあります。
が、アスランが蘇れば、話は別。
アスランの元が最も安全な場所。
しかも、援軍とともにですし、アスランと行動を共にするのは、安全だから。
怪我を治せる薬があっても、幼子に戦場に行かないのか、と言わせる気持ちの方が不明です。
男から言わせれば、薬も弓も君たちの安全のために使って欲しいと思いますわ。
その薬や弓で勝てるとは限らないのですから。
守るもののために戦う時、死は恐れるものではないので。
妹が笑っているのは、自分にも出来ることがあったと思えたからでしょう。
いつも、何も出来ないとはずされていたから。
人を助けられるという感情もあったでしょう。
でも、その最中に死に触れる時には、周りの大人が遠ざけたに違いないのです。
それが大人の作法というものではないでしょうか。 -
Re: 退屈、それに伴い苦痛
2006/04/24 by
komasa> 次男は、悪い魔女に利用された事に気づいた後も、兄姉妹の命を狙う魔女に有利な情報を与えました。そして自分の家族を殺そうとしている相手に怯えてばかりです。本当に家族の身を心配しているんだろうか、と疑問になります。
僕はここ、むしろ理解しやすかった。
あの次兄は、ずっと長男に反発を感じていたんでしょう。長男を支持する姉妹にも。愛情よりも憎しみに近い感情を持っていたんじゃないのかな。
だから、むしろ和解のシーンの方が違和感バリバリでしたねえ。ナニがお前をそうさせたの?と。
> ナルニアの王・アスランの死を好機に、魔女が戦争を仕掛けようと準備している。そんな大事な時に、アスランの元を離れがたかった姉妹は、重要な情報を他者に託し、そのままアスランを枕に…居眠り!?
ここは僕もツッ込んだ。あれは無いよねえ。すぐ知らせに走れよ!と。
まあ、だからと言ってそれほどムカついたわけでもありませんが。
言い換えれば、そこまで感情移入できなかったってことで、この映画の演出作法が僕には合っていなかったんだなあ、と思った次第であります。 -
Re: 退屈、それに伴い苦痛
2006/05/30 by
むぎわら帽子のジミー樒さんの疑問は私も少し気になっていたんですが、映画を観た後に原作を読んで、その理由がわかりました。映画では、ピーターたちが戦っているシーンと、アスランの死に嘆く姉妹が交互に映っていましたが、原作ではアスランが復活したあと移動して、ピーターたちが魔女の軍勢と戦っている場面に出くわす、という流れになっています。
ルーシーたちがアスランと行動を共にしているときは、戦闘が行われていたことは知らなかったふうに見えるので気になりません。映画制作スタッフの構成の仕方に問題があったように思います。
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