スターリングラード (2000)
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田舎の英語教師の悲劇
2005/05/23
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消費者の目で映画を見るよりグルメの舌で・・
「スターリングラード」は、「プライベート・ライアン」と「タイタニック」に影響されたと分かるな。 特にラストの甘さは、「タイタニック」大ヒット後だけに、女性受けを狙った、脚本の手直しとしか思えない。 それが破綻しているように見えるのは、アノー監督がかなりの黒澤好きで、この作品であからさまに、黒澤オマージュを繰り広げたからだと思うな。
例えば、主人公ザイツェフの描き方は、狼にロシアで、「デルス・ウザーラ」のデルスみたい。 これで容貌が冴えなければもっと良かったろうけど、ヒットさせるには、デカプリオの好敵手ジュード・ロウの起用しか無かったのかな。
ザイツェフの好敵手の出現も黒澤風。 ただし、ザイツェフから見れば師匠格のケーニッヒ少佐で、藤田進が志村喬と対決するような(「姿三四郎」)感じ。
戦場の情交シーンは、不要と感じるよりむしろ、「七人の侍」を思い出したな。 木村功と津島恵子の艶っぽい場面は、終わった後だが、「スターリングラード」は、その最中までリアルに見せる。 「七人の侍」で加東大介が「篭城を続けていると、明日をも知れぬ命だと知り、若い男女の中には出来てしまう者もいる」と補足する。 同じように決戦前夜のシーンで、アノー監督もかなり意識したと思うな。
少年「2重スパイ」がケーニッヒに吊るされたシーンは、残酷だと言うより、むしろ吹き出しそうだったな。 「用心棒」の権爺そっくりだもの。 スターリングラードの廃虚が、「用心棒」の燃やされた宿場町に見えてくる。 ケーニッヒは仲代達矢だな。 少年の顔のアップを映さない分、監督も遠慮したみたいだ。
もっと印象に残るのは、老狙撃兵クリコフ。 顔は、ほとんど「酔いどれ天使」「野良犬」の志村喬だもの。 こうなるとジュード・ロウが、三船敏郎とだぶってくる。
クリコフのエピソードは、作品に厚味を増す話だと思ったな。 昔、ケーニッヒから狙撃を習い、少佐のやり方を熟知した男。ところが、実際にはクリコフの頭はサビていて、師匠のケーニッヒが進歩しているのに全く気付かず、彼の命取りになった。 まるで研鑽を怠り、年老いて行く田舎の英語教師だな。 ここは他のエピソード以上に面白かった。
クリコフにしろ、ダニロフにしろ、ソ連の体制を強く批判した直後に、共に敵方ドイツ軍のケーニッヒに狙撃されて命を落とす。 ヒトラーもスターリンも同じ穴のムジナと言うことだな。
監督の前作に「セブン・イヤーズ・イン・チベット」があり、共産中国を痛烈に批判していた。 この監督は結構、共産主義に嫌悪感を抱いてるな。 冒頭で、上官に撃たれるソ連兵の悲惨さを描いているし、フルシチョフもボブ・ホスキンスが憎らしげに演じているしな。 だが、あからさまな共産主義批判が、あまり好感されてないのは、見た方も田舎の英語教師だってこと?
ここまでやってしまうと、クライマックスが「用心棒」なのに、そこから再び「七人の侍」に戻らないといけない。 そこが中途半端に見えたんだな。
劣勢のザイツェフに、命懸けでケーニッヒの居所を教えたダニロフ。 ここだけは別の監督作品が入った。 ダニロフは、ほとんど「ガタカ」のジュード・ロウになっていたな。 それまでずっと二人三脚でソ連の為に働いた2人。 表のザイツェフに裏のダニロフ。 「ガタカ」の2人の男と同じ構造だった。
監督が共産主義と同様に、嫌悪感を抱いているのが、マスコミだと言うのも非常に納得できる。 虚業に過ぎない宣伝家のダニロフは、実際の敵を必死で倒すザイツェフにかなわない。 口先だけではターニャも口説けない。 敗者には黒澤は肩入れしないので、ダニロフ像は黒澤から知恵を拝借できなかった。 そこで無理矢理ターニャを絡ませて、辻褄合わせを図ったものの、うまく行かなかったみたいだな。
戦争大作だけど、人物像も丁寧に描こうとした。 現代からの批判的なメッセージも入れた。恋も入れた。 お腹いっぱいだけど、何か足りない。 戦いに勝ったのは、ソ連軍だが、現在ソ連は消滅した。 ジュード・ロウは結局、侍だったのか、菊千代だったのか、百姓だったのか。 字幕だけでなく、その後を描いて欲しかったが、すると今度は「プライベート・ライアン」になってしまう。 この辺が中途半端と感じた理由かな。
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