ブロークン・フラワーズ (2005)
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コンピューターの暴走
2006/05/06
by
さくらんぼ
映画「2001年宇宙の旅」は「コンピューター内に誕生した心」の話だと思いました。それならば「ブロークン・フラワーズ」も「コンピューターと花(心)」の話であったのかもしれません。
主人公と友人は共にコンピューターに関係があります。特に友人はネット検索が趣味で、そのゲーム感覚で手紙の主まで探偵調査しようとしました。しかし人間の心は容易に検索などできるはずもありません。
映画は「腹の探りあい」の様子を丹念にいくつも描きます。調査の旅から帰った主人公。手紙の主は不明のままでした。そして、ラスト、十字路で呆然と立ち尽くします。とうとう主人公は相手の腹どころか、自分の気持ちさえも分からなくなったのです。これから、どの女性の元へ帰るべきか、それとも帰らざるべきか。そして青年は息子だったのか。
それにしても、いったい誰が手紙をくれたのでしょうか。私は主人公が殴られた家の女性だと思います。そしてサンドイッチを食べた青年が息子なのでしょう。別に彼女が殴った訳ではないのですが、愛憎表裏一体とか言いますから。映画的な記号だったのかもしれません。それに母子共にどこか屈折しています。
そもそも主人公は彼女を探すのが早すぎました。息子に告白するのも早すぎました。尋ねてくる息子を待ち、息子と語り、時を待ち、その上で、息子と二人で、逢いに行くべきだったのだと思いました。そして、ここが肝心なのですが、花を渡し忘れてはいけません。
この映画は、メールやネット検索では済まない問題を、思い出せてくれました。傑作だと思います。
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手紙の差出人は誰?
2006/05/07 by
むぎわら帽子のジミーさくらんぼさん、はじめまして。いままでレスを差し上げたことはありませんでしたが、ずっとあなたのすばらしい映画解説を拝読させて頂いていた者です。特に「スパイダーマン2」と「スイミング・プール」の解説は、目から鱗がこぼれる思いでした。
今回は、私と意見が違う部分が出てきたので、気になって書き込みました。ピンクの手紙の差出人の件なのですが、
>それにしても、いったい誰が手紙をくれたのでしょうか。
>私は主人公が殴られた家の女性だと思います。
>そしてサンドイッチを食べた青年が息子なのでしょう。
私は、墓で眠っている女性を除いて、全員が共謀してやったのだと思いました。彼らとつき合っていた女性たちだけでなく、あの友人もです。そうでなければ、あそこまで熱心に旅の支度を手伝わなかっただろうと思うからです。元彼女たちも、彼が撮った写真を見せたり、猫の心を読んで「用件を隠している」というセリフを言ったりしたのも、彼が来ることがあらかじめわかっていたからではないかと。
ただ、この意見だと、終盤でサンドウィッチを奢ったあの青年が何者かが説明は付かなくなるのですけどね... でも、あれは人違いで、彼の息子は存在していないような気がしていたのです。
ですので、息子が実在していて、あの手紙の差出人が、あの女性たちの中にいたというさくらんぼさんの解説は、正直かなり驚きました。このあたりの解釈は、ひとによってかなり意見が分かれるところなのは承知していたのですが。 -
Re: むぎわら帽子のジミーさま
2006/05/11 by
さくらんぼ映画の冒頭、主人公の現在の愛人が結婚してくれないからと、「家を出て行きます」。しかし淋しくなったのでしょう、すぐに「ピンクの手紙」をまねして復縁を迫ります。
この話は、主人公が殴られた家の女性に対して、主人公が「君のほうが出て行ったんだ」と言うセリフに符合します。出て行った彼女が「ピンクの手紙」を書いたのだと思います。
本当はもっと早く、19年前に手紙を書きたかったはずです。現在の愛人の様に、でも妊娠に気づき書けなくなったのでしょう。子供をダシに、責任を取って欲しいと、復縁を迫る事も出来ました。でも彼女の場合、それは出来ない性分だったのでしょうね。愛していたからこそ、子供を使う事は出来なかったのかもしれません。
結局、未婚の母となり、ひとりで育てる事になりました。
やがて月日が経ち、子供も19歳の青年になりました。大人になった息子に母は父の話をしました。子供は「父の顔を見に行く」と家を出ました。父に逢い、この目で確かめて、その男を父と認めても良いか確認する為の旅だったのでしょう。もしも父の名に値しないロクデナシ男なら、そのまま帰ってくるつもりだったのかも知れません。
残された母は、せめて父に、子供を傷つける様な言動だけはして欲しくないと願いました。そして願わくば、大人になった息子に、父として、これから色々と力になってやって欲しいと思いました。でも自分は、自分からは無理に復縁を迫るつもりは無い。そういう気持のこもった、ピンクでサインの無い手紙を送りました。
19年間の長きに渡り父と息子の事を片時も忘れた事は無く、この結末をどうしようかと一人想い続けていた母でした。その母を突然父は訪問し、子供はいるか、と「単刀直入に雑然とした玄関先で尋問した」のです。「クルマ」関係の修理業をしている様子の母でした。
19年間の重みなどまったく考えない、デリカシーの無い行為でした。
「母は家の奥に逃げ」込み泣きました。主人公は駆けつけてきた「男に殴られました」。
舞台は変わり、「雑然としたレストランの脇」で、息子にサンドイッチを食べさせる父。ここでも息子に向かい単刀直入に「俺のことを父親だと思っているんだろう」と言いました。驚いて「逃げ出す息子」。でも追いかける父が出くわしたのは、偶然通りかかった「クルマ」の「怖そうな男」でした。主人公を睨みつけ、動けなくして去っていきました。
このあたりの父と母、父と子の出会いのシーンは符合するところがいくつかあったように思いました。
もちろん、これは想像ですが、私はこのようにこの映画を楽しみましたよ。人により解釈はまちまちですが、それで良いのでしょう。
最後になりましたが、思いがけず過分なお褒めの言葉を頂きありがとうございます。私も、むぎわら帽子のジミーさんの投稿は、いつも楽しみに拝見しております。また、今回、返信が遅くなりました事もお許しください。 -
番外編です
2006/05/13 by
さくらんぼ子供には、父親似、母親似がある、と言います。
サンドイッチをご馳走した、ほの暗く屈折した青年は母親似なのでしょう。そんな事を想っていたら、あのロリータも気になり始めました。
ドンファンの女性版がロリータならば、彼女は主人公の娘かも知れないのです。父親似の娘です。でもロリータの父とされている男はカーレーサーでしたね。この職業を映画で設定するとしたら「目標に向かってわき目も振らず一直線の性格」とでもなるのでしょうか。「道草、浮気が大好きなドンファン」とはまったく正反対です。だからカーレーサーの実の娘としては設定が不自然なのです。
また、母親は家庭の整理整頓をするビジネスをしています。家庭用品をキチンと家具、引き出しに収納し、ラベルを貼る仕事だそうです。母親はかつてドンファンの娘を身篭ったのかもしれません。しかしドンファンと別れた直後に付き合い始めたカーレーサーの子供として(父や娘を騙して)産み、育てた。見事にカーレーサーの娘として収納に成功したのです。
やがて月日が流れ、娘も大人になったある日、思いがけずドンファンが尋ねてきました。母がこのままドンファンと復縁できればハッピーエンドとなります。彼女は体まで許し、大歓迎をしました。娘の方も、もともと男好きでしたが、実の父を前に本能的に警戒心を解いてしまったのかもしれません。娘は自分でも分からない衝動に動かされていたのでしょう。
もしかしたら、この様に、息子ばかりか、娘もいたのかもしれないと思い始めました。 -
Re: コンピューターの暴走
2006/05/14 by
むぎわら帽子のジミーこんにちは、レスありがとうございます。
さくらんぼさんの解釈はだいたい理解できました。私は自分の解釈に自信を持っていたわけではないのですが、あの女性たちの中に手紙の差出人がいたというのに、とても驚いたのです。
息子らしき人物を追いかけるところも解釈が違っていまして。私はドンがダッシュしたところで、はじめて彼がこの問題に対して本気になったんだと考えました。そして、立ち止まったところで、ドンはそんな自分自身に対して驚いたのではないかと。ただ、あの車が何なのかわからなかったので、さくらんぼさんの解釈を読んでそういう見方もあるのかと思い直しました。
でも、ドンに息子だけでなく娘もいたとしたら、最近公開されたあの映画と同じ展開ですね(笑)
ところで、さくらんぼさんは私の投稿を読まれていたんですね! たいへん恐縮しております。未熟な文章で申し訳なく思う反面、とてもうれしいです。 -
可能性
2006/05/14 by
‥ぱどこのスレを興味深く読ませていただきました。
娘がいたならというように、
息子はいなかったということも、
また可能性でしょう。
コレは可能性の物語。
現在も一つではなく、いくつもの可能性に満ちていると
見せてくれる物語だと受け取っています。
だから、娘もいるかも。
でも、困惑させるのは、最後、車の中から
ドンを見つめる青年のカットです。
実はあの青年、ビル・マーレーの実子、ホーマー・マーレー
とのこと。
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