トゥモロー・ワールド (2006)
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観てから時間経ちましたが/★★★★
2007/02/01
by
くりふ
ラストにちょっと触れたのでこちらに書きます。
観ている間はけっこう冷めていたのに、後でジワジワ効いてきた。「エンドロール後が真の始まりとなるような映画が創りたい」というのが監督の狙いだったようで、その点ではまんまとよい観客にされてしまった(笑)。
後で考えてみた。のめり込めなかったのは、よくできているが故なのだなと。この映画は、作為的な物語を客観的に楽しむのでなく、主人公セオが生きる世界に共に没入し、彼がリアルタイムで体験することにどれだけ寄り添えるかが、楽しめるポイントになっている。で、この世界というのが魅力的(ディストピアであっても)な近未来表現や、引き込まれる特殊なプロットがあるわけでなく、あまりに現実世界と似通っているのですね。もちろん、日本では爆弾テロや難民問題は身近ではないけれど、ニュース映像を見れば擬似的に、この映画で描かれたような感覚はすぐ飛び込んでくるわけで、殆ど日常の延長を見せられている感覚になったのです。そんなわけで映画的(フィクショナル)な付加価値を感じられなかったのですね。でもそれって、それだけよく作られている証だと思ったわけです。
もう一つ。もし、よくできたシミュレーションゲームがあるとしたら、プレイする感覚はこんなではないかと思った。しかしコントローラーが使えず、自分でゲームを進められるわけではないので、体感的であるのに、自力では行動を選択できない疎外感が生まれてしまう。やはり、よくできているが故に、そんな感覚を呼び起こされたのだと思いました。
キー救出時の戦闘長回し映像は、アクションの見せ場としてよいというより、セオの行動と選択を際立たせるにはあれだけの時間と一直線映像が必要で、それがとても効果的だったのがよかったと思う。この映画はすべからく、行動イコール心理描写ですよね。だから人物の行動に気持ちが寄り添えれば、なぜ国家崩壊したの? など大局的な事情がほとんど気にならない(自分には)。
トゥモローは明日という、次の機会に過ぎない。それは希望ともなるし、絶望かもしれない。極限状況ではその場で可能な限り頭を働かせ、体を使い、選択と決断をするしかない。セオの場合は、新たな命を自分にできる限り守り抜くことだった。そして限界が来たら、次の人にバトンを渡すこと。ずっとセオに寄り添ったカメラが、彼が力尽きた後キーの視点となり、セオの背後、霧の中(灰色の領域)から次の機会がやってくる。とても冷静で、よく作られたエンディングだと思いました。
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