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なぜ犯罪者を憎みたいのか? ネタバレ

2006/12/30 by 理屈屋

手紙

この作品を見て、「犯罪者を許すな!」とか「憎むべき犯罪者を良い人に描くな!」という感想を述べる人が少なくないように思います。

この作品に登場する、家電販売店の会長ではないですが、「そう思うのは不自然ではないし、犯罪者が憎まれるのは仕方がない」と私も思います。

が、しかし、「憎んでも仕方がない」とは思うものの、積極的に「憎むべきだ」とか「憎んで当然だ」とは思いません。
私は、「当然だ」と思う前に、「なぜ憎いのだろう?」と考えるべきではないかと思うのです。もちろん犯罪の被害者やその家族が犯罪者を憎んでしまうのは「当然」ですが、全く被害を受けた訳でもない、ニュースでその犯罪を知っただけのような人までが「憎む“べき”犯罪者」などと思うのはなぜなのでしょう?

作中で会長が言っていた「自分や自分の家族から、犯罪というものを遠ざけたいという本能」のようなものという考えが、直接的な説明として一つ言えるだろうと思いますが、もう一つ私的に考える事として、「犯罪者と自分は全く異質な存在であって共通点など何一つ無いと思い込みたい」という心理の表れではないかと思う部分があります。
「犯罪者」とは生まれながらに「犯罪者」であって、犯罪を犯すために生まれてきた生き物で、「普通の人間」として生まれついた自分とは、全く異なった種類の生物なのであると。そう考えることで、自分の中にもある(かもしれない)「悪を行ってしまうかもしれない暗闇の部分」から目を反らし、忘れたいのではないでしょうか?「誰でも犯罪者になってしまう可能性があるのでは?」というコメントに対して、かなり強烈な批判コメントが返るように思われるのも、私がそう考える根拠です。

この作品は犯罪者を憎んだり、その家族を避け、差別することを「仕方のないこと」としていますが、それは「差別」や「憎悪」といった消し難い本能を人間の中に見つけ、これが否定し難く存在していることを認めているためでしょう。が、だからと言って決してこれを積極的に肯定している訳でははありません。
これらの人の心の闇の部分は、無い方が良いに決まってはいるのです。ですが、事実として消し難く存在しているものを、あたかも存在しないが如くに目をそむけ、表面的な奇麗事のみ述べる(差別はいけない、とか)ことは、何の解決にもならないばかりか、返って差別や憎悪を目に見えない形で世の中に蔓延させる結果になっていませんか?という問いかけが、家電店の会長の「差別は当然なんだ」という言葉になって現れていると思います。
会長は、目に見えない形をとりながら、厳然と存在している差別を偽善として批判した上で、なおそれを敢えて「当然なんだ」と言っていると思えます。

だから、その言葉によって「差別をしても良い」とか「犯罪者は憎むべきだ」という結論に至ってしまうのは、いささか言葉をその言葉通りに受け取りすぎていると言うものでしょう。

差別はいけないと知りながら、(見えない)差別をしてしまうのはなぜか?
自分とはあまり関係があるとは思えない犯罪者まで憎む“べき”と思うのはなぜか?
これらの疑問を自分の心を見つめることによって、自分にも差別者や犯罪者とほぼ同様の、差別や憎悪を行おうとする心の闇があることに答えを見出すのだとしたならば、次にはこの闇を肯定してしまうのではなく、これらとどう付き合っていくべきかという方向へ、考えが向かねばならないところでありましょう。

この作品は、そういった心の闇を拒絶して奇麗事の倫理観道徳観を並べ立て、結果として「差別」や「犯罪」を目に触れないところへ遠ざけるだけになる偽善を批判すると同時に、心の闇を受け入れた上でそれらと上手く付き合い続けることにより、時間をかけて人間性そのものを向上させ、「差別」や「犯罪」を根源的になくす道はないものか?と、そういう方向へ考えを向けて欲しいと作品を見る人に対して要求してくる作品のように私には感じられました。

映画も小説も、素晴らしい作品だったと思っています。

 

  • 性悪説・・・。

    2006/12/30 by 未登録ユーザとろろ

    理屈屋さん、こんにちは。
    まだこの映画の評価を出せないでいますが一言。

    > 「憎んでも仕方がない」とは思うものの、積極的に「憎むべきだ」とか「憎んで当然だ」とは思いません。

    私は「憎むべき」だと思います。
    「憎まないといけない」と思うのです。
    それは私が弱いからです。
    私はごく普通(多分;)の主婦で、ウソをついた事があり、他人をうらやましく妬んだり、嫉妬したり、愚痴こぼしたり、思い通りにならないと癇癪起こしたり、お金持ちから税金もっと取れーとか思ったり、・・・さらに、それは本心ではないと欺瞞する自分もいると思っています。

    そんな自分を知っているから、井戸端会議で、子供の前で、犯罪者を憎むことで自分は絶対そういう事はしない、するべきではないと言い続けないと、縛り付けておかないと自分の中の邪な気持ちに負けて犯罪を犯してしまうのではないかと思うです。
    ですから、

    >「普通の人間」として生まれついた自分とは、全く異なった種類の生物なのであると。そう考えることで、自分の中にもある(かもしれない)「悪を行ってしまうかもしれない暗闇の部分」から目を反らし、忘れたいのではないでしょうか?

    この考えは私の場合当てはまりません。
    私は人間は絶対的に欲を持ち、社会を営む上でのルールを破ってしまう存在だと思っています。
    動物と人間を隔てるのは、同じ動物でありながらも本能を抑制するルールを人間は制定したところだと思います。
    だからそのルールを破った人を憎む必要があると思うのです。
    罰が与えられ、差別され、憎まれる犯罪者。
    「私はああなりたくない」そうやって踏みとどまって、人間って社会を形成できるのではないでしょうか?

    この映画で主人公は差別を受けます。
    私はそれは当然だと思いましたし、だからこそ犯罪はすべきではない、許されざることなのだと思いました。
    しかし感想での多くは「同情」なんですよね。
    だから未だに私は評価できないのです。
    私の評価した所と、他の方が評価したところが違いすぎるし、「同情」はあってはならないと思うからです。
    もっときつく言うなら「差別されるべき」だと思っています。
    もし犯罪者が同情されるようなことがあったら、私は今日にでもそれらしい同情される理由をつけて犯罪を犯すかもしれない。
    同情してくれと手記を公表するかもしれない。


    犯罪者を同情し、憎まず。
    それでいて自分は絶対欲に振り回されない、他の人もそうだ、そう断言できる人ってそんなに多いのでしょうか・・・。

  • 善悪の彼岸

    2006/12/30 by 根無し葛

    理屈屋さんのご意見には、ほとんど同感です。

    ただ一点だけ。
    理屈屋さんは、この原作を
      「時間をかけて人間性そのものを向上させ、「差別」や「犯罪」を
       根源的になくす道はないものか?と、そういう方 向へ考えを
       向けて欲しい作品」
    として捉えておられます。

    それはどうかなあ。

    私が東野作品からときとして感じるのは、もっとシニカルな味わいです。
    "人間"の存在に対する根源的な不信というか諦観というか・・
    ある種の"毒"のようなもの。

    たとえば芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。
    1本の糸にすがって血の池からの脱出を図るカンダタは、あとからよじのぼってくる亡者たちに、「おりろっ」と叫びます。

    でも、そのときその状況に置かれて、カンダタのように叫ばない選択が、はたして人間一般にできるのか。この作品に芥川が巧妙に潜ませた苦い"毒"。

    東野氏も作品において、極限状態での選択を登場人物に突きつけます。

    「そうしない選択を、あなたはすることができたか?」
    「それ以外の選択が、あなたにはありえたのか?」

    本作「手紙」では、この"選択"が、主人公にではなく、主人公を取り巻く周辺のひとたち(読者である私たち)に各々迫られます。

    平易簡明な文章、巧みなプロットに加えて、奥深いところに仕込まれた"毒"。
    東野氏が流行作家として揺るぎないのは、作品に盛り込む、この"毒"の塩梅が絶妙だからではないかと思っています。
    本作の読後感も、したがって、なかなかに不安定なものがあり、この「ひんやり」とした手触りこそ、東野作品の真骨頂なんではないかと。

    映画化された本作は、残念ながら、東野氏ほど、"毒"の使用に対して意識的ではなかった。そして、まさに理屈屋さんがご指摘のように、
      「時間をかけて人間性そのものを向上させ、「差別」
        や「犯罪」を根源的になくす方向へ考えを向けさ
        せる作品」
    として、それをコンセプトとして制作しようとしたのかもしれない。

    確かに、そのメッセージをストレートに感受されたひとは思かった筈だし、本作品の"意義"はまさにそこにあるのでしょう。ただ、同時に、そこに本作品の"限界"もあったのではないか。
    東野作品の底流に流れる、ヒューマニズムと絡み合い、もつれ合った"ペシミズム"、そして人間の持つ"悪意"。
    人間の中の"善なるもの"は、最後に勝ち名乗りを受けることができるほど確固たるものなのか。

    本作品が副作用ともいうべき様々な反応を呼び起こすことになってしまったのも、こういったことについて、制作サイドが無自覚だったせいではないのだろうか、などと思ってしまうのです。

  • コメントを頂きありがとうございます

    2006/12/31 by 理屈屋

    とろろさん、根無し葛さん、コメントありがとうございます。

    とろろさんへ

    > 犯罪者を憎むことで自分は絶対そういう事はしない、するべきではないと言い続けないと、縛り付けておかないと自分の中の邪な気持ちに負けて犯罪を犯してしまうのではないかと思う

    仰ること良く分かります。だから犯罪者は憎まれてしまうのでしょうね。作中の会長のセリフではないですが、それは「仕方のないこと」なのかもしれません。
    それに「憎むべき犯罪者」の方が「同情すべき犯罪者」よりも恐らく圧倒的に多数であろうことも想像することができますしね。

    ですが、理想論的なことを言ってしまうと、本来その憎悪は、犯罪者に対してではなく、その自分の弱さや醜さに向けるべきものであろうと思うのです。けれど、恐らく自分の弱さ醜さに向き合うことができずに、正々堂々誰憚ることなく憎むことが出来る、犯罪者へとその憎悪が向かってしまうのかもしれませんね。
    あの会長の「それは仕方のないことなんだ。当然なんだ」という言葉が、本当に感動的で、私は自分自身の弱さ・醜さにハッとさせられました。そう言ってもらうことで、ようやく私は主人公の青年と同じように、自分の醜い面を直視できた気がします。

    とろろさんに、ご自身のその心の影の部分を意識するに至らしめたのがこの作品だとしたら、それだけでこの作品は一定の評価を得て良いのではないかと、私は思ってしまいます。

    私自身も正直に言って「自分は差別者ではない」などと勘違いをしておりましたが、この作品のお陰で、明確に自分の差別者としての一面を自覚させてもらったと感じています。
    この作品の持つ、その不思議な力を、私は大変評価しています。
    たくさんの人に見て欲しい映画だと思っています。
    ともあれ、コメントをありがとうございました。

    根無し葛さんへ
    私の意見に同意頂き、ありがとうございます。

    > 東野作品の底流に流れる、ヒューマニズムと絡み合い、もつれ合った"ペシミズム"、そして人間の持つ"悪意"。
    人間の中の"善なるもの"は、最後に勝ち名乗りを受けることができるほど確固たるものなのか

    > 本作品の"意義"はまさにそこにあるのでしょう。ただ、同時に、そこに本作品の"限界"もあったのではないか

    仰られる通り、小説においても映画においても、「答えはお前が探せ」と投げかけられており、受け取る側の受け取り方で、全く作品に対して述べられる言葉が違ってくるでしょうね。
    私としては、先に書いたように希望的観測に基づき解釈したということです。が、それは単に善意に作品を解釈したというだけではなく、我が身に照らして絶望を拒否し、困難な努力を続ける決意を含むと言うか、クモの糸の如き頼りない自らの善性を信じたいという、個人的な願望によるところが大きいですね。

    最後に、確かに小説よりも映画のほうが、登場人物たちの悪意について薄まった表現に直されていて、観客の受けを良くしようと試みたと伺える部分がいくつもありますね。それによって様々な副作用を呼び起こしたというのも、根無し葛さんに同意です。

    ただ、それが制作サイドの無自覚なり過失なりであるとしても、この作品が極めて残念な誤解を受ける結果となったこが、私としては本当に悲しいです。

  • ちょっとした補足です

    2007/01/03 by 根無し葛

    理屈屋さん、こんにちは。
    レスをありがとうございます。

    >ただ、それが制作サイドの無自覚なり過失なりであるとしても、この作品が極めて残念な誤解を受ける結果となったことが、私としては本当に悲しいです。

    「過失」と言ってしまうのは、おそらく、酷に過ぎるのかもしれないですね。原作の有するエッセンス(メッセージ)を、「商業映画としての枠組み」の中で提示しようと(精一杯に)試みたもの、というように理解しています。

    「無自覚」という点をすこし補足します。

    「会長」との出会いの箇所は、根深く「世間」に巣くう差別の真実の姿を直貴に突きつけ、同時に(いまある事実を事実として受容したうえで)これから生きていくための"気持ちのありよう"を示唆する、という重要なシーンとして設定されているんだろうと思います。
    自分を苦しめ、地獄めぐりの人生を余儀なくさせるものの"本当の正体"に気づく、っていう感じでしょうか。

    では、なんで、この役割が「会長」でなければならないのか、そのことに制作サイドがどれだけ自覚的だったのか、と思ってしまうんです。

    ハリウッド製のハート・ウォーミング映画だったら、「リストラされた勤め人に身をやつした神様」とか「素行不良で地上に追われた天使」が登場していたかも。そして起こるささやかな奇跡。
    でも、この作品はそうではない。役割を担うのは、ほかの誰(第三者)でもなくて勤務先企業のトップである「会長」なんですよね。

    たぶん「犯罪者の家族は世間で(企業の中で)差別されて当然(という現実がどうしようもなく存在する)」という言説自体は成り立ち得るのだろうと思います。

    ただ、それを当の企業のトップが語るのを聞けば、
    「あんたが言うなっ」
    と反発されても仕方がない。

    杉浦直樹という名優の演技を持ってしても、この反発を完封することは困難だろう、という想像力が制作サイドには希薄だったのかも。
    「差別をする側」を表象する「会長」が、「差別される側」である直貴の置かれた立場を思いやるかの如く「差別」の本質を語る。
    これは、一種の自己言及であり、自己言及的な言説が、話をややこしくするというのは、ときとして避けがたいように思います。

    例えとしては適切を欠くかもしれないけど・・
    「私はウソをついている」
    というときの「私」は、ウソつきなのか、正直なのか。
    ウソつきだとすれば正直にホントのことをいってることになり、正直だとするとウソをついていることになる。
    答えに窮することになってしまいます。

    これとパラレル、ということではないけど、とかくに自己言及はやっかいな代物だとは思います。

    原作者の東野氏は、このことに意識的だったような気配を感じます。だとすると、なぜ、どのような効果を狙ってこのような設定をしたのか。
    あえて異物を楔のように打ち込むことで、観客の既成観念あるいは無自覚に"揺さぶり"をかけようとしたのか。
    それとも、「差別」を語ることは、誰にとっても"自己言及"となりうる、といいたかったのか。

    考えてもよく分からず、なんとなく心の中に"澱"のようなものが残ります。前回も書いたように、この「ざらり」とした肌触りも、私にとっては東野作品の味わいのひとつなんだけど。

    理屈屋さんは、たぶんこういった諸々のことをすべて呑み込まれたうえで、

    >この作品のお陰で、明確に自分の差別者としての一面を自覚させてもらった

    という結論を導かれたのではないでしょうか。
    勇気ある発言だと思います。ともすれば曲解されかねない事柄に関しての発言ですからなおさらに。

    確かに、「差別とは無縁である自分」というものを措定することは困難なことですよね。私にもできそうもないです。

    >我が身に照らして絶望を拒否し、困難な努力を続ける決意を含むと言うか、クモの糸の如き頼りない自らの善性を信じたいという、個人的な願望によるところが大きい

    そうですよね。
    「差別とは無縁であるとはいえない自分」を苦い思いで自覚し、絶望ぎりぎりの地平で踏みとどまる。
    その場所からでなければ、一歩も前には進めない事柄なのかもしれません。

  • 深いコメントありがとうございます ネタバレ

    2007/01/04 by 理屈屋

    根無し葛さん、返信ありがとうございます。

    > 「差別とは無縁であるとはいえない自分」を苦い思いで自覚し、絶望ぎりぎりの地平で踏みとどまる
    > その場所からでなければ、一歩も前には進めない事柄なのかもしれません

    仰る通りだと思います。
    自らの内なる罪と差別を自覚して、誰にも謝ることなく、誰も恨むことなく、ただそれを忘れずにひたすらに生きねばならない。
    生きると言う事がこんなに辛く感じたのは初めてですね。
    しかし、限りなく孤独で辛い中に、断ち難い絆も確かにあると感じられます。
    人間も捨てたもんじゃない、そんな微かな希望も感じられました。

    ラストの玉山鉄二さんの姿こそ、この作品の作者が読者や観客に問いたかったことの全てではないか?と思えてきます。
    素晴らしいラストであったと、今思い出しても、目頭が熱くなってきます。

    根無し葛さんの深い考察に基づくコメントに感動してしまいました。
    ありがとうございます。

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