手紙 (2006)
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わかる人教えてください。
2006/12/31
by
カンナ
手紙見てきました。
家電量販店の会長が「差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ」と言っていましたが会長は差別をして主人公を移動させたのにへんな説得の仕方だと思います。
身元調査をした結果の転勤は差別ではないのですか?
会長が差別をしたように差別は必ずあるということをおしえたかったのでしょうか・・・ 会長はここで生きていくんだといいながら主人公は泥棒が入った店では生きていく(仕事をする)ことはできませんでした。
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Re: わかる人教えてください。
2006/12/31 by
odysあの場面は、見る人によって受け取り方がかなり異なるようです。
私は基本的にカンナさんの意見に賛成ですが。
私のスレ「薄っぺら」で色々な人が意見を述べていますので、参考になさってください。 -
odyさんへ
2007/01/01 by
カンナありがとうございます。「薄っぺら」を読ませていただきましたが、正直にいうと確かな答えは見つかりませんでした。私は身元調査をした結果の転勤はどう考えても差別だと思います。
この会長が言った言葉に感動したという人がたくさんレビューを書いています。映画を見られて最近投稿されたアリスさんという方が
>会長の言葉を換言すれば「差別のない国なんて無いんだよ」と私には聞こえました。
と書いてありますが例えを出してわかりやすくするといじめた人がいじめられた人に「いじめのない国なんて無いんだよ」と言っているのと同じです。
私の疑問にわかりやすく答えてくださる方いましたら、良かったら教えてください。 -
私はこう思いました
2007/01/01 by
理屈屋カンナさん、初めまして。
odysさんのスレッド、「薄っぺら」でodysさんとお話させていただいている理屈屋と申します。
カンナさんの仰るとおり、あの会長の行為や言葉は、差別そのもので、言っていることも「差別やいじめのない国などない」というそのまんまの意味です。
ご指摘の通り、差別やいじめをしている者が開き直っていると受け取られても、仕方がないと思います。
ですから、それを「酷い差別だ、いじめだ」と非難することも、仕方がないと言いますか、もしかしたら、正しいことなのかも知れません。
ですがしかし、「そのような非難をするだけでは、いじめや差別はなくならい」という主張が、あのシーンのあのセリフに込められていると、私は思います。
主人公に対する差別は、直接的積極的差別よりも、圧倒的に、表面的には無難に接しながら、結局は彼を避けている、無視している、というものでした。そしてその種の差別・いじめは、恐らくほとんどの人が胸に手を当てて考えた時に、自分も全く同じ事をしたことがある、と思い当たる事ではないでしょうか?
「私なら、あの会長が言ったようなことは、絶対に言わない」。
それは一面的には正しいことでしょうが、絶対的に、根本的に正しいことと言えるでしょうか?
あの言葉は、会長自身が「自分は“他の者達と同様に”差別者であって、差別をしてしまう理由はこういうことだ。」という告白だと私には感じられます。
表面を取り繕いながら避けている人達には、強い被差別感を抱いたであろう主人公の青年は、会長に対して親近感・信頼感を抱いたように見えました。
自分の心を偽らず明かしたこと、被差別者を避けず、わざわざ訪ねて行って本音を伝えた行為が、被差別者に対する誠意と受け取ってもらえたからだろうと、私には思えました。
そして会長はそれを主人公にもしてはどうか?と言ったのが、「人との絆を一本一本増やして行きなさい」という言葉だと、私は思います。
人の内心を見ることは出来ないので、間違っていたらお許し頂きたいんですが、恐らくカンナさんご自身も、何かを憎んだり、誰かを差別したりする心の闇のような部分をお持ちではないでしょうか?
もし、あるとすれば、それに気づき、他の人に自分がそれを持っていることを認め、更に憎んでいる相手や避けたいと思ってしまう相手にそれを正直に打ち明け、互いに何とかその心の闇のために出来てしまっている溝を埋める努力していこうと告げるようなことができるでしょうか?
まず「会長は差別者で、自分は違う」、こういう視点から離れ、自分も差別者であって、会長のした事を自分もできるだろうか?とお考え頂くと、あのシーンが感動的に見えてくると、私は思います。
簡単に説明することは極めて困難だと感じますが、私なりに受け止めたことを書かせていただきました。 -
いじめは悪いに決まっています。
2007/01/02 by
odys前にも書きましたが、カンナさんの見方に私は賛成です。
詳しくは「薄っぺら」に書きましたので繰り返しは避けますが、理屈屋さんの見解は、要するにいじめを正当化するものであり、例えて言えばカンニングを見つかった生徒が「俺だけじゃない、他の奴だってやってる」と言うようなものですね。無論、そんな言い分には取り合う必要はありません。カンニングをした生徒は、黙って処罰すればいいのです。
いじめは犯罪です。いじめた側をきちんと処罰しなければ、いじめはなくなりません。理屈屋さんの言い分はいじめを増やす効果しかないでしょう。こういうおかしな見解は無視するのが一番です。 -
同じようでも、全く逆です
2007/01/02 by
理屈屋odysさんへ
> 理屈屋さんの見解は、要するにいじめを正当化するものであり、例えて言えばカンニングを見つかった生徒が「俺だけじゃない、他の奴だってやってる」と言うようなものですね。無論、そんな言い分には取り合う必要はありません。カンニングをした生徒は、黙って処罰すればいいのです
状況は非常に似ているのですが、odysさんが仰っていることとは、全く逆のことを、私やこの「手紙」という作品はしているんです。
つまり、「本当はやった」のに、それを自覚してなかったり、自覚はしているけれど先生に見つからなかった生徒に対して、「あなたもやったでしょう、名乗り出なさい、悪を自覚しなさい、罰を受けなさい。そして二度とそんなことしないように努力をしようよ、お互いに。」と言っているんです。差別やカンニングやいじめを否定しているんです。
仰る状況とは似ていても、やっていることは正反対なんです。
私はodysさんの立場が分かりますので、仰っていることが良く分かりますが、odysさんも、私の立場・視点をご理解頂き、その視点からこの作品や私の主張をご覧頂ければ、私の言っていることが、odysさんが私の主張であると解釈されていることとは全然違う、正反対であることが、良くご理解頂けるはず、と思います。 -
Re: わかる人教えてください。
2007/01/02 by
アリスカンナさんへ
こんにちはアリスです。
私は“差別とかいじめ”という観点から少し離れた視点から会長さんのことを書かせていただきますね。
まず、私が書いた「差別の無い国はないんだよ」という言葉は、強盗殺人事件を起こした犯罪者を兄に持っている直貴個人に向かって会長が言った言葉だということを前提に捉えてください。
>
> 身元調査をした結果の転勤は差別ではないのですか?
会社という組織における“危機管理体制”において、内部の事情に精通した者の犯行と思われる事件が発生した場合に身元調査をされることは仕方の無いことです。
そこで家族に犯罪者が居ることが判明した場合、その人(この映画では直貴)が会社のイメージに影響を与えるかもしれません。
またその人が今後もその職場に居れば、何か事件が発生した場合には常に疑われてしまうであろうことも含めて考えた上での人事異動 は必須でしょう。
これは差別ではなく、あくまでも会社組織の危機管理なのです。
> 会長はここで生きていくんだといいながら主人公は泥棒が入った店では生きていく(仕事をする)ことはできませんでした。
会長が言った「ここで生きていくんだ」という言葉の“ここ”とは会社全体を指していると私は思います。
家電量販店は売り場のみで存続してるのでは無く、仕入れ部門も倉庫での製品管理部門も各店舗への出荷部門も事務部門も全てを含めて動いてこそ会社が存続するのです。
会長が「ここを出て行きなさい(退職干渉・解雇)」と言ったならばそれば不当解雇に当たる労働基準法違反ですが、会社組織等の職場異動は理由も告げずに実施されることは通常にあることです。
にも拘らず会長が自ら直貴を訪ね、由美子からの手紙に心を動かされたことを語り、「人との絆を1本1本増やして行きなさい」と言ってくれたたことは差別化に対する宣告では全く無いと思います。 -
ありがとうございます。
2007/01/03 by
カンナ理屈屋さんありがとうございます。そうかぁそういう見方をする人もいるんだぁと思い参考になりましたが、
理屈屋さんがおっしゃるように
>あの言葉は、会長自身が「自分は“他の者達と同様に”差別者であって、差別をしてしまう理由はこういうことだ。」という告白だと私には感じられます。
そういう考え方をすれば納得できそうですが私にはどうもそのような考えで会長は主人公の所を訪れたようには思えませんでした。会長は由美子からの手紙で心を動かされて来たのであって「自分は差別者だ」という意識で来たようにはあの映画を見た限りでは感じられませんでした。
>まず「会長は差別者で、自分は違う」、こういう視点から離れ、自分も差別者であって、会長のした事を自分もできるだろうか?とお考え頂くと、あのシーンが感動的に見えてくると、私は思います。
私だったら会長のした事を自分も出来るだろうかと考えてみましたが同じ事をしてみるつもりはありません。私だったら差別をしてしまった本人に会いに行くのだったらまず謝罪をすると思います。会長は謝罪の言葉ひとつもないのに人生についてアドバイスをする資格はないと思います。
理屈屋さんありがとうございました。そういう考え方で見ている人もいるということがわかりました。だから感動する人も多いんですね。私はもう少し納得できる内容を待ちたいと思います。
アリスさんもありがとうございます。今から仕事に行くのでまた後で返信させていただきます。 -
カンナさん
2007/01/03 by
odysまず、理屈屋さんの主張が映画をちゃんと見てのものではないことを指摘しましょうか。
理屈屋さんはこう書いています。
>主人公に対する差別は、直接的積極的差別よりも、圧倒的に、表面的には無難に接しながら、結局は彼を避けている、無視している、というものでした。
これがデタラメであることは、映画を見ていれば明らかですね。主人公は冒頭ではアパートに「殺人者、出ていけ」というような落書きをされる。そしてアパートを追い出される。いくつかの会社は首になる。そして例の会長(原作では社長)の会社では左遷される。
これは、「表面的には無難に接しながらも、結局は彼を避けている」のでしょうか。違いますよね。全然逆で、映画の中で主人公は積極的に差別されているのです。
つまり、理屈屋さんはあの映画をちゃんと見たのかどうか怪しいし、もしちゃんと見たのなら、自分の理屈を通すために映画の筋をねじ曲げて説明しているわけですよ。
>あの言葉は、会長自身が「自分は“他の者達と同様に”差別者であって、差別をしてしまう理由はこういうことだ。」という告白だと私には感じられます。
私の「薄っぺら」のスレッドでも書きましたが、人事権のある人間がこういう態度をとれば、それは差別者であり、批判されるのが当然です。下っ端にいる人間の発言なら理屈屋さんの主張も分からないではありませんが、責任ある立場にいる人間がこういうことを言うのは不見識ですね。そのことを、私は自分のスレッドで首相のとるべき態度として説明しています。その程度のことは理解していないと、とてもじゃないけれど差別やいじめをなくすことはできません。首相に限らず、大企業のトップなどでも同じことが言えるのです。
次にアリスさんの主張です。アリスさんの言われていることは、現実の社会にはありがちなことで、その点ではデタラメとは言えません。しかし差別をなくしていく方向に社会を作っていこう、という観点からすると問題が多いと言わなくはなりません。
まず、身元調査で会社組織の危機管理をする、というところまではいいと思います。しかし、その後主人公を左遷してしまうところはアウトでしょう。主人公に実際の落ち度があったなら別ですが、ないわけですから、これは明瞭な差別です。
そしてその差別を差別と認めようとしないアリスさんの主張の無理は、次のように考えてみれば明瞭だと思います。
つまり、たとえ直接的に顧客に接するのでなかろうと、もし「あの会社はこんな人を雇っている」という風評がたって、それが会社経営に悪影響を与えかねない、としたらどうでしょうか。どんな部門に左遷しようが、その人がその会社に勤めている限りはその風評被害がなくならないとしたら? その場合は、アリスさんの論理に従えば、首にされても仕方がない、ということになりますね。
そういうとき、そもそもトップがどういう態度をとっているかはバカにならないでしょう。あそこで会長が最初から不当人事をやめさせ、もし風評が立った場合は、「私たちの会社は差別のない公正な社会を作ることに寄与していきたい、そう考えているのです。お客様にはご理解いただきたい」と言っていれば、企業イメージはかえって好転する可能性があるでしょう。無論、現実は複雑ですから、そうならない可能性もあります。私が言っているのは、あの会長の態度は、基本的に主人公を差別するものであり、最終的に風評が拡大したときにはおそらくあの会長は主人公を首にすることを厭わないであろうと推測させる、ということです。そうなれば「君はここで生きていくんだ」というご立派なご託宣も、所詮は絵に描いた餅にすぎなくなる。
会長という責任ある立場にある人としては、ああいう場合に立派なご託宣を垂れるのなら、それにふさわしい態度をまず自分でとる――この場合は、不当左遷をやめさせる――のでなくてはなりません。それをしていないのですから、あの会長発言はどうしようもない駄法螺、と言うしかない。
結論として、この映画での会長発言は決して容認されてはならないし、だからこの映画の会長発言に感動したと言っている人は、どこかおかしいのだ、ということです。 -
odysさんへ
2007/01/03 by
理屈屋> あそこで会長が最初から不当人事をやめさせ、もし風評が立った場合は、「私たちの会社は差別のない公正な社会を作ることに寄与していきたい、そう考えているのです。お客様にはご理解いただきたい」と言っていれば、企業イメージはかえって好転する可能性があるでしょう。無論、現実は複雑ですから、そうならない可能性もあります
確かに好転する可能性もありますが、そうならない可能性の方が全然高いと私は思います。
失礼ですが、上の文は差別の解消を真剣に考えている人が読んだら、相当に「薄っぺらい」と思われてしまうと思いますよ。
現に既に職場の同僚が、彼と接するのを避けたりして、職場の空気が悪くなってしまったから、不当な人事異動が必要だと判断されてしまったのだと推測されます。
確かに仰るように人事異動自体が不当な差別で、悪いことなんです。私はそれを否定はしません。
ですが、そういう不当な人事異動をしなければならない本当の理由は、会長の心の中の差別心もそうですが、それよりも職場の同僚や顧客など、世間の風評の中に潜んでいる、差別心の方に遥かに大きなものがあるのではないですか?
会長はそれに挑まず、逃げている点で、主人公と同じなんですよ。だからその心を告白した時に、主人公は会長に信頼感と親近感を感じたのだと私は思っていますよ。
そしてこの作品は、その本当の原因の方へと鋭く切り込む、読者や観客の心に潜む差別を糾弾する物語になっていませんか?
そう主張しているのです。
この作品や会長の「差別は当然なんだ」という言葉が、本当の差別の原因に気づかせ、糾弾している、そう主張しているんです。
要するに、この作品や会長のセリフは、「差別を糾弾しているんだ!」と言っているのです。それを支持する人も「差別を糾弾しているんだ!」って言っているんです。
そこのところを、よぉぉく、ご理解頂きたく、お願い致します。
それにもし会社が主人公を庇って、異動をせず、しかも運悪く風評によって売り上げが落ちたり、店の壁に「殺人者は辞めさせろ!」などと落書きをされたりし、それでもまだ会長が頑張って主人公の青年をかばった場合を想像した時に、最も辛いのは会長ではなく、主人公の彼自身ではないですか?
主人公の彼が夢を諦めたり、結婚を躊躇したり、仕事や住所を変わったりしたのは、庇ってくれたり、関わってくれる差別をしない人に迷惑をかけたくないという理由もあったでしょう。
差別やいじめというのがそういう性質のものであると考えたり、根本的にそれをなくそうと本気で考えた時に、会長のように「差別は仕方がない」と、否定しようのない現実を一旦受け入れる必要があると、この作品は主張しているんです。現実に存在する差別や悪意を、拒絶したり、否定する「だけ」では、本当にそれらをなくすことは無理ではないのか?という主張を持った作品なのだと、私は言っているのです。
それから最後に、「差別をなくしたい」jという気持ちは、会長の言葉を肯定的に捉えている人も、odysさんのように否定的に捉える人でも、全く変わりがないんですよ。そのことにも気づいて下さい。
「お前の言ってることは差別だ、この野郎!」みたいな物言いをしなくても、例えば私の誤っている所を納得できるように私に指摘して頂ければ、私はすぐにそれを改める用意はあるつもりです。
頭ごなしに怒鳴りつけるような物言いは、なるべく避けて頂きたいとお願い致します。 -
カンナさんへ
2007/01/03 by
理屈屋私の意見を参考にして頂き、ありがとうございます。
いろんな人がいて、いろんな感じ方をして、いろんな感想があって良いと思うんですよね。
で、自分と違う感想が参考になって、何かの機会にまたこの作品を見た時に、前とは違った感想を持ったりしたら、なんだかとっても得した気分になるんじゃないかな?とか思うんですよ。
だから、私は自分と全然違う意見の人に、自分の意見を書いたりするんですが、「自分の意見を押し付けるな!」とか言われて、悲しかったりします。
おっと、ついつい愚痴を言ってしまいました。
とにかく、私の意見を参考にして頂いて、嬉しかったです。 -
議論の進め方――理屈屋さん
2007/01/03 by
odys(1)上で、私は理屈屋さんのこの映画のまとめ方がデタラメであることを具体的に指摘しました。今回の理屈屋さんのレスはそのことに全然触れていません。
(2)私は「薄っぺら」のスレで、現実に被差別部落出身者への採用差別に抗議した部落解放同盟の例を挙げました。そして、もし理屈屋さんの主張通りにしていたら(つまり採用差別があるのは仕方がない、という論理ですね)、今なお採用差別はなくならなかったであろう、と述べました。つまり、現実は差別に毅然と抗議するという方式で良くなってきているのに、理屈屋さんの主張はその現実を見ておらず、時計の針を30年逆戻りさせるものだ、と指摘したわけです。そして、だから理屈屋さんは差別主義者なのだ、と申し上げました。
それに対して、理屈屋さんは反論を今のところしていません。
(3)(2)のようにして被差別部落出身者を採用した結果、その企業の業績が悪化したという実例をご存じなら、挙げてみて下さい。
もし私の所説に異論がおありになるなら、(1)(2)にきちんと反論し、(3)にお答え下さった上で、ということでお願いします。でないと、いくら「自分は差別には反対だ」と主張されても、全然説得力がありませんよ。 -
odyさんありがとうございます。
2007/01/03 by
カンナアリスさんに書きたいと思っていたことはodysさんがほとんど代弁してくれました。差別の無い社会をつくろうと思ったらまず誰かがodysさんのような考えになって実践していかないとなかなか無くなっていかないでしょうね。失敗もあるだろうし難しいことは私もわかっています。
アリスさん・・・身元調査で会社組織の危機管理をするということは会社としてはしょうがない部分もあるのはわかります。
会長が主人公に会いに行ったときの会話覚えていますか?
「今回の人事異動は不当だと思っているのかね?君の配置転換は人事の処置としては間違って無かったよ、当然のことをしたまでだ」
ここまで聞くとその「身元調査で会社組織の危機管理」というものだと考えることもできます。
「君、差別をされたと思っているんじゃないかね?きっとこれまでも不当な扱いを受けてきたんじゃないかね?」これまでものもというのが気になります。そして「しかしね差別は当然なんだよ」と会長は言っています。
主人公は「私が犯罪者に近い人間だから差別を受けるのは当たり前だとそうおっしゃるのですか?」と言うと会長は「君の兄さんはそこまで考えなくてはいけないんだよ」と言っています。
会長の話をしっかり聞くと人事異動は当然→差別をされたと思ったのか?→差別は当然→なぜ差別をされるのかを教える→差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ という話の流れです。
結局この話の流れからいくと今回の人事異動も差別の影が見えてきます。残念なことです。人事移動をした理由を会長は最後まで話していません。
>会長が言った「ここで生きていくんだ」という言葉の“ここ”とは会社全体を指していると私は思います。
全てを含めて動いてこそ会社が存続するのはわかっていますが、会社全体だったらもちろん売り場も入りますよね。会社全体がここなのに売り場だけではここではないというのはつじつまが合いません。
理屈屋さんの意見は本当に参考になってます。ありがとうございます。しかしやっぱりよくわからないので書かせていただきます。
理屈屋さんは>この作品や会長のセリフは、「差別を糾弾しているんだ!」と言っているのです。それを支持する人も「差別を糾弾しているんだ!」って言っているんです。
理屈屋さんもはじめにあの会長の行為や言葉は、差別そのものとおっしゃっていますね。私も会長の行為は差別だと思っていますがその差別をした本人が「差別を糾弾しているんだ!」と言っているのはおかしな話だなぁと思いました。
急いで書いたのでおかしな点があったら指摘してください。 -
Re: わかる人教えてください。
2007/01/03 by
Salty Dog横からすみません。
あの会長の言葉は、差別を糾弾するものでも肯定するものでもなく、
そういった一般的な話ではなく、今、この主人公がいかに生きるべきか、その心構えを教えようとしていたのだと思います。
会長が人事のことに口出しすることもできたでしょう。
しかしそれで、他の人の差別がなくなるでしょうか?
会長は、そう思わなかったのでしょう。
それよりもむしろ、そういった差別に満ちた世界で生きていくとき、
なにが一番大事なのかを教えたかったのだと思います。
そしてそれこそが、あの時の主人公に、最も必要なものだったのでは
ないでしょうか。
私にとって、あのシーンは役者さんの演技力もあり、
すばらしい名シーンとして心に残りました。 -
会長と自分を比較してしまう、という感じです
2007/01/03 by
理屈屋カンナさん、返信ありがとうございます。
> 私も会長の行為は差別だと思っていますがその差別をした本人が「差別を糾弾しているんだ!」と言っているのはおかしな話だなぁと思いました
差別を糾弾しているのは会長自身ではなくて、会長にそのセリフを言わせている作者です。
そして糾弾されているのは、作中の差別をしてきた人物達ではなくて、観客や小説の読者である私です。
私はずっと主人公が差別されるのを見て、可哀想だと思う一方で、仕方がない、止むを得ない、自分には何もできない、と思っていた訳です。
そこへ会長が出てきて、「差別は当然だ、仕方ないんだ」と言い放ったので、私は自分の本音を代弁してもらえて思わずホッとしてしまいました。
思えば他の登場人物で、消極的な差別をしていた人たちも、「差別はいけない」と思いながら、でも「関わりたくない」って本音では思っていた訳で、会長の姿はそれらの人たちを代表するとともに、私自身の姿も映していると見えてしまう訳です。
で、会長は別に何かを糾弾したりはしないのですが、会長のセリフを聞いてホッとしてしまう自分を、自分が糾弾してしまうというか、「仕方ない」という自分を「差別はいけない」という自分が糾弾するというか、そういうことをさせられるワケです。
もちろん映画を見ているときは、そんなことを考えながら見ていたわけではありませんが、どうしようもない矛盾に一瞬赦しを得たかのように込み上げるものがあり、同時に懺悔する気持ちが突き上げるのも感じましたね。
作者が狙って読者や観客をそういう状態に追い込んでいると思うんですよ。
なのでそれを、この作品が行っている、「自覚のない差別者への糾弾である」と私は主張したい訳です。
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