それでもボクはやってない (2007) »掲示板

議論 合理的な疑問の余地なくとは何か? ネタバレ

2007/02/14 by 理屈屋

それでもボクはやってない

この作品を見てからしばらく経ちましたが、その後色々思うところがあり、敢えて投稿をしてみます。

さて、この映画、冤罪が作り出されるシステムを暴露していると申しますか、刑事訴訟システムの問題点を指摘しているといったものになっているとは思うものの、被告と裁判システムの両者にとって公平であろうことを目指したためか、実は良く考えると、「有罪」も止む無しとも見えるように作られているように思えて来ました。

裁判官の立場になって、被告人がやったのか、やっていないのか不明な状態で証拠を吟味してみると、「他に犯人が考え難い」「被害者が嘘を言ったり、誤解しているとも思えない」反面、被告人の挙げた反証は、被告人の有罪を「真偽不明」にするに過ぎないものばかりで、被告人の無実を立証し得るものは一つもない、という理由から、純粋に論理的に言えば、「被告人がやったとしか考えられない」という結論に至るのが必然と思われます。

確かに弁護側の反証により、被告人がやったかどうかについては「真偽不明」の程度にまで達しているとは言えそうであり、裁判官としては実に苦しい判断を求められているのだ、と言う気はして来ます。
この作品の冒頭にも出て来る通り、10人の有罪犯を取り逃がしても、1人の冤罪を出してはならない、とするならば、「真偽不明」は無罪で良いのかもしれません。

それに、「無罪」とすべきではあるけれども「有罪」の可能性も否定できないから、「執行猶予付きの七掛け判決」という行為は、無責任の極みであろうとも思います。

がしかし、がしかし。
被害者感情や社会正義の観点から見て「合理的な疑問の余地なく有罪とする」と言う場合の「合理的な疑問の余地なく」というのが、あまりに厳格過ぎるという印象を強く受ける人も少なくないのではないでしょうか?

正直に言ってしまうと、本作の場合「他に犯人があり得ない」という確信を以って「被告人を有罪とする」ことに私は同意できると思うに至ったのですが、その考えはいかがなものでありましょうか?
観客は被告人が無罪である事を前提として見ているので、私のこの意見がとてもおかしいものに感じる人も多いかもしれませんが、「合理的な疑問の余地なく」という言葉を私的に解釈した場合、本作の被告人は「合理的な疑問の余地なく有罪」と言い得ると考えます。

彼がやっていないとしたら、誰がどうやってやったのでしょう?私にはそれが思いつきません。
被害者は「右のでん部」を触られており、周囲の配置から、可能性として残るのは被害者の左後方にいた、太った男性しかあり得ないと思われます。しかしその男性が裁判にかけられた場合、やはり被告人と同じく「合理的な疑問の余地なく」有罪となる可能性は、被告人よりも遥かに低いと思われます。恐らく被告人がその男性の無罪を証明する最も有力な証人でありましょう。

この映画を作った人は、真犯人を誰だと設定しているのでしょう?
「それでも彼はやってない」のでしょうか?

作品の趣旨とは正反対の主張となりますが、そんな事が疑問が否定できずに残りました。

 

  • オフィシャル・ページで投票をしてますね

    2007/02/14 by 理屈屋

    このひとつ前の投稿をした直後に、この映画の公式ページを見てみたら、被告人は有罪か無罪かの投票をしていますね。
    私、思わず、有罪に一票いれてしまいましたぁ。

    有罪と思う人も少なからずいるみたいで、妙に安心しました。

  • 彼が有罪ならば…… ネタバレ

    2007/02/14 by 倉島穂高

     私は自分が女だからなのか、冤罪のおそろしさよりも冒頭で描かれた「本当にやっているヤツがあんな簡単に釈放される」ということのほうが、よほどおそろしく感じてしまいました。
     実際に痴漢行為をしたことが確実な人間が問答無用で(つまり、改悛の情を示そうが、被害者が示談の意を表明しようが)厳罰に処されるのであれば、理屈屋さんのおっしゃるように「この主人公の場合なら有罪もやむなし」という判決もありかと思いますが、「やりました、ごめんなさい」で許されてしまうという現実があるのだから、裁判も「疑わしきは罰せず」であるべきです。でないと、あまりにもバランスが悪すぎて理不尽です。彼が有罪ならあのオヤジもふんづかまえて実刑くらわせてよ!というのが女性である私の偽らざる気持ちです。
     それから、「真犯人」についてはもう一つの解釈も可能ですよ。それは、この映画の原案となった本(実は私は未読なのですが)のタイトルを調べてみてください。周防監督はその可能性も否定できないことを非常ーーーーに用心深く、さりげなく主張していると私は思いますね。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/14 by 無責任な傍観者

    このスレの本筋と少し違うかも知れませんが、小日向裁判官の姿勢として、被告に対しては冷徹であるのに対して被害者に対しては極めて情緒的であるように感じましたが。
    「こんなイタイケな少女が勇気を振り絞っているし、嘘をつく必然性がない」なんて、分別有る大人の理論ではなく、小学生のホームルームの理論だと思いました。
    双方に同じレベルの考え方を適用するなら納得は出来ますが、この作品中の裁判はアンフェアなイメージが強いです。
    私は単に冤罪を生み出す制度の一例の紹介として納得していますが、もしもその他の可能性も考慮する作品としてなら、もう少しガチガチにロジカルな展開をした方が良かったと思います。

  • 正に正論ですが。 ネタバレ

    2007/02/14 by 理屈屋

    倉島穂高さん、コメントをありがとうございます。

    「バランスを」というご説は、正に正論と思いますが、「被告人を無罪に」というよりは、痴漢行為を認めたあのオジサンの方に実効性のある適切な罰を課すべき、という方向へ結論が行かないとマズイですよね。
    問題を含む現実を変えるとすれば、裁判の方よりはむしろ「示談で放免」の方でしょう。そうでないと「認めりゃ示談」、「否認しても無罪」となり、痴漢が今よりも認められる形になってしまいます。

    罰金と禁固・懲役の間に何の刑もないのが問題かもしれません。
    痴漢で懲役は重過ぎる気がする反面、罰金で済んでは釈然としません。
    人権問題も絡んで簡単ではないのでしょうが、やはり痴漢行為を行ったことを周囲の人に知らせるとか、痴漢行為を心から反省して決して再犯がありえないような罰を、新たに考案するのが良い気がします。司法だけでなく立法にも問題があるということでしょうか。

    「もう一つの可能性について」ですが、「彼女は〜」というタイトルの本が推薦図書として公式ホームページにありましたが、これですね。その可能性もないとは言えないと思いますが、作品での証言などを見た限りでは「彼が本当にやっていないとしたら、それしか答えはない」という印象です。「彼がやってない」ということを前提としないと、「彼女〜」と疑う積極的合理的な理由はなさそうに感じました、私は。

    で結局問題は、「合理的な疑問の余地なく」にある、ということになってしまいます。
    「他の誰かが?」とか「彼女は〜?」という疑問が合理的と言い得るか?という判断をする基準が問題です。
    私の基準では、証言や証拠を見る限り、「そう考えようと思えば考えられなくはない」という疑問に思え、あまり合理的であると言えないという結論になった次第です。

    この「合理的な疑問の余地」という判断の基準は人によって違うとは思うんです。「大いに余地あり」と思う人もいるでしょうし、私のように「その余地はない」と感じる者もいるのではないかと。その辺りを議論のテーマに話ができないかな?と思って最初の投稿をしてみました。

    私も別に被告人を有罪にしたい訳ではないんですが、もし私が裁判官だったら、作中の裁判官のように「とりあえず有罪」ではなくて「法と良心のみに従ってなお」有罪ということになりそうです。

  • 嘘をつく必然性について ネタバレ

    2007/02/14 by 理屈屋

    無責任な傍観者さん、コメントを頂きありがとうございます。

    仰る通り、作中での被告人の扱いは不当ですね。
    警察でも検察でも裁判所でも、そして恐らく世間からも。予断と偏見に満ちた扱いについて、この作品が問題を提起していることは明らかで、私もそれに異議を唱えるものではありません。

    が、被告人に対して予断を持たず、不当な扱いをしなかったならば、判決は無罪であっただろうか?という疑問が最初の投稿の動機になっています。
    倉島穂高さんへの返信にも書きましたが、被害者を疑う積極的合理的理由は、現状においては「ない」と思われるので、被害者が勇気を奮い起こしたイタイケな少女でなかったとしても、被害者を疑うということが、法廷に提出された証拠からはあり得ないと思われるんですよね。

    「この作品は上手く作ってある」という感じがヒシヒシとして来ています。こういう議論をさせようと製作者は考えていたに違いありません。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/15 by 未登録ユーザ福丸

    >被害者を疑う積極的合理的理由は、現状においては「ない」と思われるので、

    ありますよ。示談金をせしめる為のでっち上げ。実際わざわざ目撃者を騙る為の相方まで用意して示談金を取っていた女性がいたとニュースでやってましたね。逮捕されたのかは知りませんが。それと母親が子供にそういう事をやらせていたとの事件も覚えています。こういう事が1件でも起こったら訴えてきた被害者だから疑わないでも良いなんて言えないでしょう。
    さらに女性の勘違いや気のせいも絶対にないと積極的合理的理由をつけれるでしょうか。つけれるわけがない。柳を見てお化けだと信じる人だっているでしょう。

    >被告人に対して予断を持たず、不当な扱いをしなかったならば、

    まるで不当な扱いが正しいのだと言う口ぶりには呆れる。一回冤罪で捕まったらどうか。

    倉島穂高さん。
    痴漢冤罪にあって実際裁判で戦うことの意味を判った上でそう発言しているのなら見上げた差別主義者だね。

  • もし、、私が裁判員ならば ネタバレ

    2007/02/15 by TAKEGON

    自分の感想で「裁判員の疑似体験ができたと思う」と書きました。今、こちらの「作品別」にありますが、レス頂いた中に「ネタバレ(と思う)」と私信みたいなのがあるため、管理人さんにメールを出して、こちらに移して頂きました。評価は70点で投稿したと思います。
    で、疑似体験で思ったこと、私が裁判員ならば「有罪」にしたと思います。

    といいますのは、都会の電車内で「痴漢」が横行してる(ですか?)こと、容疑者は被害者近傍の男である可能性が高いこと、彼が不振な動きをしていたこと、そして、よりによって「痴漢モノDVD」を持っていることから、状況証拠的に徹平は黒と思いたくなります。

    また、結果的にカバンの硬いところであったかもしれませんが、満員電車の中でそれをゴリゴリと女の子に押しつけていたことは事実であります。もしかすると、硬くなったチ○ポを一瞬ゴリゴリと押し当てていたかもしれません。裁判官が最後に指摘してましたが、誰も見ていない時間帯があるわけです。そのとき、どちらの言い分を採用するか。私ならば、女の子のいうことを聞くと思います。

    映画の観客は、神の視座で「ボクはホントにやってない」という主人公の心の声を聞いていますし、神の前では徹平は無実ですが、そんなことを知らない人の前では有罪と思われてもしかたがありません。

  • “合理的な”疑問の余地 ネタバレ

    2007/02/15 by 理屈屋

    福丸さん、初めまして。
    コメントを頂きありがとうございます。

    > ありますよ。示談金をせしめる為のでっち上げ
    > さらに女性の勘違いや気のせいも絶対にないと積極的合理的理由をつけれるでしょうか。つけれるわけがない

    その可能性が全くないと私が考えている訳ではないんです。
    ただ、映画の中の法廷に提出された証拠を見る限り、上記のように“敢えて”考える「合理的な疑い」を“私は”感じられなかった、というのが私の書き込みの趣旨です。
    これは被害者が、イタイケな少女でなくても、余程いかがわしい印象の女性ででもない限り、そのような疑いを持つ事は、逆の意味で予断になってしまうのではないでしょうか?

    “このケースにおいて”被害者の女性が勘違いや、示談詐欺を働いていると疑うに足る「合理的な理由」を福丸さんは作中で提示された証拠の中から挙げる事ができるでしょうか?
    例えば「被害者の親が執拗に示談金を要求した」などという事実はなかったように見えます。
    ですから、世の中にそういう事例がままある事を以って、直ちにこの件の被害者もそうであると疑う“合理的な”理由は、「ない」のではないでしょうか。

  • TAKEGONさんへ ネタバレ

    2007/02/15 by 理屈屋

    TAKEGONさん、コメントをありがとうございます。
    私は裁判員制度には不満もありますが、賛成です。
    司法権の一端を国家権力・公務員などでなく、国民が担えるということに、かなりの喜びを感じます。
    一端などと言わず、全部を国民の手に!と叫びたいくらいでございます。

    という訳で、TAKEGONさんと同じく、自分が裁判員だったら?という目線で、映画の痴漢事件を考えてみた時に、「有罪判決を出すしかないな」という結論に至り、ちょっとショックでした。
    映画の結末により無実と知ってしまったため、もし現実の裁判だったら「有罪」を下しているであろう自分に正直ショックです。真面目な裁判官の苦悩が察せられますね。
    この映画は、たぶん客観的には「有罪」と見えるように作ってある気がします。そして「冤罪」や「裁判制度」を考えろと言っているのではないでしょうか。

    「合理的な疑問の余地なく」とはどういうことなんだろう?と考え込む日々でございます。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/15 by 未登録ユーザ理想論

    今回は痴漢という犯罪が題材となっていますが、これが殺人だとしたらどうでしょうか?
    状況証拠から、彼が殺人をしたと想定される。
    が、確たる証拠はない。
    このような状況で殺人罪を適用してもよいのでしょうか?
    殺人罪は死刑又は無期若しくは5年以上の懲役です。

    『疑わしきは被告人の利益に』というのは、10人どころか1万1億の有罪犯を取り逃がしても、1つの冤罪を出してはならないという、法の理念ではないでしょうか。
    有罪犯を取り逃がしてしまうのは捜査能力の無能さを現しますが、冤罪によって人を罰することは、それ自体が犯罪に等しい行為だと思います。
    人が人の権利を奪うこと、それを裁判官の裁量で行うのであれば、それはより厳格で、疑問の余地のないものではないといけないと思うのです。

  • 疑問の余地はあるでしょうか? ネタバレ

    2007/02/15 by 理屈屋

    理想論さん、初めまして。
    コメントありがとうございます。

    仰っている事は私も分かっているつもりです。
    しかし、この映画の痴漢のケースは、やはり私から見れば疑問の余地のない有罪に見えます。

    被害者は「犯人の袖口を掴み、手を見た」と具体的で曖昧さのない証言をしています。弁護側も、この証言自体に不信を抱いて反対尋問などをしていません。
    また、弁護側の切り札と思われた証人も、やっていないと信じるに足る目撃はしておらず、むしろ被告人が10分程度被害者の背後でゴソゴソと動いていた事実を逆に証明してしまいました。

    正にその現場を、誰も目撃していない状況で、これを状況証拠のみだから「合理的な疑問の余地あり」とするのは、私としてはむしろ不自然に感じます。
    弁護側の再現立証は「被告人は、やってないかもしれない」という疑問を起こさせるには足りないと感じます。

    ちなみに、罪名が殺人であっても、今回の痴漢事件と同様な程度にまで有罪の心証が形成されているのであれば、判断には影響しない、というか、させてはマズイと思います。
    もちろん、有罪を言い渡すについての責任感には大きく影響し、言い渡しを躊躇してしまいそうですけれど…。

  • とりあえずの妥当な判断。。。

    2007/02/15 by taru

    >正直に言ってしまうと、本作の場合「他に犯人があり得ない」という確信を以って「被告人を有罪とする」ことに私は同意できると思うに至ったのですが、その考えはいかがなものでありましょうか?

    ダメに決っているでしょ、そんなの。他に犯人がいないからあんたが犯人でしょってのは、言われた本人にとってはたまったもんではないですし、理屈屋さんにも似合わない、理屈の通らない考えですよ。

    この映画のシナリオはよく考えられていて、要するに状況証拠しかない訳ですよね。つまりは、彼が痴漢行為をしていたという目撃証言もないし、被害者のつかんだ袖も一瞬視野から消えて引き抜かれているしで、裁判官は「心証」で判断するしかない訳ですが、こういったことは映画の中でも懇切丁寧に解説されていました。さてそこで、裁判官の判断は。。という映画だった訳ですよね。ですから、

    >「無罪」とすべきではあるけれども「有罪」の可能性も否定できないから、「執行猶予付きの七掛け判決」という行為は、無責任の極みであろうとも思います。

    と理屈屋さんはおっしゃるけれども、それは無責任ではなく、判事としての<妥当な>判断、結論だろうと私は思います。決定的な証拠がない以上、私ならば無罪を結論としますが、映画の有罪だけれども執行猶予をつけるよという結論も止むを得ない範囲のものだろうと判断します。これは、形は有罪ですが、理屈屋さんの言う有罪とは違って、とりあえずあんたは有罪にするしかないけれども、その代わり執行猶予をつけるからがまんしてネ、という社会的な妥協の産物です。こういう形の妥協をして結論を出すしかないと決断するのも、判事の勇気だろうと思います。

    ん?違いが分かりませんか。。?

    理屈屋さんは<「他に犯人があり得ない」という確信を以って「被告人を有罪とする」>という訳ですが、そんな確信は持てる訳がありませんし、被害者の言い分もうそや間違いである可能性もある訳ですし、要するに真実を言えば、『わからない』というのが今回の場合の本当の結論な訳ですね。それを踏まえた上でどういう結論を出すかが問題な訳で、今の日本の諸情勢その他を総合判断してのあの結論だとしたら、一応私の許せる範囲かなと思う次第なのです。

    でも、繰り返しますが、他に犯人がいないからあんたでしょ、って言うのはダメでしょう。

  • taruさんへお返事 ネタバレ

    2007/02/16 by 理屈屋

    taruさん、コメントをありがとうございます。

    >>正直に言ってしまうと、本作の場合「他に犯人があり得ない」という確信を以って「被告人を有罪とする」ことに私は同意できる

    > ダメに決っているでしょ、そんなの。他に犯人がいないからあんたが犯人でしょってのは、言われた本人にとってはたまったもんではない

    いやぁ、ズバッと斬り捨てられるのが爽快なくらいな、見事な否定のご意見です。
    しかしですね、私が「確信できる」とまで言ったのには一応の理由があります。

    一つ、被害者の証言が嘘と思えないほど具体的で、弁護側も曖昧であるとしてこの点を争っていない事。つまり事件が被害者の嘘や誤解でなく「確かにあった」と信じられます。
    二つ、被害者は犯人の袖を掴み、手を見たとハッキリ言っており、その際に袖の色が被告人のその時の着衣と似た色であったと証言していること。この色の袖の服を着た人は、記憶する限り近くには他にいなかったと思います。この点も弁護側はほとんど争っていません。
    三つ、被告人が10分程度の間、被害者の後ろでゴソゴソ動いていたという事実が複数の証言から動かせないこと。
    四つ、被告人は被害者の左後ろの太った男が真犯人であると主張していますが、この主張自体に何の証拠もなく、不誠実な(言い逃れをしようとしているような)印象を受ける事。
    自分は冤罪を主張しながらそれを他人に転嫁しようとしている印象が否めないです、私には。
    五つ、弁護側の犯行の再現は、手の抜き方が後方でなかったと証明するに過ぎず、左後ろの男が真犯人であるとの立証にも遠く及んでいない(と思われる)事。

    以上の5点から、被告人の犯行であると信じるに足る証拠が揃ってしまっていると私は思います。そして「そうでないかもしれない」と疑わせる合理的な理由は見当たらないのではないでしょうか?
    確かに被告人は犯行の現場を目撃されていませんし、決定的な証拠(手に被害者の下着の繊維が付着など)もありません。
    しかし、痴漢行為があった事実を認定して、被告人以外に他に犯人がありえないのですから、被告人が犯人という結論に必然的に至らざるを得ないと思います。
    「他にいないからお前がやった」と言ってしまうと乱暴に聞こえてしまいますが、その内容は以上のような根拠からの判断です。
    そして何より「そうでないかもしれない」と有罪の結論を疑う合理的な理由がないのが致命的です。
    taruさんは、被告の証言に嘘や間違いの可能性があると仰っていますが、どこにそれを疑う合理的な理由があるでしょうか?根拠なく「嘘かもしれない」と考えるのは予断を含んだ結論になってしまうと私は思います。5つの理由の中にも書きましたが、弁護側が被害者の証言の真実性についてほとんど争っていないのが、私の有罪判決の主要な原因かもしれません。

    いずれにしても、神ならぬ身にとっては、今回のケースは有罪判決を下す以外にないと、私は思います。

    実を言うと、「無罪かかもしれないと疑うに足る合理的な理由」を発見したいと思っているのは、私も同じなんです。この映画の場合、被告人が無実である事は分かっている訳ですから「有罪を言い渡すしかない」とは考えたくないんです、私も。


    なお、「執行猶予付きの七掛け判決」が、無責任の極みであるという主張も変わりません。
    「無罪かもしれない」から執行猶予を付けて、刑期も減らしているわけですよね、この場合。
    つまり、その裁判官にとっては「無罪かもしれない」と考える「合理的理由が“ある”」のに有罪判決を出している訳で、言語道断の無責任判決ではないでしょうか?
    裁判所は司法権をつかさどる機関なワケですから、国家権力を以って物事の白黒をハッキリとつけなければならないはずです。そのような政治的(行政的)判断・事務処理をすることは、絶対に許されてはならいと私は思います。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/16 by 未登録ユーザ福丸

    >一つ、被害者の証言が嘘と思えないほど具体的で、

    痴漢に会ったことのない俺でもいくらでも具体的に作り話を話せる。
    よって証拠にはならない。

    >二つ、被害者は犯人の袖を掴み、手を見たとハッキリ言っており、

    まず上と同じくいくらでも話を作れるものは証拠にはならない。
    また痴漢だと決めた時に袖の色などは記憶がすり替えを行っている可能性もある。
    大学において人間の記憶能力の曖昧さは実験で実証済み。

    >三つ、被告人が10分程度の間、被害者の後ろでゴソゴソ動いていたという事実が複数の証言から動かせないこと。

    身動きすらするなというのか?
    どこまで男性差別をすれば気が済むのか。

    >四つ、被告人は被害者の左後ろの太った男が真犯人であると主張していますが、この主張自体に何の証拠もなく、

    そうであるのならなぜ女性の証言だけ根拠になるのか全く持って理解不能。

    >五つ、弁護側の犯行の再現は、手の抜き方が後方でなかったと証明するに過ぎず、

    上と同じ。
    五つとも全て合理的な理由にも証拠にもならない。

    >痴漢行為があった事実を認定して、被告人以外に他に犯人がありえないのですから、

    一番酷いのがこれだな。
    痴漢があったことを主張しているのは女性だけでさらに上に上げられたのは証拠でもなんでもない。
    これで痴漢があったと認定する事はできない。
    これが核心なら世の中冤罪だらけになることが理解できないのか?
    合理的理由など一切出ていない。
    なぜこの程度の証言でそこまで言い切れるのかまことにもって理解不能。

  • 福丸さんへお返事 ネタバレ

    2007/02/16 by 理屈屋

    福丸さん、返信を頂きありがとうございます。

    ご指摘の点に反論します。
    1被害者の証言について
    「作り話ができる」と主張しても意味がないんです。「作り話をしている」と立証しなければならないんです。
    しかも、立証と書きましたが、完全に証明する必要はありません。「作り話かも?」と疑わせる程度で良いんです。
    しかし弁護側はその程度の立証も出来ていない、というより痴漢行為があったという事実を、そもそも争わなかったんです。

    2被告人の真犯人の主張について
    「被害者の左後ろにいた太った男が怪しい」という被告人の主張に対して、裁判官は「もしそうなら、あなたが気づくはず」と指摘し、被告人は「そんなの知らない」と答えました。
    被害者の証言とは対照的に、被告人の発言にはいい加減さを感じます。被害者は「袖を掴んだのですね」などと何回も聞かれ、その都度「はい、掴みました」などと言いきっています。
    被害者が可哀想だから、あるいは女だから信じ、被告人が男で痴漢を疑われるような奴だから信じない、などという、差別や一方的な理由ではありません。

    3ゴソゴソについて
    満員電車の中で、しかも女性の背後で、ゴソゴソ動く男がいれば、痴漢を疑われるのは当然ではないでしょうか?
    特に男性を差別したり、被告人だけに酷な対応だとは思えないです。しかも「他にもゴソゴソやっていた者がいた」という証言はどこからも出ていないのですから、その場所で痴漢がありました、ということになれば、真っ先に疑われるのは止むを得ないでしょう。
    有罪判決を受けてしまうことについて、被告人に全く何の落ち度もなかったとは言えないと思います。

    以上、被害者の女性のいう事を信じ、被告人の弁明を信じられない等の理由です。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/16 by 未登録ユーザ福丸

    >「作り話ができる」と主張しても意味がないんです。「作り話をしている」と立証しなければならないんです。

    悪魔の証明って知ってるかい?
    痴漢に会ったというなら痴漢されたと言う証拠をだすのは女性の方だ。
    証拠と言うのは証言ではない。

    >その都度「はい、掴みました」などと言いきっています。

    人間の記憶の曖昧さは上で語っている。
    一度そう思ったら柳も幽霊だと主張しつづけるのが人間だ。
    なんら証拠にはならない。
    言い切るだけならウソもつける。
    それよりも一切意識していない時の状況をしっかりと答える方がおかしいだろう。
    男性が覚えていなくても仕方のないことだ。
    それとも女性は加害者の袖の繊維でも持っていると言うのかね。

    >満員電車の中で、しかも女性の背後で、ゴソゴソ動く男がいれば、痴漢を疑われるのは当然ではないでしょうか?

    だからその考えが男性差別だと言っている。
    俺はアトピー持ちで背中が痒くて仕方がない時がある、それでも我慢しろ動くな。
    あるいは電車に乗るなとでも言うのかい。
    これが落ち度か??
    人によって理由は色々あるだろう、乗り物に弱い人もいれば人ごみがダメな人もいる。
    それらをいっさい無視して落ち度といいきるキミはいったい何様かね。
    さらに真っ先に疑われるのと実際に痴漢していたのとでは憂い伝の差だ。
    キミのいってるのは戦争中だったからレイプはあった、だから日本軍はレイプをしていたとこじつけてる人と全く同じだ。
    痴漢があったのなら確実な証拠を提示すべきは被害者だと言う女性だ。

    最後に信じる信じないという回答になってるのがキミの完全な間違いを露呈している。
    犯罪の有無は誰かを信じるとかという問題ではない。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/16 by ekoeko

    刑事事件で有罪になるのは
    原則としては
    現行犯としてその場を押さえた場合か
    確実な物証がある場合だ、
    と思います。たぶん。
    この映画の場合は
    この原則を厳密に適用したら
    無罪なんじゃないでしょうか。
    だから、
    映画の中でも言われているわけですね、
    被害者の女性は
    触ってくるその手をつかんではなすな、と。
    それなら現行犯です。
    しかし、どこかで聞いたハナシですが、
    痴漢については
    被害者の女性を救済する、
    というのが流れになっているそうで。
    その場を押さえるとか、
    確実な物証だとか、
    そこにこだわると
    女性を守れなくなる。
    だから、女性の証言だけでも、
    矛盾さえなければ
    容疑者を有罪にできる、と。
    そういう流れから言うと
    たしかに、
    この男、有罪になってもしかたない、
    と言えるかもしれません。

    ところで、
    若い女性に車内での携帯電話の通話を注意したら
    その女性に痴漢で訴えられた、
    という人のことを聞いたことがあります。
    さすがに告訴はされなかったみたいですが。

  • 福丸さんへ更にお返事 ネタバレ

    2007/02/16 by 理屈屋

    福丸さん、素早い返信ありがとうございます。

    さて、福丸さんが立証責任について触れられたので、まずそれについて。

    最初に検察が、証拠を提出して被告人の有罪を立証する。
    次に弁護側が、検察の提出した証拠の「信用性を崩す」。
    時々、弁護側から無罪を立証する証拠を提出し、その場合には検察がその証拠力を「否定」する。
    この繰返しではないでしょうか、裁判は。

    ちなみに、弁護側は「信用性を崩せば足り」、検察側は完全に「立証または否定」しなければなりませんね。

    映画を見る限り、検察の主張についての証拠は既に出揃っているわけですから、これらについての信用性を疑わしめる立証をする、弁護側の番になっているワケです。
    つまり、検察側の証拠である被害者の証言を、信用できないとする責任は弁護側にあり、なぜ信用できないかの証拠を挙げなければなりません。
    時に被害者の証言が信用できないという証明は別に「悪魔の証明」ではありません。被害者の記憶がどの程度正確なのかを示すことで足り、何かが「ない」ことを証明するものではありません。

    それに私が見る限り、弁護側は「痴漢行為があったこと自体」は認めています。犯人が被告人であることのみ否認しているようです。
    ま、いずれにしても、被害者の証言が「嘘である」とか「記憶違いである」と主張するには、一般論ではなく、“彼女が”嘘つきであるとか記憶力が弱いということを示す、それなりの根拠が必要だという私の意見をご理解下さい。

    次に男性差別について
    「満員電車の中で、しかも女性の背後で、ある程度の年齢の男性がゴソゴソ動く」ことを「痴漢では?」と疑う事は男性差別でしょうか?
    私にはそう疑うことに一定の理由があるように感じられます。
    「差別」とは“合理的な理由なく”他者と異なる扱いをする事だったりすると考えられるので、一定の合理的理由があると考えられる「痴漢疑惑」は、差別とは言えないのではないですか?
    泥棒と疑われるようなことをしておいて、疑われたら差別だと騒いでも、誰も納得してくれないと思いますよ。
    被告人の行為は迂闊過ぎて、ハッキリ言って非常識でしょう。被害者に「やめてください」と言われる前に、前にいた女性に睨まれた時点で気づくべきです。
    同情できるレベルではないと思いますがどうですか?

    もし福丸さんが、満員電車で、それも女性の背後で、背中が痒くなったら、誤解を受けないよう工夫をせずゴソゴソしていたら、痴漢に間違われたとしても「差別されて可哀想」と同情してくれる人はいないんじゃないかと思います。気をつけてください。

    最後に信じる信じないについて
    福丸さんが、被告人の証言と被害者の証言のどっちが信用性が高いか?という感じの疑問を呈したと思ったので、被害者の証言の方が信じられると答えました。

    言いかえるなら、被害者の証言の方が被告人の証言よりも証拠能力が高いです、あるいは、判断の根拠としうるのは被害者の証言の方です、などと言えば良かったですか?
    意味は同じだと思いますが。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/16 by 未登録ユーザ福丸

    >映画を見る限り、検察の主張についての証拠は既に出揃っているわけですから、

    はあ。
    だからね。
    キミの言う証拠とは単なる女性の証言であって証拠ではないと言ってるんだがな。
    まずちゃんとした証拠を挙げなさいよ。
    ああ袖とかゴソゴソとかはもう良いよ。
    それも単なる証言だから。
    なんで女性の証言だけで証拠と言い切れるのかまったく理解できない。

    >満員電車で、それも女性の背後で、背中が痒くなったら、誤解を受けないよう工夫をせずゴソゴソしていたら、

    はいまた男性差別しました。
    なぜ工夫が必要なのか?
    “合理的な理由”などが必要なのか?
    そんなものがなければ電車内においてゴソゴソしただけで男性は犯罪者なのか?
    疑われるのか?
    その感覚がもう差別主義者のそれなんだよ。
    言ってること判ってるか??
    では逆に女性が後ろでゴソゴソしていたら痴女と間違われても仕方がないと言えるのか?
    またキミは落ち度と言っている。
    男性だけに強いる工夫やら気をつけなければ落ち度と取られる法整備は差別以外の何物でもないだろう。
    なんど差別すれば気が済むのか。

    >被害者の証言の方が被告人の証言よりも証拠能力が高いです、

    証拠ではないたんなる証言だ。
    証言を証拠とするから大いなる勘違いが起こる元凶である。
    そして判断とやらもどうとでもウソがつける以上証拠にはならない。
    何度も同じ事言わせないでくれ。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/16 by 未登録ユーザ福丸

    付け加えるが

    >泥棒と疑われるようなことをしておいて、疑われたら差別だと騒いでも、誰も納得してくれないと思いますよ。

    人の家をジロジロ覗いて人がいないことを確かめドアをガチャガチャやってカギ穴に針金でも入れてたら 男性 女性 限らず疑われても仕方がないだろうね。
    で。
    電車で 男性 だけがゴソゴソしていたら痴漢だと疑われても 落ち度 だ。
    男性は“合理的な理由”がなければ身じろぎ一つするな。
    これの違いが判らないならもういいや。

  • ekoekoさんへお返事

    2007/02/16 by 理屈屋

    ekoekoさん、初めまして(ですね、たぶん)。
    コメントを頂いてありがとうございます。

    > 刑事事件で有罪になるのは
    > 原則としては
    > 現行犯としてその場を押さえた場合か
    > 確実な物証がある場合だ、
    > と思います

    に加えて「自白があること」だと思います。
    なので、直接の物証がなく、自白もない「和歌山毒入りカレー事件」などが注目されることになりますね。
    あの事件も自白があれば、文句なく有罪なのでしょう。
    「人質司法」が行われたりするのも、このためでしょう、たぶん。

    「自白の強要」とか「人質司法」などが行われる理由が、“厳密な意味で”「疑わしきは罰せず」を貫きたいがためだとしたら、本末転倒なことでとても残念です。

    そんなことなので、「合理的な疑いの余地」とは本来どういうことか?を議論したくてこのスレッドを建てたのですが、話が少し違う方へ行ってます。
    これはこれで自分的には面白いので良いのですけど。

  • 証拠と差別について>福丸さんへ

    2007/02/16 by 理屈屋

    福丸さん、たびたびすみません。

    証拠について
    証人の証言は、人証といって証拠ですよ。
    物的証拠を物証、書類の証拠を書証などと言うのと一緒で、みんな証拠です。
    だから証拠がない、というのは主張がそもそも変です。

    差別について
    1満員電車の中、2女性の背後で、3男性が、4ゴソゴソするという条件の上で、「痴漢に疑われる」という可能性を指摘しています。
    それを単に「電車でゴソゴソしたら痴漢か?」と言い換えて、「あなたは差別主義者だ」という反論も、おかしいです。

    女性の背後なので、“男性が”痴漢と誤解されるだろうといっているのです。当たり前の事を言っているだけです。男性の後ろで男性がゴソゴソしても痴漢とは思われないと思います。
    また、良くは知りませんが、絶対数が少ないと思われることから、男性の背後で女性がゴソゴソしても「痴女」と誤解されるというのは、一般的に常識なっているとは私には断言できません。

    しかし、繰返しますが、
    満員電車で、女性の背後だと分かっているのに、男(しかも男だけ)が、敢えてゴソゴソしていたら、そりゃ痴漢と間違われるだろ!と考えても、差別と言うほど合理的な理由ナシ!とは言えない常識だろうと思うのですが…。

  • 推定無罪を主張します ネタバレ

    2007/02/16 by 倉島穂高

     最初におことわりしておきます。例によって私の大真面目な反論はクソ長いです。簡潔に書く才能がないのです。お許しください。
     私の最初のレスはたとえが悪かったですね。私が言いたかったのは「これこれこうなら主人公の有罪もやむなし」ではなくて、「主人公を有罪と判断するまでにふむべき手続きがまだまだ山ほどあるだろう」だったのですが、言葉足らずなうえに筆が滑りました。
     私も数え切れないほど痴漢の被害に遭ってきましたので、痴漢被害であるいは傷つき、あるいは憤る女性全般にシンパシーを感じます。その気持ちにうそ偽りはありませんよ。それでも私はこの映画の主人公を疑問の余地なく有罪と決めつけるわけにはいきませんね。主人公の内なる声が「それでもボクはやってない」と言い、彼の家族や友人がこぞって応援していることは関係ないですよ。だって、実際にやっていようがいまいが、冒頭のオヤジみたいに「やりました、ごめんなさい」と言わない限り、選択肢は徹底抗戦しかありえないし、身内は無実を信じるに決まっていますからね。その点で私自身に予断がないことを明言しておきます。つまり、役所広司から弁護人を押し付けられた時点の瀬戸朝香弁護士と同じ立場です。
     私の結論だけ先に言ってしまうと、「主人公である被告が無実であるかどうかはわからないが、無罪は確実」です。決定的な点は、先に私が挙げた「彼女が嘘をついている可能性」です。この場合の「嘘」は意図的につく嘘だけでなく、「結果として嘘になる証言」=誤った思い込みも含みます。ここのところの認識が、理屈屋さん・TAKEGONさん陣営と福丸さん・理想論さん・taruさん・倉島陣営とでは真っ向から対立しているのですね。
     唐突ですが、原爆手帳(被爆者健康手帳)の交付を受けるには、原爆投下の日に被爆地にいたと証明する2人以上の証人が必要なことはご存じですか?(実際にはもう少し流動的に運用されるルールのようですが) 私は高校生くらいの頃にテレビドラマの『夢千代日記』で初めてそれを知って、とても理不尽なように感じました。被爆者には何の落ち度もなく、100%の被害者なのになぜそんな証人が必要なの?! それってあまりにも厳しくイジワルなルールじゃないの?! 現に夢千代さんだって白血病に苦しんでいるのに!!と。でも、被爆者としての優遇措置を受けるには、被爆の事実を客観的に証明しなきゃいけないんです。性善説に基づいて無尽蔵に医療費給付等をするわけにはいかないのが現実なんですね。
     原爆投下のように、その日その場所で起こったことが確実であり、被害者には絶対的に何の落ち度もなく、医学的にも重大な後遺症をきたす事象ですら、存在証明は客観的でなければならないのですよ。「被害者が嘘を言っているとは思えない」程度で強制わいせつ罪が成立するなんて、それこそ理不尽きわまりないとは思いませんか? 「確かにあったと『感じられます』」じゃダメなんですよ。それじゃ古代ギリシャのフリュネの故事とまったく変わりないじゃないですか。
     少なくとも、「事実の認定」は物証か目撃証言がなきゃできません。これ、裁判の鉄則でしょう? どんなに心証があやしくても、客観的証拠がなければ有罪にしてはいけないのですが、(ここがこの映画の巧妙な点なのですが)この主人公の事件において、警察はなぜか冒頭のオヤジに対しては行った「繊維の採取」を行っていません。第三者の目撃証言も取り合わずに追い返してしまい、実況見分もいいかげんだった。そのせいで、存在したかもしれない証拠が失われてしまったのでした。この証拠が「やった証拠」であれ、「やってない証拠」であれ。なので事態が紛糾した、というのがこの映画のキモだと私は考えています。折しも、兄による妹のバラバラ殺人事件の重大な証拠物件を警視庁がとんでもないポカミスで紛失しましたね。強制わいせつ罪程度の事件の証拠紛失なんて日常茶飯事なのかも……周防監督の着眼点の鋭さを、現実の事件が証明する形になってしまったな。
     ですから、私は主人公の青年が本当に痴漢をしたのかどうかは「双方の証言を聞いても判断できません」。同様に、被害者を自称する少女が実際にあった(と彼女の主観として感じた)ことをうそ偽りなく証言したのかどうかも「判断できません」し、「どちらという心証も持てません」。彼女が嘘を言う理由があるかないかは「私にとっては情報が少なすぎて判断できません」。そもそも現実に痴漢行為が(実行犯が誰かということはさておき)存在したのかどうかも「証拠がないため判断できません」。よって、「推定無罪」です。ただし、私も常習的な痴漢の顔を何人も見た経験があるため、裁判を実際に傍聴してみれば「あいつはやってるな」という心証を持つ可能性はあると思います。それでも、常習犯ではなく出来心でうっかりやってしまった犯人を見分けるのは難しいでしょう。
     あと、「心証」を重視するのであれば、私が最も信頼に足る心証を持ったのは、被告側の証人であるOLさんです。嘘を言う理由が見当たらないのは、原告(正確には検察側の証人なんでしょうが)少女よりもあのOLのほうではありませんか? 傷つき、怒り、動転している当事者よりも、利害のない(あれば検察側が調べて追及しているはず)第三者のほうが冷静な客観性という点でより信頼できますし、彼女が裁判で証言することで何ら利益を得ないことは明白です。それどころか、敵方から痛くもない腹を探られ、公の場で攻撃的な(時には屈辱的な)言葉を浴びせられることは必至。しかも、彼女もまたうら若き女性であり、満員電車を利用するOLなのですから、まず間違いなく痴漢被害に遭ったことがあるはずです。だからこそ「これこれこういう人がやったとは考えにくい」という具体的な意見を持っているわけで。彼女が証人でもない、まったく完全な第三者であればおそらく、少女のほうにシンパシーを感じるでしょうね。
     もちろん、OLさんの証言は「被告がやっていない」ことに対する証拠能力を持たないのは理屈屋さんのご指摘のとおりです。だとするならば、少女の証言だって「被告がやった」ことに対する証拠能力は持ちません。そこのところ、フェアに扱わなきゃいけませんよ。なぜ理屈屋さんはOLさんの被告に対する心証を信用せず証拠能力なしと退けておきながら、少女の心証(ここ、うんと強調しておきますが、彼女の証言も「心証」の域を出ないことを忘れないでください。証拠がないんですから)のほうは全面的に受け入れてそれを証拠として採用されるのですか?
     そもそもの出発点が違うのですね。私は「痴漢行為があったという事実」は認定されていないと思っているのです。もちろん、「なかったという事実」も認定されていません。「嘘をついている可能性」=「信用できなさ」においては、主人公も少女も同等とみなしていますのでね。なんでそこに「こっちのほうが信頼できるかも」というフィルターがかかってしまうのかが、むしろ不思議でしかたないです。
     で、理屈屋さんの最初の疑問に戻りますが、私も周防監督が真犯人を誰と目しているのかはわかりません。でも、監督の言いたいことで、今のところ誰も指摘してなさそうなことがひとつ思い当たります。そもそも彼はなぜこの題材を映画という手法で表現したのか? 彼ほど有名な監督なら、コメンテーターとしてこういうことを言う機会はほかにいくらでもあるでしょうに。「それは彼が映画監督だからである」、はい、ごもっとも。では映画とはどんな媒体でしょう? それはここに集う私たち映画ファンならよく知っていますよね。「役者が架空のストーリーをあたかも本当のように演じる」「観客はそれが嘘とわかっていても本当のように感じてしまう(のが理想的)」……これを中心に成り立っています。本当のように演じられない役者は、私のような映画ファンから罵声を浴びるわけです。人間は芝居を演じ、その芝居にだまされる動物である。だから証言のみを鵜呑みにしちゃいかんよ、証言のみしかない状況にならないようにしなきゃいかんよ、というのが監督のココロなのではないかと。

     すみません、長々と書いているうちにレスが増えました。私は理屈屋さんの「福丸さんへお返事」まで読んだところでこのレスを書き始めましたので、それより後のレスには言及しておりません。

     最後に、福丸さんへ。私の意見は上記のとおりであり、当初の発言には不備があったことを認めます。それでも、なぜ私の発言が「見上げた差別主義者」にあたるのかが何度読んでもわかりません。誤解があるようでしたら釈明したいですし、無自覚的な差別があるのだとしたら自分で気づいて直すのは至難ですので、具体的に指摘していただけませんか? スレ主でもないのにこういうお願いをする権利はないのですが、スレッドの趣旨からははずれず、しかも議論の内容にもかかわる重大なポイントになりうると思いますので、ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。

  • 付け足し >福丸さんへ

    2007/02/16 by 理屈屋

    たぶん誤解をされていると思われるので、付け足し。

    満員電車の、女性の背後で、男が、ゴソゴソしていたら、
    「痴漢に間違いないッ!」「痴漢だ!そいつは!」
    と言っているのではありませんよ。

    「痴漢と間違えられる」だろう、「痴漢だと思われる」だろうと言っていて、そう思われてしまう事について、その人にも落ち度賀があるのでは?と言っているのです。

    誤解のないようにお願いします。

  • 冤罪を防ぐ最後の砦 ネタバレ

    2007/02/16 by カイタカケン

    こんにちは、理屈屋さま。

    レスしようかどうか迷っていたのですが(笑)
    朝日新聞に周防正行監督が寄稿なさっていたので、それを書きますね。

    この作品を作るきっかけとなったのは、02年12月に、たまたま読んだ朝日新聞の記事だった。
    痴漢事件の一審で有罪判決を受けた元会社員の被告人が、2審の東京地検で逆転無罪になったと言う内容だった。
    逮捕され、会社を辞めざるを得なくなり、それでも2年間、無罪を訴え続けた男性と彼を支えた妻、大学時代の友達の闘いに興味を持ち、取材を始めた。
       ……中略……
    その過程でまず驚いたのは『疑わしきは被告の利益に』と言う刑事裁判の原則が守られていないことだった。

    裁判は本来、検察側の有罪立証に対して、弁護側が合理的な疑問をさしはさむ事ができれば無罪なのだ。
    ところが、実際は捜査権の無い弁護側が無実の証明をしないと無実を勝ち取るのは難しい。

    取材のきっかけとなった痴漢事件の裁判でも、被告人と支援者、弁護士が電車内の再現ビデオなどを作って法廷に提出するなどし、被告人には犯行が不可能であった事や、被害者が犯人を勘違いした可能性を指摘した。
    本来、こうした検証作業は捜査する警察、検察側の仕事の筈だ。
    裁判官は検察側に対して『被害者証言の信用性を裏付ける証拠が無い』事で、その有罪立証が不十分である事を指摘すべきだが、それがなされていない。
    その結果、弁護側が無罪証明をしなければならない事態になっている。
    本来の司法の姿から外れているのだ。

    裁判を傍聴した限りでは、痴漢被害者の証言がほぼ一貫していれば、その信用性が認められ、それだけで被告人の有罪が決まってしまう。
    被告人の言い分は殆ど考慮されない。
    有罪判決が出る有罪立証のレベルが分ると、検察側はそれに沿って起訴をする。
    その結果、刑事事件で起訴された場合の有罪率は99.9%という驚くべき数字になっている。
    公判で十分に審理を尽くした『結果』なら問題ないが、もはやその高い有罪率は『前提』になっているように思えてならない。

    こうした裁判を公平なものにする責任は裁判官にある。
    警察や検察は犯罪を捜査し容疑者を逮捕、起訴するのが仕事だ。
    時には捜査ミスをしたり誤認逮捕をしたりする事もあるだろう。
    それを正すのが裁判官の仕事である。

    裁判官が『疑わしきは罰せず』という原則を貫き難くなっている事情を考えると、その背景にあるのが刑事裁判での有罪率99.9%という数字ではないか。
    裁判官は無罪推定に立って公判をスタートするのが建前だ。
    だが、有罪率99.9%という現状では、中々無罪推定に立てないし、無実の確証が無い限り無罪判決を出し難い。
    また、元裁判官が書いた本を読むと、無罪判決を出す場合、不安なのが上級審で判決が覆らないかと言う事だと述べている。
    裁判官は無実の確証が欲しいのである。
    検察側の有罪立証に対して、弁護側が合理的な疑問を差し挟んだだけでは無罪判決を出し難い理由はここにある。
     
    しかし、最終的に無実の罪に問われた被告人を救う事が出来るのは裁判官だけだ。
    冤罪は、殆どの場合が警察官や検察官の思い込みや捜査ミス、時には弁護士の怠慢などで起こる。
    誤って有罪判決を受けた被告の人生は取り返しがつかない。
    痴漢冤罪事件でも、会社を辞めざるを得なかったり、人間関係が壊れたり、本人や家族の精神的、経済的なダメージは計り知れない。

    映画の初めに『十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜を罰するなかれ』と言う法格言を掲げた。
    少なくとも、被告人が無罪を主張している裁判は、十分過ぎるほどに慎重な審理を尽くした上で判決を出して欲しい。
    冤罪を防ぐ最後の砦となるのが裁判官なのだから。

  • 「落ち度」を証拠に採用するのは諸刃の剣 ネタバレ

    2007/02/16 by 倉島穂高

     理屈屋さん……
     私も息子を持つ母親なので、口を酸っぱくして「李下に冠を正さずだよ!!」と教育しております。しかし、しかしですよ。「疑われても仕方がない」と「それによって有罪とみなす」の間には、安易に越えてはいけない一線がくっきりと引かれていると思いますが。
     疑わしい行動を「落ち度」とカウントされてしまうのでは、レイプされた女性が「挑発的な恰好をしているほうも悪い」と言われるのと同じじゃないですか。被害女性が良識を疑うような露出度の高いセクシー服を着てレイプされたとしたら、レイプ犯の罪状が軽くなるのでしょうか? そんなこと、あってはならないですよね。同様に、モゾモゾとあやしい動きをしていたことが客観的に明らかだからといって痴漢の実行犯であると決めつけることも、あってはならないのでは? それによって「心証」がある方向に傾いてしまうのは、裁判官とて人間だからいたしかたありませんが、「事実の認定」や「罪状」の決め手にするのはNGでしょう。原告・被告双方にとって。
     くどいようですが、この映画の裁判は、少女の側にも何一つ証拠(物証もしくは目撃証人)はないんです。なのに主人公が裁判の被告になっているのは、現場で逮捕されて否認したからです。「痴漢行為が事実と認定されたから」ではないですよ。実際にやったかどうかは関係ありません。刑事裁判の原告は検察ですからね。主人公の青年が確実に痴漢行為をしていたとしても、現行犯逮捕されていなければ参考人として任意出頭を求める以上のことは、警察にも検察にも不可能でしょう。物証か目撃証言がない限り。
     つまり、刑事裁判はまず「起訴内容が事実かどうかの検証」から始まるべきで、最初の裁判官はそこをきちんと糺そうとしていましたよね。被告が否認しているのに、最初から「事実である」と認定してしまうのは裁判のあるべき姿ではありません。まさに役所広司弁護士の台詞どおり「99.9%有罪が前提になってしまっている」という事態です。
     ……と、ここまで書いたらカイタカケンさんのレスがつきました。周防監督の真意をしっかり文章で読むのは私も初めてです。私の意見と矛盾しない内容だったのでホッとしています。

  • 被害者の証言の信用性について ネタバレ

    2007/02/16 by 理屈屋

    倉島穂高さん、カイタカケンさん、コメントをありがとうございます。

    お二人のご指摘の趣旨として「なぜ被害者の証言をそんなに信用するのか?」という点で共通していると思いますので、その点について書きます。

    私が被害者の証言を重視する最大の理由は、「彼女が、彼女の右でん部を触っている“手を見た”、“袖を掴んだ”」と証言している点です。もし第三者がその手を見、袖を掴んでいれば、話は有罪で決まってしまう“事実”です。
    この証言は犯罪の構成要件となる「事実」についての証言なんです。
    「手を見た気がする、袖を掴んだと思う」と証言したのではないんです。
    「確かに見たのですね」と前任の裁判官や弁護士に念を押されても、全く動揺した様子なくしっかりと肯定していました。

    それに対して、隣にいたOLさんの証言は「この人はやってないと思う」という彼女の全くの主観に過ぎません。それよりも被告人がゴソゴソと動いていたという「事実」に対する間接的な証拠として採用されるべきでしょう。

    そして被害者の証言を信用する何よりの理由は、被告人も弁護士も、被害者が手を見た、袖を掴んだと言っているのを全く否定していないことです。
    それどころか後の再現立証は、被害者が犯人の袖を掴んだことを前提にしているのです。これはどう考えてもおかしいです。左後ろにいた男の話とも重複しますが、そういう事実があるのなら、被告人本人が気づくはずです。でなくともその話を聴いたとき、被害者の証言は不自然であると真っ先に考え、訴えるべきなのは、触っていないと主張する被告人本人のはずです。

    私も被害者の証言を鵜呑みにしているわけではないので、もし被告人が被害者の証言が不自然であると否定し、弁護士が証言の曖昧さをつき、被害者が動揺したりして、少しでも「嘘では?」と思う余地があれば、自信を持って無罪で裁判は終わりです。
    敢えて「有罪である」などという投稿をして、こんな文章を書いていることはなかったんです。
    私より誰よりも、被告人と弁護士こそが、被害者の証言が真実であることを認めてしまってはいないでしょうか?

    以上、簡単にいうと、被害者の証言は犯行の目撃証言であり、被告人と弁護士が揃ってこれに異を全く唱えていません。
    この2点が、他の証人の証言などと併せて、被害者の証言を重視し、信じる理由です。

  • 被害者証言の信用性 ネタバレ

    2007/02/16 by カイタカケン

    理屈屋さま

    弁護側は目撃者のOLさんを探す為に、駅でビラを配っていましたね。
    この時、弁護側は駅の敷地内にも入れませんでした。
    当時の事情を駅員に聞こうにも、『捜査権』を持たない弁護側は協力さえしてもらえませんでした。
    被害者証言の信用性を裏付ける証拠をださなければならないのは『捜査権』を持つ、警察、検察側です。


    おそらく理屈屋さまは、推定無罪の原則“疑わしきは被告の利益に”を厳密に適応すれば、か弱き被害者の利益や立場を著しく損なう恐れが出てくるのでは?と考えていらっしゃるのじゃないかと思うのですが(←もし、違っていたらごめんなさい)
    被害者の女性が痴漢を訴えるには、現行犯逮捕で、しかも周りには複数の目撃者がおり、痴漢の手を一度も離さずに駅長室に引っ張っていける場合しか不可能になってしまいます(笑)

    一人の冤罪を出さない為には、被害者の利益を損なってもいいのか…
    私はこれがこの作品の重要な所だと考えてました。
    時間がないので、この点は明日お返事しますね。

  • 裁判員制度が恐ろしくなってきたぞ。。(苦笑)

    2007/02/16 by taru

    職場のPCからレスを付ける訳にはいきませんので返事が遅れがちですが、お許しください。でも、その間に他の方のご意見も色々出て来て、大変参考になりました。同じことを繰り返して書いても意味がないので、反論というよりは一寸した感想めいたことを少し書かせていただきます。

    >三つ、被告人が10分程度の間、被害者の後ろでゴソゴソ動いていたという事実が複数の証言から動かせないこと。

    >満員電車の中で、しかも女性の背後で、ゴソゴソ動く男がいれば、痴漢を疑われるのは当然ではないでしょうか?
    特に男性を差別したり、被告人だけに酷な対応だとは思えないです。しかも「他にもゴソゴソやっていた者がいた」という証言はどこからも出ていないのですから、その場所で痴漢がありました、ということになれば、真っ先に疑われるのは止むを得ないでしょう。
    有罪判決を受けてしまうことについて、被告人に全く何の落ち度もなかったとは言えないと思います。

    私などは、このゴソゴソ動いていたということだけで、この被告は無罪だと断定してもいいくらいのものだと思っています。

    そもそもこの日本の痴漢の多さというのは、根本的に朝夕のラッシュアワーに電車の本数が少ないということに原因があり、否が応でもむちゃくちゃに電車に詰め込まれてしまう、そうしないと職場に遅れてしまうという、いつまで経っても改善されない現実に起因している訳ですね。それに紛れて卑劣な痴漢行為をする人間も出てくる訳ですが、出来心とか偶然さわってしまったとか、さわりたくもないのに押し付けられてしまったとかいうのとは違って、意図的に狙ってやる痴漢行為というのは、他の人から見て、何かゴソゴソやっているなと分かるようなやり方ではやりませんよ。(多分。)テレビのある報道番組では、何人かがぐるになって他の人からは見えないようにして狙った女性に痴漢行為をする卑劣な例もあると言っていましたが、本当に悪質な場合は、電車から降りたらさっさと人ごみに紛れて逃げてしまったりして、映画の彼のようにのこのこ車掌のところに出かけたりもしないでしょう。

    ですから、女性の後ろでごそごそしていたり、車掌の所へのこのこ出かけたりしている段階で、少なくとも悪質な痴漢行為者ではないだろうなということは、ラッシュアワーにもまれた経験のある人なら分かることではないでしょうか。だからこそ、隣にいたOLも彼が後ろでごそごそしていたのは服をひっぱっていたのであって、痴漢行為をしていたのではないと、実際に見ていなくても分かった訳です。少し離れた所にいて、女学生が彼を捕まえた時に駆けつけた男は、善意の協力者というよりも、人の不幸をおもしろがって騒ぎ立てるただのバカだと思います。

    実際主人公は、服をドアにはさまれ、次の駅で降りるには服を取らねばならないと思い込んで必死にひっぱっていただけであり、それを「落ち度」と言われたのでは本当に危なくって、おちおち外も歩けなくなります。

    >私は裁判員制度には不満もありますが、賛成です。
    司法権の一端を国家権力・公務員などでなく、国民が担えるということに、かなりの喜びを感じます。
    一端などと言わず、全部を国民の手に!と叫びたいくらいでございます。

    う〜〜ん。わたしは裁判員制度が恐ろしくなってきましたよ。

    >本作(件)の場合「他に犯人があり得ない」という確信を以って「被告人を有罪とする」ことに私は同意できると思うに至ったのですが、その考えはいかがなものでありましょうか?
    彼がやっていないとしたら、誰がどうやってやったのでしょう?私にはそれが思いつきません。

    などと煽られて「有罪」判決が出るとしたら、本当に恐ろしいことになってしまいますね。。

  • 倉島穂高さん・・・理屈屋さん

    2007/02/16 by 未登録ユーザ福丸

    倉島穂高さん。
    >「嘘をついている可能性」=「信用できなさ」においては、主人公も少女も同等とみなしていますのでね。

    判っておられるようでホッとしています。
    それと、こちらも言葉がきつかったようです。
    その点は謝罪します。

    >、「やりました、ごめんなさい」で許されてしまうという現実があるのだから、

    この映画を観て裁判と言うものが判っておりその上ちょっと調べればこれが 男 性 側 だけにどれだけの負担をかけているのか容易に知ることが出来ます。
    裁判になるそれだけで社会人であるわれわれにどれだけ不利益が起こり時には会社を辞めなければならなくなり家族や親類への説明近所からのあらぬ噂。
    有罪でもないのに裁判というだけで 男 性 側 だけに発生するのですよ。
    倉島穂高さんはバランスと言われていますがこれがフェアですか?
    それが今の法制度であり男性差別の現状です。
    それが女性を守るためかどうか知らないが一言やったと言えば示談金だけで回避される。
    誰がそれを責めれますか。
    無実なら全員が戦えと言うんですか。
    どれだけの男性が一部の女性の生贄になっているのか、女性にも考えてもらいたいと思いますね。
    最後に。
    むろん痴漢は許されざる犯罪であって本当にやったのであれば全員チンチン切るくらいの事はしていいと思ってます。


    理屈屋さん・・・。
    なんかもう女性の証言だけを完全に 信 じ ち ゃ っ て る んですね。
    柳幽霊状態のようで。
    何を言っても無駄なようなのでもう良いです。
    俺も同じく裁判員制度ができて理屈屋さんみたいな人が選ばれてゴソゴソしてただけで 男 性 側 の 落 ち 度 なんて言われて有罪にされたら怖くて外も歩けなくなるだろうな。
    冤罪だらけの世界になりそうで大反対だわ。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/17 by 未登録ユーザパロール

    「疑わしきは罰せず」
    信じる信じないなんて言葉を裁判官に適用にしてはいけません。
    信じない人も納得せざる得ない情報でやり取りしなければなりません。
    裁判は本来そういうルールということです。
    なのに、心証で、とりあえず有罪を決めるのは、ルール違反です。

    陪審員制でも、全員一致でなければならないのもルールです。

    理屈屋さんが彼を有罪だと思うのは、かまいません。
    理屈屋さんは、心証で判断出来る立場だから。
    でも、理解して下さい。あなたは12回の公判のすべての情報を聞いたわけじゃない。

    検察側は被害者を信じる。(嘘だとしても)
    弁護側は被告人を信じる。(嘘だとしても)
    裁判官はそれを裁く立場にいるのだから。
    裁判官は、少女に傾いているのではなく、起訴した検察に傾いたり、弱者に傾いていてはいけない。

  • でも有罪 ネタバレ

    2007/02/17 by TAKEGON

    うはー すごいですね

    実際に裁判員制度が始まったら、圧倒的な少数派になりそう。
    でも、人にどういわれようと、映画の中に私が裁判員として存在していれば「有罪」に手をあげます。

    「女の子の自作自演」ということも世の中にはあるようですが、本作の場合は、映像の中からそれを読み取ることはできません。なので「犯行はあった」と考えてます。また、女の子証言を鵜呑みにしちゃイカンという考えもありましょうが、おれは信じました。

    徹平は神の前では無罪であっても、少なくとも道徳的ではありません。

    1.満員電車へのかけこみ乗車
    2.女の子と密着が想定されるのに、股間があたるかもしれない体制で乗り込んだ
    3.そんなところでモゾモゾ動いた
    4.痴漢モノDVDを所有

    痴漢モノDVDを持ってると「道徳的でない」のか、、はたまた、鑑賞するのと、実際に行為に及ぶのは「全く違う」という考えを持つ人が多いと思います。が、私の道徳からみると「痴漢・強姦・ロリータ」は完全にOUTです。
    おれのような「差別的なヤツ」も裁判員になる可能性があるわけですから、非道徳的なエロDVDを所有してる方は、満員電車で「間違われないように」注意しなければいけません。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/17 by 未登録ユーザパロール

    映画だから、その時の車内の映像がうつりますけど、実際は言葉と再現ビデオだけです。
    言葉だけでは、解釈はいろいろになるでしょう。
    目撃証言や自白などの複数の言葉で補足しなければならない。
    自白さえ冤罪では覆ることもある。
    映画にでも、調書は刑事の作文だと語られます。

    誰も指摘しないけれど、裁判で、目撃者が見つかるまで、ドアに裾が挟まったのも確かめてませんよ。
    痴漢はあったと裾が挟まったのは事実になっているわけです。


    それに前から乗り込むなといいますけど、尻と尻がくっつくのはかまわないのですか。
    前の人とカバンを間に挟もうとしたというのも相手に気遣っていませんか。
    ○→カバン○→か、カバン←○○→なら、どちらが道徳的ですか?

    DVD所有でも、例えば、殺人で起訴された時に、殺人鬼を扱った映画のDVD、『テキサス・チェンソー』や『アメリカンサイコ』というような作品を持っていたら、心証が悪くなってもしょうがないといっているようなものです。

    もぞもぞ動くのも、例えば、病気もあるわけです。
    突然、腹が痛くなって震える場合もあります。

    だからこそ、裁判員制度なのでしょうね。
    この制度もきちんと機能することを願います。

  • これは道徳の問題ではありませんが。。

    2007/02/17 by taru

    >TAKEGONさん

    あなたが女性の言い分を信じて、痴漢行為があったと認定されるのはあなたの勝手でしょう。しかし、それを徹平がやったという証拠はどこにもないのに、彼に有罪の手を上げるのは、自覚されていらっしゃるような「差別的なヤツ」というよりも、ただの○○だと思います。

    それに、裁判は道徳を云々する場所ではありませんが、あなたの「道徳」もひどくおかしなものだという自覚はおありなのでしょうか。

    1.満員電車へのかけこみ乗車

    が不道徳な行為だとしたら、毎日の通勤・通学のラッシュアワー時には大量の不道徳者があふれていることになりますが、これは道徳がどうのという話ではなく、日本の社会システムが生み出した悲劇的な光景に過ぎません。映画の彼が満員電車に乗り込んだのも、それを逃すと面接試験に遅刻してしまうから乗らざるを得なかったというだけの話で、道徳とは無関係です。

    2.女の子と密着が想定されるのに、股間があたるかもしれない体制で乗り込んだ

    電車に乗るのに、こういう体勢ではいけませんよとかいう決まりはありませんし、それが不道徳とかいうのは全く違う話です。それなら、後ろから押し込んで女性に密着させた駅員は犯罪幇助罪になりますが、ああいう場合、駅員はお腹の側は押し込むのは難しいですよね、痛いから。ですから、満員の車内に乗り込む場合は、背中を押されてもいいように彼のような姿勢で乗り込むのが普通だと思います。けれども、これは個人の判断の問題で、道徳がどうのという話ではないですね。まして法律的に違反している訳でもなんでもないです。

    3.そんなところでモゾモゾ動いた

    これについては福丸さんも色々書かれていますが、私も同意見ですので、ここにまた書くのは省略します。

    4.痴漢モノDVDを所有

    これが<あなたの>道徳に反していたとしても、彼を法律的に罰する理由にはなりません。というか、もし本気でそんなことを考えていらっしゃしゃるなら、彼を罰するよりも、そんなDVDを社会に出している会社を訴えることをお勧めしますし、そんな会社を合法的に許可している日本政府を糾弾してください。日本政府が合法的に許可しているDVDを持っていることが、何で検察側から責められなければいけないのか?全く理解不能です。

  • 裁判員は○○がなる可能性もあるのです ネタバレ

    2007/02/17 by TAKEGON

    taruさんへ

    わざわざ伏せ字にしていただきありがとうございます。
    バカでもアホでもかまいませんが、私が裁判員になったとしたら、「私の判断の根拠となること」を書きました。
    法に触れなくても、私の道徳(自分で自分を律するもの)では「ダメなものはダメ」なのです。

    >あなたの「道徳」もひどくおかしなものだという自覚はおありなのでしょうか
    伏せ字を使ってまで人の考えを罵倒する「あなたの道徳」はおかしいと思いますが。私自身はおかしいと思っていません。

    >何で検察側から責められなければいけないのか?
    検察から提示された情報に対し、裁判員は個々に「是非」の判断をするのでしょう。

    裁判員にわたしのような○○が選出されると困る人も多いかと思いますが、国の制度なのでしかたがありません。

  • 痴漢の実態 ネタバレ

    2007/02/17 by 倉島穂高

     「ゴソゴソ動いていたということだけで、この被告は無罪だと断定してもいいくらいのものだと思っています」というtaruさんのご指摘に膝を打ちました。言われてみればまったくそのとおりです。盲点でした。
     taruさんのおっしゃるとおり、痴漢はゴソゴソ動いたりしません。常習犯なら電車の揺れに身を任せるふりをしつつ、巧妙にじわじわと近づいてくるし、常習っぽくないヤツはむしろ身じろぎもせず手だけをソロ〜ッと動かします。痴漢とその被害に遭う女性を第三者として見ていると、ゴソゴソ動くのはむしろ被害者のほうなんですよ。中には頭真っ白になっちゃうのか、硬直しちゃう女の子もいますが、たいていの女性は被害になかなか確信が持てず、とりあえず不快な感触から逃げようとしてゴソゴソするんです。私自身も身に覚えがあります。私は魔手から逃げつつ肘鉄くらわすなどということもしていたので、周囲の方々にご迷惑をおかけしたこともあるかもしれません。
     実際に痴漢被害に遭ったことのある私もtaruさんのレスを読むまでそういうことを忘れていましたし、被害にも加害にも無縁な多くの男性はこんなこと知らないんですね。痴漢がゴソゴソ動くというのは、それこそ痴漢モノのDVDのイメージだと思います。ですので、やはり私はOLさんの心証が一番信憑性が高いと感じます。
     ……やはり周防監督、タダモノではないぞ。自称被害者の少女にはいかにもフリーズしちゃいそうないたいけなタイプを選び、主人公の設定はフリーター青年に変えて(確か、実在の主人公は妻子あるサラリーマンでしたよね?)アヤシゲな雰囲気の加瀬亮を据えて観客の「心証」を翻弄しているんだな。
     このスレッドに参加して、「評決は陪審員の全員一致でなければならない」理由がとてもよくわかりました。『十二人の怒れる男』のシナリオを読んでも(以前どこかのスレで書いたとおり、高校時代の英語の授業でそのシナリオを逐一読まされたのです)今ひとつピンときてなかったのですが。裁判員の中にヘンリー・フォンダが1人いれば裁判員制度も健全に機能するのでしょう……理想的な理屈の上では。

  • 冷静に事実だけを見てください ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    皆さん、投稿いただいてありがとうございます。
    議論が盛り上がってまいりました。

    まず、最初に言いたいのは、裁判員制度はこのスレッドのように多くの人の意見が出される可能性が今より高まりますし、警察や検察の面子なども関係なくなるので、冤罪の可能性は今より遥かに減るだろうということです。
    例えば私が裁判官なら、この主人公は有罪ですが、裁判員なら無罪になるでしょう。
    冤罪発生防止という観点からすれば、裁判員制度に不安を感じる必要はないだろうと思います。

    さて、次に本論ですが、皆さんのご意見は事実のみによっているというよりは、事実に対する勝手な解釈によるご意見が多いと思います。
    TAKEGONさんの、被告人が痴漢モノDVDを所有していたことを根拠に採用したり、ゴソゴソやっていたからこそ無罪だという主張は、ある事実を勝手に自分流に解釈してしまっているように思います。

    最初に投稿したときの意図は、誰かが、私の主張に対して「合理的な疑問の余地」を指摘して、無罪の主張をしてくれないかな?ということでした。
    「ゴソゴソしていたからこそ無実だ」では、到底「合理的な疑問の余地」とは言えないです。「ゴソゴソしていた」ということと「触ってない」ということはほとんど無関係、むしろ一般的には「触ってた」と考える方に傾くのが普通ではないかと思います。

    逆に私が提示している、「被害者の主張を弁護側が争っていない」という点についてはどうお考えなのでしょうか?
    彼女は手を見た、袖を掴んだ、と言っているだけでなく、その袖が被告人の着衣と同じ色だった、とも言っています。私が被告人を有罪とする最大の根拠はこれなんです。「柳に幽霊のようなこともある」として、この証言の信用性を疑う意見も出ていますが、合理的な疑問の余地だとは全然全く思いません。しつこいようですが、裁判官にも弁護人にも、被害者は確固とした態度で繰り返し“断言している”のです。
    そもそも弁護人がそれを疑う尋問すらしていないことが最大の問題であると思いますが、被害者の証言をなぜ“敢えて”それほどまでに信用しまいとするのでしょうか?
    私が信じ込もうとしているのではなく、反対している皆さんが“信用しまいとしている”としか、私には思えません。

    発言した内容は“一応”信用し、不審な点が少しでもあれば不採用にしようと思っている、という私の態度は不公平でしょうか?
    無罪を主張する方達は、“頭から”被害者の証言を“採用しまいとしている”ようにしか感じられません。
    何らの理由なくこの証言を“初めから疑っている”のは、はっきりとした“予断である”と申し上げます。

    私の有罪判断を覆すのは、被害者の証言(や態度)に不審な点がある、という合理的な指摘だけだと思っています。それは本来弁護士がやるべきことだったと思っています。

  • ちょっとだけ補足 ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    私の言っていることが誤解されてるといけないと思うので、ちょっとだけ補足します。

    被害者の証言を“一応”信じるというのは次のようなことです。
    例えば、
    暴行・傷害の被害者が「殴られた」と証言したら、一応、それを信じる。
    がしかし、反対尋問で「どこをどう殴られたのか?」「診断書はあるのか?」「殴られたことを証明できるものはいるか?」などの質問を被告人の弁護士にされたのに対し、被害者が一切何も答えられないとか、しどろもどろになったりしたら当然に、そうでなくてもちょっとでも不自然と考えられる答えがあった場合には、「嘘かもな」と思うという程度です。

    この映画の裁判では、弁護士がそれをやっていないだけでなく、被害者の証言が真実であることを前提に、再現立証を行っているという“事実”があります。
    被害者証言を私が採用する理由です。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/17 by ekoeko

    痴漢冤罪で問題になるのは
    被害者の女性と
    その女性によって加害者とされた男性の
    互いの主張が正反対になったときに、
    女性の言い分が正しい、
    とされることです。
    このような場合、
    証言内容の矛盾とか
    第三者の目撃や物証がないかぎり、
    被疑者は無罪だというのが
    この映画の主張なわけです。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か? ネタバレ

    2007/02/17 by カイタカケン

    なんだかいろんな意見が出てきて、勉強になります(笑)

    まず、被害者の証言に関してですが、
    私は、彼女が痴漢被害にあった事実を疑う理由はないと思ってます。
    これは、実際の裁判としてではなく、あくまで『映画』として見ているからなんですが、
    最初から痴漢被害自体存在しない設定になっている『映画』に、観客をミスリードするような再現ビデオのシーンは入れないと思うからです。
    この再現ビデオは、被告人が被害者に手をつかまれた瞬間、後ろに手を引くことが出来なかったと証明する事以外に、被告人以外の第三者の可能性を『観客』に対して見せていました(再現ビデオでは山本耕史がこの役目をしていました)
    此処まで手の込んだミスリードをされると『映画』自体、私は信じられなくなってしまいますし、それは周防監督の意思とも違うように思います。

    理屈屋さまのご指摘の件、『被害者の主張を弁護側が争っていない』についてはずっと気になっていたんです。
    正確にいうと、弁護側は少しは突っ込んでいたのですが(もう、台詞も思い出せない…涙)それは至極あっさりしたものだったという印象を持ってます。

    そもそもこの事件は、起訴段階以前に大きな問題があって、これは既に他の方も触れておられますが、
    被害者の証言以外に、警察、検察が起訴に持ち込み、公判を維持できるだけの証拠固めをしていないのです。
    捜査権を持つ警察、検察側が、被害者証言の信用性を裏付ける証拠をそろえる努力をしなかったことは、被害者の利益を守る側である検察が、被害者を蔑ろにしていることと変わらないように私には思えます。
    被害者証言を裏付ける他の証拠(目撃者、物的証拠)がない以上、被害者証言のみを争点とするのは実際の裁判として考えても…さて、どうなんでしょうか?




    この作品、肝心の痴漢現場の仔細は映像として『観客』に見せていないんですね。
    被告人が『無罪』であるかどうかも、私などはラストの彼のモノローグを聞いて初めて納得しました(笑)

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/17 by ekoeko

    こういうケースの場合は
    女性の証言の真偽を争う
    ということはしないはず。
    女性が加害者の手を
    逃しているわけですから、
    誤認の「可能性」を追求するはずです。

  • もし、こうしていたら…? ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    私がもし、この事件の弁護士だったら、最低でも次のことはします。
    1.被害者が手を見たときの状況を詳細に聞く
    見たのは右手だったか?左手だったか?何か特徴はなかったか?男の手だったか女の手だったか?そしてなぜそう思ったか?
    どういう角度からどういう姿勢で、いつ、その手を見たのか?どの位の時間手を見ていたか?
    指先から手のどの辺りまで見えたのか?
    腕時計やブレスレット、指輪などはしていたか?
    2.被害者に嘘をつく動機がないか調べる。
    過去に被害にあった痴漢を取り逃がした時どう思ったか?友人などに今度痴漢の被害に遭ったらどうするといっていたか?など、怒りや恨みから証言している可能性を追求します。
    3彼女の記憶や認識の能力がどの程度正確なのか立証する。
    数秒間写真なり絵を見せて、どの程度性格に見たものを言えるか実験するとか、学校などに重大な忘れ物をしたことはないか?とか、人を見て泥棒と思い込むような傾向はないか?など、彼女の性格や能力について調べたり、彼女の家族や友人を証人として質問をします。
    4.上記の1で聞いた「手の目撃情報」を再現する実験をして、彼女が本当に手を見ることができたかを検証する。

    たぶん、弁護士がこれだけのことをやれば、被告側が被害者の証言を疑っていることが十分に伝わります。
    だからそれだけで、既に私の心証は「被害者は嘘をいっているかも?」になっていたと思います。
    そして、被害者がそれらの質問や検証の全てを完璧に矛盾なく応え、しかも堂々と答弁しない限り、私は彼女の証言の信用性を怪しみ、証拠として採用することをやめ、無罪判決を下したと思います。

    合理的な疑問の余地を感じさせることは、そう困難でなくできたはずだと思います。でも「やらなかった」どころか、被害者の証言が正しいという前提でなければしない再現立証をやってしまっているという事ではないでしょうか?
    どうしてあの再現で、彼女はいつ、どんな風に手を見たのか?を検証しないのでしょう。非常に疑問を感じます。

    結論的に、被告人の有罪は、司法制度の不備だけでなく、弁護過誤の問題をも含む可能性を、だんだんと感じてきました。
    弁護士は、なぜ被害者の証言を疑っているという印象を裁判官に与えなかったのでしょうか?とても悔やまれます。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か? ネタバレ

    2007/02/17 by カイタカケン

    理屈屋さまへ

    >被告人の有罪は、司法制度の不備だけでなく、弁護過誤の問題をも含む可能性を、だんだんと感じてきました。

    ようやく、此処まで来たって思いで、感無量です(笑)
    理屈屋さまの問いに対するお答えのひとつとして、周防監督の記事を引用します。

    “冤罪は、殆どの場合が警察官や検察官の思い込みや捜査ミス、時には弁護士の怠慢などで起こる”

    監督は、弁護士の落ち度を否定してはおられません。
    弁護士とて、全能の神ではないのです。
    一般市民が偶然、見に覚えのない冤罪事件に巻き込まれてしまう…
    担当する刑事、検事、裁判官、そのどれも、被告側には選択肢はありません。
    法曹3者の一翼を担う弁護士も様々です。
    作品の中でも、当番弁護士の苦悩、役所演じる刑事専門弁護士と、民事専門弁護士の違いは描かれていましたね。

    優れた弁護士による救済、それが齎すカタルシスを脚本構成上持ち込まなかった理由(←私はそう考えているのですが)はなんだったのでしょうか。

    参考までに


    <リンクURL>

  • カイタカケンさんとekoekoさんへ ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    この映画は、警察・検察が十分な証拠固めもせず、当然証拠の提出もしていないのに、なぜか裁判所は検察側の証拠のみを一方的に採用して、有罪判決を出してしまうという恐しさを描いたものだと、私も理解しています。

    だから、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫けば、容易に弁護側が勝つ!
    っと思ったら、実はそれが大間違い?という結論に自分的に至ってしまったので、それに驚いたのをキッカケとして、私はこのスレッドを立てたのです。

    ekoekoさんは、被告人と被害者の主張が「正反対だったら被告人に有利に」と仰っていますし、私もそうしたいところですが、私に言わせると、被告人の主張は被害者の主張と正反対ではありません。大部分が一致していて(痴漢行為は確かにあった)、最後だけ「でもやったのは俺じゃない」と(対立でなく)否認しているに過ぎないと思うんです。
    しかも被害者の証言をちょっとでも疑わしく感じさせるような主張も、ほとんど(手を抜く方向以外)何もしていない。でも状況証拠は完璧に「彼しかやれる人物はいない」ことを示していると思うんです(合理的な疑問の余地なく)。

    これでも手を掴まないと「無罪」なのぉぉぉ?!
    「合理的な疑問の余地なく」とはそういうことぉ?!
    という訳です。

    被告人を「有罪にするしかない」と考えるのは、いけないことなのでしょうか?

  • 同じことの繰り返しなのでこれで最後にしたいです

    2007/02/17 by 倉島穂高

     理屈屋さん、自称被害者の証言を「一応信じる」のはダメですってば。だって、この裁判のように被害者と被告との証言が真っ向から対立している場合、どちらかが嘘(誤った思い込みを含む)をついていることは確実なんです。だから、最初は「両方を疑う」ところからスタートしなきゃ裁判の意味がありません。このスタート時点の前提が違いますよ、と再三指摘しているつもりなのですが……
     私をはじめとする「被害者の証言を疑う」側は、同時に「被告の証言も疑っている」のです。片方を疑うなら片方を信じる、ではないのですよ。「これこれこういう理由があるから彼女を疑う」のではなく、両方を疑うという公平性を主張しているのです。
     ところが理屈屋さんのように最初から片方を積極的に信じるとすると、それは同時にもう片方を嘘だと決め付けていることになってしまいます。両方が正しいという可能性はありえないのですから。そこがフェアではないと言っているのです。
     ですからこの映画で弁護側がどうして彼女を疑う描写がないのか、という反論は意味を持ちません。単に映画の手法として省いただけかもしれませんからね。アメリカの裁判ものなんかは被害者が法廷で被告側弁護人からいかにいじめられるかをねっちりと描きますが(日本にもそういう映画やドラマはあったような気がする)、それをやってしまうとこの映画のテーマがぶれるという監督の判断ではないかと私は考えます。

  • カイタカケンさんへ ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    リンクされた日弁連の試写会の記事を読みました。
    「この作品は弁護士に対しても皮肉を込めたところがある」という周防監督の言葉を「読むべし」としてご紹介頂いたのでしょうか?

    結局、私の主張は、1痴漢行為のあったこと、2実行した者が誰かの、二つの点について共に「合理的な疑問を抱かせる」べきだったのに、弁護士がそれをしなかった、という主張になりますね。

    だから警察、検察、裁判所の不当な扱いの部分を除去してもなお、裁判の結果が、私的には「有罪」という結論になったと思います。

    念のため、私の説が弁護側に「無罪の立証」を全然要求していないことをご確認頂きたいです。
    私の説は「弁護側が検察側の上記の1と2(特に1)の証拠のないただの主張にさえ、(否定するのにでなく)“疑うに”足る合理的な理由を提示できていない。逆に1については肯定さえしている」ということであり、疑うに足る合理的理由を提出していれば、検察側には“その疑いを完全に晴らす”程度にまで(物証などの)確固たる証拠の提出が必要であり、でも、ずさんな捜査のためそれは法廷には出せないのに…」と私が考えているのだとご理解頂けると嬉しいです。

    無罪を固く信じて疑わない方達は、無実であれば必ず勝てると思っている節があるように思えます。

    警察、検察、裁判所が共に不当な事務処理をしなかったとしても、実際には、弁護士が争点を誤ってトンチンカンな主張に終始し、裁判に負けてしまうことも、極稀にはあるようです。

  • 倉島穂高さんへ ネタバレ

    2007/02/17 by 理屈屋

    最後ということで残念です。
    これへの返信はないのかもしれませんが、一応書きます。

    誰の証言にしろ「最初から疑う」は、おかしいと思いますよ。被告人、被害者以外の第三者の証言も検察側の証人と弁護側の主張が対立したら「最初から疑う」のですか?

    検察側の証言(証拠)を疑わせるには、弁護側は「合理的疑問の余地」でOK。
    弁護側の証拠を疑わせるには、検察側は、完全に否定しなければならない。
    こういうルールだと思いますよ。
    検察側と弁護側の主張が対立した場合、弁護側に圧倒的に有利なルールでやっているんです。
    冤罪の可能性を少しでも減らすために当然です。

    主張が対立したら「両方とも疑う」というのはどうなんでしょう?確かに公平は公平かもしれませんけれど…。

    しかしいずれにしても、2つ前の私の投稿で書きましたが、この裁判の場合、そもそも主張は対立していません。弁護側は、痴漢行為の存在には同意、犯人の特定には単純な否認(「違う、俺じゃない」と言ってるだけで、手が届かないから自分には無理などの主張はしていない)です。
    その点に注目、ご理解頂けると助かるんですが。

    それに、理由もないのに最初から誰かの証言を疑うっていうのを、おかしいとは思いませんか?
    仮に、被告の痴漢行為の目撃者を検察側が見つけてきて証言させた場合にも、被告が否認しているからという理由だけで「最初から」嘘だと疑うのですか?

  • くい違い

    2007/02/17 by TALAMI

    多くの投稿があり
    全てを読んんわけではありませんが
    少女の証言と目撃者の証言はくいちがっています。
    にもかかわらず有罪判決。
    明らかな、くい違いをあえて残した周防監督。
    なかなかやるな、と思いました。

  • 裁判官の立場で見るということは。。

    2007/02/18 by taru

    >それに、理由もないのに最初から誰かの証言を疑うっていうのを、おかしいとは思いませんか?仮に、被告の痴漢行為の目撃者を検察側が見つけてきて証言させた場合にも、被告が否認しているからという理由だけで「最初から」嘘だと疑うのですか?

    そういったことについても、映画で懇切丁寧に説明があったと思うのですが。。つまりは、裁判官は証言者がウソをついているのではないか、演技にだまされているのではないか、といった気持ちで、つまりは一対一の真剣勝負(とは言わなかったな。。)で法廷で向き合っており、被害者の言うこと、被疑者の言うこと、或いは目撃者の言うこと等を聞いて、正に言っていることに嘘偽りが無いかどうかを法廷において判断している。それが<心証>というものだと。

    ですから、弁護士が被害者をあれこれ質問しなかったから痴漢被害があったことが認められるとかいうことではないのです。弁護士が優秀であれ、へっぽこであれ、真実は1つであってそれを見抜くのだといった気構え(などとは言わなかったな。。)で裁判官は証言を聞いているのだと。

    ですから、誰のどの発言に対しても、最初から、それはもしかしたら嘘ではないかという心構えで聞いているのですよ。本当にそうであるかどうかは知りませんが、裁判官の心構えとしては、当然そうあるべきことだろうと思います。

    その上で、あの裁判官は被害者の言い分を認め、被疑者の言い分を却下したのでしょうね。(私には多分に政治的な判断が含まれているとは思えましたが。。)

  • 理屈屋さん

    2007/02/18 by 未登録ユーザ玄武

    この段に及んで口を挟むのもナンですが、さっき初めて通読してみて、どうにも気になるので、ちょっと失礼します。

    >それに、理由もないのに最初から誰かの証言を疑うっていうのを、おかしいとは思いませんか?

    理由はありますよ。だってこれ裁判ですから。
    主張が対立しているんです。
    だから、裁判になってるんです。

    映画の上では痴漢行為の有無について検察・被告間に主張の対立はない、というのが「対立はない」とする理屈屋さんの論拠なのでしょうが、検察は「被告が痴漢行為を働いた」と主張し、被告は「自分はやってない」と主張しているわけです。これを対立といわずナンとしましょう。
    (ついでに言えば、特に痴漢行為の有無が争点にならなかったからといって、痴漢行為の存在が裁判上疑いようのない事実として認定されたことになったわけではありません)

    >仮に、被告の痴漢行為の目撃者を検察側が見つけてきて証言させた場合にも、被告が否認しているからという理由だけで「最初から」嘘だと疑うのですか?

    偽証という言葉があります。
    「「最初から」嘘だと疑う」というと語調が強いようですが、偽証である可能性を常に念頭に置く→証言の嘘を疑うという姿勢は、裁く側に強く求められるものです。
    原告・被告どちらの主張に対しても(どの証人の証言にも)、先入観無しで公平に判断しなきゃいけないなんてことは当然では?
    「被告が否認しているからという理由“だけ”で」とおっしゃいますが、「被告が否認している」これが被告の主張そのものです。
    証言者の証言内容の信憑性の判断に、「被告が否認しているからという理由」は一切関係しません。


    それと、理屈屋さんにお聞きしたい。
    「とりあえず信じる」のは、「殴っていない」という主張では駄目なんですか?「殴られた」という主張が「殴っていない」の主張よりも上位に来ているように読めるんですが。
    どうも、理屈屋さんは原告は被害者であり被告は加害者である、という視点が強いのではないかと。で、心情的に被害者サイドに立ってしまっている。
    倉島さんの指摘のように、「そこがフェアではない」と私も感じたわけです。

  • 皆さんは「無罪」を前提にしてしまっています ネタバレ

    2007/02/18 by 理屈屋

    前略。
    いくつか反論を頂きましたので、それらへの返信をします。

    まず、私が被害者側に偏っているというご指摘ですが、これは全然違います。私から見れば、皆さんが「被告人は無罪である」という前提、予断の下に証言を聞こうとしているように感じます。

    「無罪推定」という言葉の意味を皆さん誤解しているのではないですか?
    「被告人が容疑を否認しただけで無罪と考えなさい」ということではありませんよ。「無罪推定」とは、法廷に提出された“証拠が真偽不明になった時には”常に「被告人の有利に」つまり「無罪を推定」して証拠を評価しなさい、という意味です。ですから真偽不明でない証拠まで、無理に被告人に有利に評価する必要はないんです。
    「被告人が否認していたら、全ての検察側の証拠を嘘だと推定しなさい」という意味ではないとご理解下さい。

    証拠が確固として真実と認められる時まで、それを“初めから”疑うのは、誰がどう考えたって変でしょ?

    また、最初から「証言の嘘を見抜こう」などという態度で証言を聞くことはハッキリとおかしいです。裁判官は審判であって、探偵ではありません。
    検察側の証人も弁護側の証人も、等しく同じ態度で「一応」信じ、検察、弁護の双方の反証を待つべきと、私は主張しているんです。
    もちろん、偽証の可能性を警戒するのは当然で、あからさまに、あるいは、よく聞けば、証言自体に不審な点があるのならば、それまで「一応、信用しろ」などとは言いません。その時点で証言の信用性が怪しいことは確かです。しかし、今回の被害者の証言のように矛盾も不審な点も一応何もない証言まで“最初から”「嘘かもしれない」という予断を持って聞いていけないというのが私の意見なのです。
    被告人が否認をしていてもです。
    弁護士が不審な点があると指摘して初めて、信用性が揺らぐんです。嘘だと断定する必要はないんですよ。疑わしいと思われる程度でいいんです。

    ごく当然の当たり前のことを言っているはずです。

    裁判なのですから、主張が対立するのは当たり前なのです。「対立しているから証言を疑う」などと言っていたら、検察側・弁護側両方の全ての証拠の信用性はゼロになってしまいます。
    ですから、被害者の証言の真偽は、弁護側の反証・検察側の再立証を待った上ですべきだと私は言っていて、裁判官が勝手に何らかの心証を形成するのは“予断以外の何ものでもない”と言っているのです。
    しかも、反証・再立証については、先に述べた通り、弁護側に圧倒的に有利なルールを適用した上で聞くべきだともちゃんと言っていますよ。

    どうしてこれがアンフェアに聞こえるか?と、とても心配になってきます。
    私の誤解でなければ、私の言っていることは現在の裁判制度の在るべき姿として、常識であると思います。皆さんは現在の裁判制度のあるべき姿とされているものを、既にアンフェアであると主張していますよ、たぶん。

    最後に、玄武さんが仰るように、私が「心情的に」被害者側に立っているように見えてしまうのは、被告人と弁護士が、被害者の証言のうち「犯人は被告人だ!」という部分以外の全てに同意しているという“認識が全くない”からだと思います。
    私は何の理由もなく被害者の証言を真実と認定しているのではありません。私は決して被害者側に立ったりはしていません。
    法廷に提出された“証拠のみ”から、そもそも被告人及び弁護人自体が、被害者の証言を一部認諾している、被害者の証言を真実である認めていることを、私が認定しているということに気づいて下さい。
    そうすれば、「どっちの証言が上だから」とか「被害者が女の子で可哀想だから」などという予断によって、被告人の証言を証拠として採用しているなどというのでは“断じてない”と分かるはず、、、なんですが…。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by ekoeko

    被害者の女性と
    被疑者の男性とで
    言っていることが食い違ったとき
    第三者の目撃や物証がないかぎり
    女性の側の訴えが正しい
    とすることはできない、
    というのがこの映画の問題提起ですよ。

  • 問題の所在は認識してします

    2007/02/18 by 理屈屋

    ekoekoさん、コメントをありがとうございます。

    以前にも同じご意見を頂いたので、ekoekoさんの立場は理解しております。この映画が提起している問題の所在も認識しています。

    ただ、現在、話が変な方向へ行っている、という感じなっているという状況です。

    ekoekoさんのご意見は、「物証か第三者の目撃証言が絶対必要」という原則が、絶対に貫かれなければならないということですね。

    しかし、私がそれを認識しつつなお“敢えて”提示しているのは、物証や目撃証言以外の証拠によって「それ以外に可能性がありえない」と立証されていると認め得る場合であっても、なお絶対に無罪としなければならないのか?という疑問です。
    和歌山県で起きた「毒入りカレー事件」が有罪の判決であり、議論を呼んだと記憶していることから、敢えてその事件に触れて返信をしました。

    私は「他にあり得ないなら、必ず有罪とせよ」と言っている訳ではありません(外見上はハッキリそう言っているけれど)。この痴漢のケースも敢えて有罪と主張して「合理的な疑問の余地とはどういうことか?」を納得させてもらえる反論を待っている、という感じです。
    そうですねぇ、言い換えるならば、「なぜそういう原則が確立されたのか知りたい」というのが、もともとのこのスレッドの趣旨である、といえるでしょうか。
    自分ひとりの頭の中で自問自答するよりも、多彩な意見が聞けることが多いですし、独りで黙々と調べるより面白い、という面も不謹慎かもしれませんけどあります。

    ですから、「原則どおり、以上。」という印象の強いコメントは少し寂しいです、せめて「〜だから原則どおり、以上。」くらいは仰って欲しかった気がします。

    せっかくコメントを頂いたのに、文句を言ってスミマセン。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by 未登録ユーザパロール

    でも、こういうコメントでさえもめるのだから、言葉だけでやり取りするのは、事実から離れるかもしれないってことを、改めて、証明した気もしますね。

    だいたい、言葉だけで、やり取りしてる時点で、すでに疑問の余地だらけのはずなのに、言葉だけで有罪とするのは、日本が言葉の文化が強いからでしょうか。

    思い出されるのは、再現ビデオ撮影中の言葉。
    「やってみないとわからないものね」

    でも、検察も裁判側も言葉以外を求めないんですよね。


    大岡裁きも多くは心情と言葉の裁き。
    子供が痛がったのを放したから実の母だとするなら、裁判ではないです。
    これは、今回のケースで言えば、勇気を持って女子中学生が訴え出たし、疑わしいのだから有罪にしてしまうのと、なんら変わりないのと似てませんか?

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by 未登録ユーザパロール

    大体、この映画の主張って、痴漢の罪ではなく、お上のありようへの批判ですよね。

    周防監督が優れてるのは、でありつつも、それを日本人向けに心情に向かわせる視点、何も出来ない一般人を主人公にする辺りでしょう。
    刑事も、弁護士も、検察も、裁判官も誰も、出発点が、被害者でも被告じゃない。


    裁判員制度もどうなることやら。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by ekoeko

    痴漢犯罪は
    たとえば、満員電車の中で
    いったいだれが犯人かという特定が困難だ、
    という事情があって、
    だからこそ
    被害者は犯人の手をつかんではなすな
    と言われるわけで、
    しかし、それだと女性を守れないという考えがあって、
    被疑者による有効なな反証がないかぎり
    女性の言い分を認める、
    というのが流れとしてあるわけで、
    それでいいのか、ダメなのか、
    痴漢冤罪裁判の事実上の争点であり、
    意見が分かれるところなのだと思います。

  • 植草教授も、もしかして被害者なのか??

    2007/02/18 by taru

    >ekoekoさん

    痴漢の被害がひどいという話はずっと以前から聞いていますが、一向になくならないのは、輸送業者の怠慢なのか、ラッシュアワーを緩和するのが無理なのか、私は専門家ではないので分からないのですが、

    >被疑者による有効なな反証がないかぎり女性の言い分を認める、というのが流れとしてあるわけで、それでいいのか、ダメなのか

    などという議論をいくらしても解決への道は開けないと思います。

    ラッシュアワーの殺人的に混雑する電車をなくすることが無理なら、完全に男女別車両にするとかの根本的な対策を取らない限り痴漢被害はなくならないし、痴漢冤罪被害者もなくならないと思います。

    男女七歳にして席を同じゅうせずという言葉もありますように、イスラム圏だけでなく、アジアにも男女のやたらな接触を制限しようという伝統があります。

    電車の狭い空間に男も女もギュウギュウ詰めにする非人間的な扱いこそが諸悪の根源なのですから、それに対する抗議の声がほとんど上がらないのが不思議な思いです。何事も経済効率を優先する発想が骨の髄まで染み込んでいるのでしょうか。

    もしかして、そんな時間を結構みんな楽しんでいるのかな〜?などと勘違いする人が出てくるのもおかしくないのが今の日本なのでしょう。

    ――スレ主さんの趣旨とは離れた投稿ですが、話のついでということで、ご容赦ください。 m(__)m

  • 大岡裁きは全然違います

    2007/02/18 by 無責任な傍観者

    大岡裁きの二人の母は、生みの親と育ての親で、両方とも正真正銘の母親です。
    どちらを母親として認定しても何らおかしな所がない中で、娘本人を大事に考えるか、娘についてくる金が目当てであるかを至ってロジカルに見分けたのですから、フェアでありリーズナブルです。
    本作品における被告と原告に対する裁判官のあからさまなアンフェアな判断とは全く次元が違います。
    痴漢裁判がどうあるべきかはよく分かりませんが、少なくとも裁判官は原告/被告に対する考え方のレベルは同じにして欲しいと思います。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by 未登録ユーザkomasa

    今は普通の会社員ですが、学生時代、法学部に在籍してました。
    そのとき学んだ裁判の大前提をそのまんま信ずるならば、

    >これでも手を掴まないと「無罪」なのぉぉぉ?!
    >「合理的な疑問の余地なく」とはそういうことぉ?!

    そういうことです。
    被告は「とりあえず無罪である」という立場からスタート
    しなければなりません。
    個人の感情がどうであれ、また現実がどうであれ、それが
    法的に正しい大原則です。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/18 by 未登録ユーザパロール

    大岡裁きについて、レスされたので、書きます。

    私が、大岡裁きと被害者重視を比べたのは、人間的な判断を前提にしないで、科学的な判断を前提にしてこそ、裁判であるというと意味で、です。

    お金目当ての人間は、母としてふさわしくないと、たった一回の綱引きで決めていいものでしょうか。
    娘が「痛い」と言っていても、誰かに渡すぐらいならと、鬼になるのも強い愛情だったかもしれない。
    あれは、物語ですから、大岡さんの判断は間違いないのですが、超法規的手段にも受け取れます。
    そして、物語としては、面白いアイディアだと思います。
    でも、裁判の前提にしてはいけないと思ったのです。

  • 物語か実話かではありません

    2007/02/19 by 無責任な傍観者

    大岡裁きは考え方の根本として、娘か金かの判断基準に「娘のことを考えているか?」ということであり、
    ・一回の綱引きという条件は両方の母親とも同じ条件
    ・「誰かに渡すくらいなら」というのは愛情ではなく物欲
    大岡越前は実母にも育ての母にも同じ基準を適用して判断しています。

    本作の裁判官は、原告の証言が曖昧であることが明白であり、しかもキチンとした立証努力が皆無であったことも裁判の中で明らかになったのに対して、被告は無実であることを実証しようとしてそれなりに筋が通っているにも拘わらず、両者に対する判断基準として原告に対しては正しい前提で、被告に対しては間違っている前提で理論が構築されている。

    大岡と小日向では立場の違う両者に対して、同じ基準で接しているかどうかという点で180°正反対の態度を取っています。

    私は別に本作の彼が有罪/無罪のどちらが適切かは分かりませんが、少なくとも裁判官はフェアな態度で接するべきです。
    その意味でアンフェアな裁判官の類似としてフェアな大岡裁きを持ってくるのは不適切だと思います。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/19 by 未登録ユーザパロール

    スレの話題から離れると思われるので、これで最後にします。

    いうなれば、私には、あのケースに関しては、大岡越前がフェアだとは思えないのです。
    たった一回のとんちみたいなテストで計られたくないです。
    殺人とかの裁判じゃないんですから。
    (現代の裁判としてみてってことです。あと、物語性は排除して考えてください。)
    あの離さなかった母親が例えば、貧困で人間性を犯していたとしたら、金が入ったら、いい母親になる可能性だってあるわけです。
    結局、公平に機会を与えているようで、事実に基づいてでなく、人間の情で見ているからですよね。
    もし、フェアなら、両方とも母親であるという判決も可能性としてありえるはずです。
    現代の離婚時の父と母の親権裁判に置き換えて、考えていただければ、分かっていただけるでしょうか?

    だから、現代の裁判だって、フェアはフェアですよ。
    かの裁判官も日本独自のルールに於いては、フェアなわけです。
    しかし、その前提そのもの、日本の司法そのもののありようが、ルールに対して、フェアでないという部分があるのではないでしょうか。

    これでオシマイにさせていただきます。
    場を乱して、スイマセン。

  • フェア

    2007/02/19 by 無責任な傍観者

    私も論点を明確にして終わりにしたいと思います。

    審議期間が長い短いというのと、双方に対してフェア/アンフェアというのは別問題です。

    この時期盛んなスポーツにラグビーがあります。
    競技の性格上アナログな判断が要求される反則が多い中、15人対15人計30人のフィールドプレーを1人の審判が裁きます(他に線審は2人いる)。
    ある反則で、程度が1〜10の内、程度5が反則の平均的な基準ですが、審判それぞれの判断により4で反則にする人や6までOKの人もいます。(これはスキルの他に、厳格なゲームにしたい、緩和してゲームの進行を優先したいなどの好みもあり、どれが正しいとも言えない)
    このアナログな中で審判に要求されるのは、Aに対してもBに対しても同じ、4なら4の基準を適用することと、前後半同じ基準4でジャッジすることです。これが7であろうと5であろうと同じ基準でジャッジするのです。

    本作の小日向裁判官は、Aは戦力的に劣っている中頑張っているから6までの反則を許すが、Bは戦力補強が十分だから3で反則を取ろう、と言っているのと同じです。これでは試合になりません。
    大岡は「娘本人と金とどちらが大切か」という同じ基準で両者を裁いています。

    また、審議期間にしても大岡は事前に下調べをして状況を把握した上で一介のテストで決めています。
    彼は十分な情報を入手したとの判断の上で、両者に対する条件が同じテストにより判決を下しています。
    逆の見方をすれば、100回の審議をしたところで、敗訴した側は「不十分だ。もう100回審議しろ」と言い出します。
    何回審議するかは必要な条件が集まったかどうかで決めるべきで、1回では不十分100回で十分というモノではないでしょう。

    >貧困で人間性を犯していたとしたら、金が入ったら、いい母親になる可能性だってあるわけです。

    これはちょっと暴論で、殺人犯でも良い人間になるためにお金が必要となるのもアリになります。
    こんな裁判官ばかりなら日本は殺人天国です。
    大岡はこの本末転倒を防ぐために、娘に対する優先度を判決の基準にしたのです。

    >かの裁判官も日本独自のルールに於いては、フェアなわけです。

    原告被告に対する扱い・判断基準が全く違う時点でフェアではありません。
    ルールをどう解釈し運用するか(反則の程度判断)、と、それを立場の違う相手に対して公平に適用するか(フェア)は別の問題です。

    別に日本の裁判制度についてどうお考えであろうと、物証主義を主張しようと、それを私は否定する気は全くありません。
    が、本作の裁判官と大岡裁きを同列に考えるのは、裁判官の資質が極端に違うという理由で賛成できません。

  • 話を整理して、要望を出します ネタバレ

    2007/02/19 by 理屈屋

    いろんな話が出て来て面白いんですけど、長くなって来ましたし、一応ここまでの話を整理して、今後の議論の焦点について要望を出したいと思います。

    ○話の整理
    私が被告人を有罪と考える理由
    1被害者の「手を見た、袖を掴んだ」との証言を事実と認定
    2痴漢行為が事実なら、犯行が可能なのは被告人だけである

    1を事実と認定した理由
    ・証言が具体的で、繰返し断言している
    ・被告人及び弁護人もこれを争わず、認めている
    2の判断をした理由
    被告人以外の可能性は、太った男性1人しかいないが、彼が被告人及び被害者に気づかれずに犯行をすることは、不自然かつ不可能である

    これに対する反論
    理由1についての反論
    ・被害者が嘘を言っている可能性がある
    ・柳に幽霊のようなこと(記憶違い)もある
    ・被告人が否認している以上、最初から被害者の証言を疑うべきだ
    理由2についての反論
    ・現行犯、若しくは物証と第三者の目撃証言がないから、原則通り無罪とすべき
    3その他の反論
    ゴソゴソしていたからこそ、やっていないのだ

    反論に対する私の再反論
    理由1の反論への再反論
    ・被害者の証言を、嘘である、記憶違いであるとするに足る、合理的な疑問の余地を弁護側が指摘せず、むしろこれを認めていると考えられる主張を後にしている
    ・対立する証言があるからといって、ある証言を最初から疑うのは、予断であり不当である。疑うに足る合理的な疑問の余地の指摘を以って初めて疑うべきである
    理由2への反論への再反論
    ・原則は承知しているが、個別具体的に見た場合、この事件のケースにも無条件で原則を貫くべきなのだろうか?という疑問を感じる
    ・その他の反論への再反論
    「ゴソゴソしていたからこそ無罪だ」という主張は全くの主観で、合理的な疑問の余地になり得ない

    となっていると思います。

    で、要望。
    上記のように論点がハッキリしたと思いますので、今後の指摘は、「この部分の、これが、こういう風に、おかしい」などと、具体的論理的にご指摘頂くとありがたいです。
    どうぞ宜しくお願いします。

  • 要望に少し補足

    2007/02/19 by 理屈屋

    先に私がした要望は、私が挙げた点以外についての一切を遮断する意図ではありません。

    例えば、私が上記で全く触れていない証拠などを取り挙げて、私が理由としている事実に対する反証とすることなどは、一向に構いません。
    また、私の話の「前提がおかしい」として、根底から私の論理構成を覆るなどということもアリです。

    ただ、私が理由としていることを個々に否定するとか、疑問の余地を指摘するとか、論理構成全体に対して否定するとか、そういう絡み方はして欲しいな、という要望です。

    あと、人を頭からどっちに偏っていると決め付けるような表現も、できたら避けて欲しいです。
    いうのであれば、「この証拠は公平に見ればこうなのに、それをこんな風に解釈してるなんて、偏っていると思う」とかいう言い方にして欲しいです。
    以上。

  • 疑わしきは被告の利益に ネタバレ

    2007/02/19 by カイタカケン

    記憶もかなり怪しいので、レスはこれで最後にしますね。

    私が被告人を無罪と考えるのは、『再現ビデオ』の内容です。

    再現ビデオでは、被告人は掴まれた腕を後ろに引くことは出来ませんでした(←ドアに肘がぶつかってしまう)
    判決文では、裁判官は掴まれた手(腕)を上に動かした(腕を上部に上げて被害者の手を振り切った)可能性をいってましたが、
    不意に腕(手)を掴まれ、慌てその腕を引っ込める場合、私ならまず間違いなく後ろに腕を引くであろうと思うからです。
    立錐の余地のない満員電車の中で、周りの人間にぶつかることも、気づかれる事もなく腕を上部に引き上げる事は運動神経の鈍い私には出来ません(笑)

    次に、再現ビデオの中で示されていた『第三者』の存在です。
    被告人以外に被害者に痴漢行為をする事が出来る第三者が存在する『可能性』がある以上、被告人を犯人と断定する事は私には出来ません。
    実際の裁判なら、弁護側が証拠とした『再現ビデオ』の内容に関して、検察側からも仔細な検証が当然されるでしょうが、これは『映画』です。
    観客に、公判内容の全てを見せている訳ではないのです。
    実際の裁判なら、情報量は映画とは比べものにならないくらい膨大でしょうね。

    もう一点、
    まだ名前が出てきていないのですが、目撃者のひとり月田一郎(田口浩正)の存在があります。
    彼の証言内容と事件当日の動向はDVDでよ〜く確かめてみようと思ってます。

    小日向裁判官は、無罪推定の原則『疑わしきは被告の利益に』は『疑わしきは検察(←被害者じゃない)の利益』をモットーにしているのかしら?と思えるような人物でした。
    余談になりますが、
    周防監督が新聞にもかかれてた
    “元裁判官が書いた本を読むと、無罪判決を出す場合、不安なのが上級審で判決が覆らないかと言う事だと述べている”
    ↑裁判官も、サラリーマンと同じく『査定』されるような事があるのでしょうか?

    以上、理屈屋さまが挙げられた他の点については、DVDを見ないともう、何一つ確かな事が書けないのです(推測は別ですけど)
    では、どうもおじゃましました、また、どこかで…

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2007/02/19 by 未登録ユーザ照屋

    元になった事件は、第二審で、無罪判決になったケース。
    そこもふくんで、あの終わり方だろう。

    無罪でも、有罪でも、軽犯罪で、保釈まで約4ヶ月。
    保釈金200万は、すでに罪を償っているレベル。

  • 最後に感想を ネタバレ

    2007/02/19 by 理屈屋

    皆さん、いろいろとご意見をありがとうございました。
    意見も出尽くした感がありますので、最後に感想を。

    「本当に手を見たのか?」については、弁護士が被害者への反対尋問で、証言が嘘や思い込みである可能性を示唆してくれていれば、私の判断は完全に無罪になっていたと思います。
    たぶんこれは弁護過誤の可能性を含むのでしょう。

    「犯行が可能なのは被告人だけ」というのも、本来であれば“検察が立証すべき”ことでしょう。弁護側が再現立証をやらざるを得ないということ自体が大問題であって、その弁護側のした再現を見て、裁判官が勝手に「被告人以外には不可能」と認定すべきでないのでしょう、おそらく。
    いずれにせよ、検察に必要な証拠の保全と、なすべき立証についての怠慢があることはが明らかですね。

    結局、弁護士の過誤や検察官の不当な行為・怠慢に、裁判官が毅然として正義を貫く判断をして欲しいというのが、周防監督がこの作品に込めた願いでしょう。

    正解不正解という問題ではないとは思いますが「裁判官が公平な裁判をしたとしても有罪である」という私の主張は誤りであり、映画の中の裁判官がもしも公平な判断をしていたならば、やはり無罪で正解なのでしょう。

    痴漢冤罪事件の支援者の方などが読んだら、さぞ不愉快であろうと思われる内容も多く書いたかも知れません。もしそうでしたら、お詫びを致します。

    私は「常識を疑う」とか「鉄則とされているのはなぜ?」などと考えるのが好きで、「当たり前だろ、バカ!」と言われるようなことに敢えて疑問を呈したりするところがあります。機械的に常識や鉄則を適用するというのが嫌いな天邪鬼です。
    分数の割り算も、なぜ分子と分母をひっくり返して掛け算をするのか、今だに考えます。

    ま、分数はともかく、敢えて疑問を呈してみて、いろんな考え方があることが分かって、当初思ってた以上に非常に意義深くなったと思います。
    被害者の証言を初めから疑うのは予断だ・不当だと申しましたが、証拠による裏付けが全くない場合には「そうすべき場合もあるだろう」と思うようになりました。
    反対に、もし私の意見が逆の立場の人に何らかの参考になったようなことが、万一間違ってあったりしたら、望外の喜びでございます。

    ともあれ、ご意見を頂いた皆さんに御礼を申し上げたいのと、失礼をした方々がおられましたら心よりお詫びします、というのが感想でございます。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か? ネタバレ

    2007/02/27 by taru

    >・その他の反論への再反論
    「ゴソゴソしていたからこそ無罪だ」という主張は全くの主観で、合理的な疑問の余地になり得ない

    カイタカケンさんが探してくださった朝日新聞の記事(この映画の元になった痴漢冤罪事件)の中で

    >>04年5月、判決。「被告人は無罪」「コートを引っ張る激しい動きをしながら痴漢行為をすることは考え難い」。あの日から1年3カ月。検察は控訴しなかった。

    とあります。(私はこの日の記事は読んでいませんでした。)

    私の、ごそごそしていたということだけで彼は無罪だと思う、という見解も、そんなに的外れではなかったということですね。理屈屋さんよりも、裁判官の方が頭が柔らかいみたいですよ。(^▽^)

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か? ネタバレ

    2008/02/06 by 未登録ユーザ素朴な意見

    みなさん、こんばんわ。
    面白い遣り取り、興味深く読ませて頂きました。

    私も、この作品を見たのはずいぶん前になりますが、スレ主の理屈屋さんと同様の印象(客観的には被告人が有罪に見えるようにこの作品が作られているという印象)を持ちました。

    このスレは、話題が本来の趣旨とズレた方向(被告人は有罪か?無罪か?のような方向)へ行ってしまったので、スレ主さんの望んだ議論にならなかったのが残念ですね。

    たぶんスレ主さんは、こう問いたかったのだと思います。
    ・「被害者は痴漢行為があったと誤認している」と考えるに足る「合理的な疑問」を法廷に示された事実の中から示せますか?
    ・被害者の左後ろの太った男が真犯人だということを「合理的に」説明できますか?
    ・その他に被告人を犯人だと断定できない「合理的な疑問」がありますか?

    つまり、「あなたにとって「有罪を疑う“合理的な”疑問の余地とは具体的に何ですか?」という質問でしょう。


    和歌山県の毒入りカレー事件の話が途中何度か出て来ていますね。あの事件も決定的な物的証拠も犯行自体の目撃証言も自白もない、この映画の被告人と非常に良く似た状況だと言えると思います。
    この映画の主人公を無罪だと主張する方々は、和歌山の事件の被告人も無罪だと主張しなければなりません(実際、そうした主張をする人々は少なからずいまし、私も少なからずそう思います)。
    あの事件も1,2審で死刑判決が出て、冤罪の可能性が取り沙汰されています。

    冤罪を出してはならない、しかし、社会正義にもとる結論は世論が許してはくれない。
    「神ならぬ身の人間が人を裁かねばならない」ということは、そう容易なことでない、ということが良く判る気がします。裁判官の苦しい心中が非常に察せられます。


    追伸。
    余計なことかもしれませんが、仮にこの映画で、検察側に被告人を犯人だとする目撃証人が出れば、被告人の有罪はほぼ決定です。
    証人の証言を、疑わしい点や矛盾などがないのに裁判官は初めから疑ったりはしません。
    裁判官が疑うとしたら、弁護士が証人尋問で「触っているその手を直接見たのか?」とか「どの位の距離のどの位置から見たのか?」とか「その位置から被害者の臀部を触る被告人の手が満員電車の中で本当に見えるのか?」などと厳しく問い質し、証人の態度や証言自体に不審な点が発見されてからです。
    そのために弁護士は、証言の証拠能力を著しく低下させたり、できれば偽証であることを立証することに躍起になるでしょう。

    ついでですが、被害者の証言のところで理屈屋さんが指摘された通り、そうした目撃証言が偽証だと真っ先に考えるのは、自分がやっていないことを一番良く知っている他ならぬ被告人自身です。だから何はなくとも即座に、真っ先に否定をしないとオカシイんですよ。
    この映画の場合、被告人は被害者の証言を全く否定したり疑問を呈したりしていなかったので、「ホントにやってないの?」という疑問を裁判官に持たれたとしても、仕方ない部分はあるでしょう。

    しつこいようですが、弁護側が矛盾を指摘したりなどしていないうちに、証人の証言を、初めから「偽証では?」などと疑って聞いては、イケマセン。これは間違いなく「予断」です。疑いを持って聞けば、どんな証言も嘘に聞こえたりするものです。

  • Re: 合理的な疑問の余地なくとは何か?

    2008/02/12 by