バベル (2006)
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最後の
2007/04/18
by
わからないついでに
最後のシーンの意味がよくわかりませんでした。
父と娘の関係を母が知って自殺し、その事をあの紙に書いたという事なのでしょうか?
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Re: 最後の
2007/04/29 by
通りすがり> 父と娘の関係を母が知って自殺し、その事をあの紙に書いたという事なのでしょうか?
うわー!!! そういう見方も出来ちゃうのかあー!
公式サイトの方の凛子的には親子の愛みたいな感じで書いてあったけど、今の世の中そんなこともありえるよねー!
怖い怖い。。 -
Re: 最後の
2007/04/29 by
わからないついでに通りすがりさんへ
返信ありがとうございます。
親子愛のつもりで描いていたんですねー。
刑事が出てきた後の部屋に帰った父が、全裸でベランダに立つ娘を見てあんな普通なリアクションするだろうか?と思って深読みしちゃいました。 -
Re: 最後の
2007/05/02 by
ミーシャモロッコの少年と姉の近親相姦的性欲と、
バレーの試合後に、
「お前の父親とやってやる〜」
の様な台詞が確かあったような。
この二つから考えるとそうではないでしょうか。
メキシコのおばさんもそうでしたが
屈折した性欲もテーマの一つかもしれませんね。 -
Re: 最後の
2007/05/03 by
Dia私は、母親を殺したのが娘であり
それをすべて理解している父親。
だから、あの銃をあげちゃった・・
人に見せるなと言い残して・・
そうゆう設定で見てしまったw
間違いかも知れませんが・・^^; -
条例違反。。
2007/05/03 by
taru>父と娘の関係を母が知って自殺し、その事をあの紙に書いたという事
>母親を殺したのが娘であり
それをすべて理解している父親。
う〜ん。。映画的にはどこにもそういう暗示はなかったように思うのですが。。映画に素直に読み解けば、母親の銃による自殺を発見した娘が、それ以来少しおかしくなってしまった。。というだけの話ではないですかね。なぜ母親が自殺したのかは分かりませんが。
>刑事が出てきた後の部屋に帰った父が、全裸でベランダに立つ娘を見てあんな普通なリアクションするだろうか?
あれが初めてだったら、当然びっくりすることでしょうね。しかし、あの父親の様子から、それが初めてのことではないんだということが分かるのではないでしょうか。
それにしても、娘の誘惑(?)に乗ってしまったら、刑事はコトの最中に父親が帰ってきて、すると相手は18歳未満だし、下手すると新聞沙汰で失職ですよね。あの歯医者もうっかり挑発に乗れませんよ。あの娘危なすぎですね。映画の脚本家は、日本の淫行条例を知って作っているんだろうか。(苦笑) -
Re: 最後の
2007/05/03 by
わからないついでに色々解釈の仕方があるんですねー。
もう一回見たらわかるのかも知れないけれど、正直あの映画をもう一回見る気にはなれないです…。 -
Re: 最後の
2007/05/03 by
ミーシャ「バベル」は旧約聖書のバベルの塔を土台とした話ということで、
旧約聖書の元は楽園を追われた失楽園のアダムとイブ。
そこからこの世の混沌は始まり、バベルでさらに深い混沌へと落ちていく。
禁断の、背徳の、隠避な世の中はこうして作られた。
モロッコの少年の自慰、実姉への性欲、メキシコのおばさんと、おじさんの秘め事、そして日本の少女の悲しき性癖、肉欲、そして、父親との関係。全て生きる中で実際に生まれ続けている混沌なんでしょう。 -
Re: 最後の
2007/05/04 by
‥ぱど映画から受け取った雰囲気を反映させたいろんな解釈も許されるシーンだと思います。
近親相姦の過去があったりとか、娘が殺したとか。
それが、この現代の持つ病んだ部分の反映として現れるのでしょう。
物語内で完結したのだとすれば、父親がエレベーター前で話したこと「母親は銃で自殺した。それを娘が見た」じゃないかな。
ようするに、嘘をついたことと本当のことが、あの紙には、書いてあったんじゃないかな。 -
Re: 最後の
2007/05/05 by
taru>ようするに、嘘をついたことと本当のことが、あの紙には、書いてあったんじゃないかな。
いやぁ。。ほとんど訳の分からない妄想が書かれていただけだと思いますが。。(もしかするとH系統の)(^▽^笑) -
Re: 最後の
2007/05/05 by
無責任な傍観者あえてその場で読ませなかったことから、何か意味ある文章を想像しましたが、それを定食屋で読む刑事の表情から大したことが書いてないと思いました。
要は、制作者も何も考えていないんじゃないの? -
Re: 最後の
2007/05/05 by
カイタカケンこんにちは。
チエコが“あんたの親父とやって『機嫌を直す』”と言ったのは、バレーの試合中判定を巡って審判に楯突いた為に退場させられ、結果、彼女達のチームが負けた事に対して、チエコの友人達は彼女がまだバージンだから、いつもイラついていると思ってたからじゃないかしら?
彼女の不機嫌さを“いつもじゃん、まだやってないから”と言ってからかってましたよね。
彼女の友人達はチエコの事をそうとしか理解で来ていないのでしょうね。
この作品の意図しているものに、『言語』『言葉』の違いによって成立しないコミュニケーションと、『言葉』が通じるのに、それでも通じ合えない人間の孤独な魂を対比させてあると私は思ってます。
薬をやって、ウイスキーを回し飲みして男達と『愉しんで』いても彼女の心は満たされない、ひりつくような孤独が、チエコを常軌を逸した行動に走らせます。
刑事に渡したメモの中身は、彼女が何故刑事に嘘を付いたのか、彼女が母の死をどう受け止めているのか(あるいはその真相も含めて)がきっと書いてあるのでしょう。
そして、ここで重要なのは、彼女が『言葉』によってそれを刑事に告げようとした事です。
彼女のメモを読んだ刑事の表情は複雑なものがありました。
それをどう受け取るかは、それぞれ映画を観た観客に考えて欲しいということではないでしょうか。 -
Re: 最後の
2007/05/05 by
taru>カイタカケンさま
刑事は猟銃がどういう経緯で狙撃に使われることになったのかを確認に来ただけです。そして、日本ではほとんど犯罪性のない単なる確認作業の仕事でした。
ところが、チエコは関係のない母親の自殺について話し始めた訳でしたね。訪ねてきた二人の刑事はおそらく担当が違うので、母親の自殺の件は知らなかったかもしれません。ですから、関係のない話を勝手に始められ、勝手に娘は裸になり、父親はいつまで同じことを聞くのかと勝手に怒る訳ですね。
ですから、チエコが書いたメモの内容がいかに切実な内容であろうと、刑事から見たら、一寸頭のおかしな娘の書いた妄想としか受け取れないものであったろうと推測します。
そして、裸の娘を見てもただ黙って抱いてやるしかないあの父親にも、娘の気持ちは何も分かってはいません。
ちなみに、最後の父親が娘を探すシーンで、カイタカケンさんは父親の視線の向こうに何を予期されましたか?
私は、チエコが妄想の中の母親と同じように、あの手すりを乗り越えて飛び降りてしまう所を予想していたのですが、ただ裸で立っているだけで、一寸拍子抜けしてしまいました。
もっともチエコの自殺は、神への冒涜として欧米の人にはショッキング過ぎるかもしれませんね。また、あの高層階からの飛び降りは、結果が余りにもグロ過ぎるかもしれません。。
(^▽^) -
taruさまへ
2007/05/06 by
カイタカケンまず、私はブラピ夫婦(リチャード、スーザン夫婦)と役所親子(ヤスジロー、チエコ親子)のパートは対比になっていると思ってます。
この2組の家族に共通するのは、どちらも大切な身内を亡くしてしまう『喪失』体験を持っている事、そして愛する家族を失う事で生まれる悲しみや行き場のない怒り等を、残された者達が傷つき合いながらも『共有』する事で癒されていく重要な課程を経ていない事なんですね。
リチャード夫婦の子供サムは睡眠中の突然死(←乳幼児突然死症候群じゃないかしら?)
スーザンは自分のせいで赤ん坊が死んだのではないかと言う罪悪感を持ってました。
それを支えてやるのが夫であるリチャードなのに、彼のまたそこから逃げてしまう…
子供を失った事実を封印し、目を逸らす事で、夫婦関係もすっかり冷め切ってしまってましたね。
かたや、ソウジロー親子も母(妻)の自殺を乗り越えられてはいませんでした。
父ソウジローは、妻の死後も、趣味である狩猟関係の記念品を部屋に飾っておける人間です、娘がそれを毎日、見てしまうのにね…
おそらく彼は強い人間なのでしょう。
しかし、娘は彼のようには行かない。
チエコは母の死を自身だけでは受け止めきれずにもがき苦しんでいます。
ソウジローは自分も妻を亡くした寂しさに耐えている“自分なりに頑張っている積り”なんでしょうが。
スーザンはモロッコでの事件の際、
通訳の母親から差し出されたアヘン(?)を吸い、それまで張り詰めたままだった精神に思いがけない変化が起きます。
銃弾を受け、傷ついた彼女を優しく撫でてくれるのは、異国の地で『言葉』も通じない全く赤の他人の老婆です。
この無償の優しさが彼女の頑なな心を溶かし、夫との和解への道を開きました。
チエコの場合は、
モロッコ事件で使用されたライフルの調査にあったていた刑事によって、変化は齎されます。
彼女が母の死因に関して付いた嘘は、おそらく彼女の潜在的願望、つまり彼女自身に自殺願望があったからじゃないかしら?と私は思っているんですね。
彼女の嘘は刑事が少し調べたら直ぐにわかってしまう程度の稚拙なものでした。
全裸で刑事の前に現れたチエコは歯科医師の時と同じ、若い体を惜しげもなく与える事で相手の関心を惹こうします。拒絶されれば、それまでよりモット傷つくのは分っているのにね…
案の定、刑事は歯科医師と同じ反応”何してるんだ、一体何を考えてるんだ”と言って一端は彼女を否定しますが、
泣きじゃくるチエコの姿を見て、刑事は彼自身も思いもよらなかったであろう『優しさ』を示します。
それは、唯、何もいわずに抱きしめてあげる事。
彼女にとって赤の他人である刑事が示した優しさが、殺伐としたチエコの心に変化を齎します、モロッコの老婆がスーザンを救ったのと同じく…
母の死後ずっと感じていたであろう、決して癒える事のない渇き、苛立ちが静まり、彼女は素直に心を開く準備が出来きました。
その後、帰宅した父との抱擁でようやく彼女は母の死を乗り越え、父との新しい繋がりを結ぶ出発点に起てたんだろうと思ってます。 -
救いはあるのか
2007/05/06 by
taru>カイタカケンさま
モロッコの場面で、男が床にゴザを敷いて礼拝していた(?)らしい場面がちらっと出た以外(はっきりしませんが)、映画では神に祈るという行為は全くありませんでしたね。日本という国は西洋の人から見ると東の果ての国で、キリスト教布教という点では失敗した国です。それはお隣の韓国と比べてみると明らかです。
その不毛の地にそそり立つ高層ビル群は、現代のバベルの塔なのでしょうか?高層ビルはアメリカにもイギリスにも、アジアの他の国にもあるのに、何故日本だったのか。。?
最後の場面に未来への新しい出発点を見つけることができるのだとしたら、そこの所をよく考えてみることが必要なのかもしれませんね。 -
ジグラット(ジッグラト)
2007/05/10 by
カイタカケン役所の高層マンション(東京)がメタファーである事には違いないと思ってますが、それがなんであるのかがまだ見えてこないんです(涙)
もし、何かつかめるとしても、私はもう少し時間が掛かりそうですね。
役所がモロッコのガイドに渡したライフルはアメリカ製のウィンチェスター、それを仲介したのが日本で、メキシコの不法就労者が国境突破を図り、モロッコのベルベル人の息子の命を奪う。
急速なグローバリーゼーションが齎した『負』の連鎖は、『銃』の持つ根源的な暴力性を加速させ、悲劇が生まれていきます。
アメリカの武器がイスラムで破壊された事に寓意は間違いなくあるでしょうね。
公式サイトを見ていて気になった所があるのですが↓
<リンクURL>
“怒った神が言葉を乱し、世界はバラバラになった”となっているのですが、これはちょっと『?』なんです。
手持ちの本(聖書共同訳 日本聖書教会編集)から引用しますね。
“世界中は同じ言葉を使って、同じ様に話していた
東の方から移動してきた人々はシンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた
彼らは『レンガを作り、それを焼こう』と話し合った
石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを用いた
彼らは『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた
『彼らはひとつの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ
これでは、彼らが何を企てても、妨げることは出来ない、我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう』
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設を止めた
こういうわけで、この町はバベルと呼ばれた
主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである”
聖書には古代メソポタミア文化の影響がありますが、シンアルという地名はメソポタミアを指し、バベルの塔もバビロニアのジグラット(ジッグラト)と言う多層構造の神殿の塔と深い関係があると言われています。
発掘されたジグラットの一部から瀝青(アスファルト)が出土してますね。
モロッコの山羊飼い家族は先住民ベルベル人の設定になっていました。
言語系統の比較区分だと、ベルベル語はアフロアジア諸語の中の一つ、セム語やヘブライ語、アラム(シリア語)、コプト語と同じ区分になり、ラテン語、ギリシア語、英語などの印欧祖語とは別系統になるようですね。
このあたりの何か寓意があるのか、今の所、さっぱり分りません(笑) -
日本でなければ行けない訳
2007/06/13 by
Baadtaruさん、カイタカケンさんお久しぶりです。
他の皆さん、お邪魔します。
>その不毛の地にそそり立つ高層ビル群は、現代のバベルの塔なのでしょうか?高層ビルはアメリカにもイギリスにも、アジアの他の国にもあるのに、何故日本だったのか。。?
まず、高層ビルに関係なく、何故日本でなければならないか、ということですが、こちらに関しては、まずは銃の出所がどうあるべきか、ということと密接に関連しているのではないかと思います。
銃撃事件の捜査の最初の段階で、銃の出所が問題になっていましたが、日本人の観光客からのプレゼントである、ということが早い段階から分かっていました。これが、例えば、怪しげなルートで入って来た密造された銃であったりしたら、事件はテロであるという説を裏付ける証拠と取られかねず、物語は全く違ったものになってしまったでしょう。早い段階で警察どころか治安部隊出動ということになりかねず、家族の物語が世界規模で連鎖して悲劇が生じる(あるいは苦痛が癒される)という話の展開にはならなかったはずです。
アメリカの友好国である日本人警官が観光ガイドに友情の印として与えた銃、というのは設定として多少の不自然さは感じますが、物語を回すためには最善の設定だったのでしょう。
護身用や武器として銃を使う習慣がない国、という設定は物語を複雑にしないためには必須だったのでしょうが、他に適当な国を思いつかなかったのかもしれませんし。
>最後の場面に未来への新しい出発点を見つけることができるのだとしたら、そこの所をよく考えてみることが必要なのかもしれませんね。
私は最後の場面のチエコの姿から、キリストとマリアの両方を連想したのですが、あながちはずれではないと思います。弱きもの、一番すくいを必要としているものが救われ、ある種の聖性を帯びるという寓意があった様に思います。チエコが処女であったらしいというほのめかしも伏線としてここで生きて来ていると思いました。
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