バベル (2006)
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人のあり方に、温かくて愛情のある映画。
2007/12/26
by
犬のボードレール
こんにちは。
映画の中の人々にも、ひいては映画の外の人間のあり方にも、愛情ある映画だと思います。
この映画に見るものを、『バベル』は決して「愚かな人々の愚かな行い」だとはしていない。登場人物達を、映画は洞察と思いやりを持つ人々だとしている、と。
この映画では登場人物達が皆、不器用でおずおずとした「やり−とり」をする様が見られます。非効率的で、なかなか相手に届かず、見るからに「下手なコミュニケーション」のあり方に見えます。
その中で最も「効率的・確実・器用」に「届ける」人物は、ヤギ飼い兄弟の弟です。言葉も当意即妙だしex.警官との会話 銃弾も「真っ直ぐ確実に」届けます。
彼の傍らにはいつも兄がいて、弟のその様と対比されています。兄さんは常に口ごもり、銃弾は「真っ直ぐ届ける」ことをよくしません。
この映画の中で弟少年が学んだ事とは「届けたものが届いた相手を傷つけるかも知れない」ということではないかと思います。
二度目に見た時に気付いたのですが、弟が「姉さんは(裸を見られるのを)知ってるよ。知ってて承知しているよ」と言うのに、兄さんはなぜ「それでも僕は許さない」と考え込む様な様子で言ったのか。
兄さんはそれに気付いていたのではないかと思います。この場合なら、自分が届けた欲望が姉さんを傷つけることは本当にないのか、その怖れに彼は覗き穴を通して彼の欲望を真っ直ぐ「届ける」前に、立ち止まり、考え込み、ためらっていたのだと。
弟少年が手足の様に器用に扱う、確実且つ効率的「届け」のツール:猟銃を、映画は彼に打ち砕かせます。
登場人物達が見せる、「下手な」回りくねった「届け方/コミュニケーション」を、この映画は肯定していると思います。
人々は何かが欠け・足りないからそうしているのではない。「届いたものが届けた相手を傷つけるかもしれない」という洞察があり、届ける相手への想いを持っているからこそ、決して器用には見えないくねくねとした非直接的「届け方」をしているのだ、と。
旅行者夫婦も日本の父娘も、この映画の彼らは何かに「失敗」しているのでは無い、と思います。自分が届けたものが相手を「傷つけるかもしれない」という洞察と「届ける」相手への想いがあるからこそ、自分の心をストレートに「発砲」するのでなく、あんなに時間と手間を掛けて、不器用にも見えるやり方で、恐れとためらいを伴いながら、何度も何度も「届けよう」と試みを続けていたのだと。
どの登場人物も、とても愛おしく思えました。
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