イースタン・プロミス (2007)
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ニコライの正体
2008/06/22
by
masamichi
後半で明らかになるニコライの正体が潜入捜査官だったという設定・・・
これは必要だったのだろうか?
取って付けた様で必要性を特に感じないのだが・・・。
ニコライが幹部試験で語った生い立ちや、それを示すあのタトゥーは嘘だったのだろうか?
ニコライのあの虚無的な佇まいもマフィアとしての人生によるものではなく、潜入捜査官のそれによるものだとすれば、見方が180度変わってしまう。それがとても勿体無いように思ってしまう。あえてニコライをほとんど出番がなく記号としてしか描かれない警察側に持ってくるのは一種の救いのような気がしてならない。それほどこの作品ではマフィアの世界が重厚且つ救いようがない程退廃的に描かれている。そしてまたそれが美しい。そして更に付け加えるならニコライはいつかは脱却できるのだ。いつかはキリル達を糾弾する側に回るのだ。もちろん潜入捜査中に正体がバレて惨たらしい拷問の末に命を落とすこともあるだろうが、この作品では少なくともその将来は想像できない。
アンナの父を救う為の設定だとしたらなんとも勿体無いものだ。
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Re: ニコライの正体
2008/06/24 by
カイタカケンこんにちは、masamichiさま。
> ニコライが幹部試験で語った生い立ちや、それを示すあのタトゥーは嘘だったのだろうか?
↑ニコライの生い立ちは兎も角として、タトゥーが示すように、少なくとも刑務所経験はあるんじゃないかしら。
マフィアのボス達が、あれだけタトゥーに信頼を置いていますからね、ニセの経歴、履歴書だとバレたら、大変だもの。
ロシアンマフィアの進出に手を焼いたロンドン市警が、ニコライのような経歴を持つ男をリクルートし、潜入捜査官に仕立てたか、あるいはKGB解体後のフリーランスで、ロンドン市警とも協力関係にあるか(←ロンドン市警と内通していることは台詞でもありましたね)
イギリス側と何らかの取引があってもおかしくないし…
このあたり、確かに曖昧ですね。
> そして更に付け加えるならニコライはいつかは脱却できるのだ。いつかはキリル達を糾弾する側に回るのだ。もちろん潜入捜査中に正体がバレて惨たらしい拷問の末に命を落とすこともあるだろうが、この作品では少なくともその将来は想像できない。
↑作品では明確には分りませんね。
唯、アンナとの邂逅、刹那のふれあいを思うと、この2人の住む世界は、赤ちゃんをキッカケに一瞬交差したけど、それ以上は決して交わらない、ラストシーンで、アンナが一戸建て(←しかも庭付き)の暖かな家庭で子育てしている様子、彼女の母も、エジンバラに身を隠していた叔父も一緒の様子を見ると、ニコライは赤ん坊の将来、この生活を守ってやる為に危険も省みなかった、彼からのビックなクリスマス・プレゼントだったと思えます。
赤ちゃんの名前は、クリスティーナ、クリスマスにちなんだ名が与えられましたね。
この赤ちゃんは、殺される運命にあったんですもの。僅か14歳の少女が産んだ“法の泥棒”のボスの『血』を受け継いだ赤ん坊です。
> アンナの父を救う為の設定だとしたらなんとも勿体無いものだ。
↑アンナの叔父は偏見も持ってる、アンナの元カレの話でとんでもないことを言ってました。
その割には旧ソビエト時代の権威にすがるような、気ガ弱いのか、いい格好がしたいのか、よく分らないところがあって(笑) -
Re: ニコライの正体
2008/06/25 by
masamichi> ロシアンマフィアの進出に手を焼いたロンドン市警が、ニコライのような経歴を持つ男をリクルートし、潜入捜査官に仕立てたか、あるいはKGB解体後のフリーランスで、ロンドン市警とも協力関係にあるか(←ロンドン市警と内通していることは台詞でもありましたね)
イギリス側と何らかの取引があってもおかしくないし…
元犯罪者が捜査官などなれるわけがないと思っていましたが、なるほど確かに色々な可能性が考えられるわけですね。結局は受け手が想像するしかないのでしょうけれど。
しかし試験の中で、ニコライの発する台詞、「俺は15歳の頃から誰をも信用することなく生きてきた、これからもそうだ」、この一言だけは彼の人生の中で確かなものだと思えました。
> ニコライは赤ん坊の将来、この生活を守ってやる為に危険も省みなかった、彼からのビックなクリスマス・プレゼントだったと思えます。
とてもロマンチックな表現ですね。カイタカケンさんのような見方からすれば、この作品もある種のラブ・ストーリーだと言っていいかもしれませんね。
私はこの作品は終始俯瞰的に捉えてしまいました。アンナという一般人がふとしたことからたまたま非日常の世界に入り込んでしまい、そこにニコライという潜入捜査官がたまたま存在した。そして二人の刹那的な人間関係の連続の中でクリスティーナはたまたま生存することができたのだ、と。アンナの立場から見れば異世界からの生還者と言えるかもしれません。
そしてその異世界にあえて身を置くニコライはある意味、知らずしてしかし自らはそこから出ようとせず緩慢に破滅していくといういかにもクローネンバーグらしいキャラクターなのかなとも思えてきました。 -
Re: ニコライの正体
2008/06/25 by
カイタカケン>元犯罪者が捜査官などなれるわけがないと思っていましたが、なるほど確かに色々な可能性が考えられるわけですね。
↑プログラムに少し載っていたんですが↓
“FSBがあそこまで、タトゥーを彫って、マフィア組織を内定するとはちょっと考えられない(←青学名誉教授寺谷弘壬氏のコメント)”
ニコライは、ロンドン市警(スコットランドヤード)の警部に、セミオンを潰してロンドンのボスの座につくとまで言ってましたから、FSB生え抜きで、組織に対する忠誠心に溢れた人間の発言とも思えなくて…途中で変質した可能性もありますが(←サウナでキリルの身代わりとしてチェチェンマフィアに襲われ怪我をした後でしたもの。セミオンがニコライを捨て駒にしたのですから)
masamichiさんが指摘されているように、
ニコライの試験の時の彼の発言“俺は15歳の頃から誰をも信用することなく生きてきた、これからもそうだ”←私もこの台詞だけは真実であったと思います。
>この作品もある種のラブ・ストーリーだと言っていいかもしれませんね。
↑そうなんです『ラブストーリー』としても見ていました。ニコライ&アンナ、もう一つはキリル&ニコライ。
終盤、赤ちゃんを殺害しようとしたキリルをニコライ&アンナが止めに入ったシークエンスで、
ニコライは興奮状態のキリルを抱きしめてやっていたでしょう?
その後、キリルはすっかり機嫌を直して新年のパーティの話までやってた。
キリルはニコライに精神的に依存しています。もう彼なしでは意思決定も満足には出来なくなるでしょうね。
アンナは、交際していた医者との間に出来た子供を流産してしまった過去があり、危険だと知りつつも、彼女が赤ちゃんの為にマフィアの組織に近づいてしまう心理はよく理解できるんですね。
ニコライも赤ん坊をタチアナの故郷に戻すより、アンナに預けた方が子供にとって幸せだと考えていました。
ニコライは売春宿の女にも、金を渡す時に“死ぬなよ”と声をかけていましたね。
この時に渡したカードは、一瞬だったけど多分キリストのイコンだと思うんです。
光背が見えましたから…
この娼婦は、キリルの台詞にあったように、警察に保護されました(←表向きはガサ入れを装っていたようですが)
売春宿で死んだような目をしていた女が救われたのは、市警と内通していたニコライの計らいだったと思っています。
>そしてその異世界にあえて身を置くニコライはある意味、知らずしてしかし自らはそこから出ようとせず緩慢に破滅していくといういかにもクローネンバーグらしいキャラクターなのかなとも思えてきました。
↑これはとても良いですね。
ラストカットのニコライの表情は、本当に掴み辛くて…何を考えているのか、さっぱり読めなかったの。
彼はこの時、刺青を彫られた時にも持っていたブレスレットのようなものを持っていましたね。 -
Re: ニコライの正体
2008/06/30 by
犬のボードレール> 後半で明らかになるニコライの正体が潜入捜査官だったという設定・・・
> これは必要だったのだろうか?
> 取って付けた様で必要性を特に感じないのだが・・・。
> アンナの父を救う為の設定だとしたらなんとも勿体無いものだ。
こんにちは♪
人間を離れて独立し「自立・自律する、意志を持った情報」という、とても奇妙な物語の映画だと思いました。
主人公の男性が「潜入捜査官」であるのは、単なる一「設定」ではなく、主人公のキャラクターの本質である様に思います。
「死人と共に残された書き物は、死体と一緒に葬れ」と、ヒロインの叔父さんは言います。けれど少女が死ぬのと入れ替わりに、2つのものが活動を始めます。赤いポシェットから取り出されるノートと、お腹から取り出されて息をし始めた赤ん坊は、共に少女が残した「情報」です。少女亡き後、このノートが「声」を出して己自身=LifeStoryを語り始めます。ノートと赤ん坊がイコール関係であることは、赤ん坊の姿からもノートの「声」が出ている画面からもわかります。
人が死んだ後その人と共に消されることを、「情報(ノート)」は拒んでいる、人が死んでも自分は生き続けるつもりだと自己主張しているのだ、と自分には見えました。
ここでこの「情報(ノート)」は、すでにそれ自身の「意志」(!)を持っているかの様に思えます。
同様の「情報の自立活動」が、死体発見現場で警察の男性が語る「刺青」についてもみられます。人間が口を利かなくても、身体の上の「情報(書き込み)」が、自律して己自身=LifeStoryを語るのだ、と。
ボス:セミオン氏とは、この「情報」を「消す」人です。
「aRUSSIANwithThatKindOfINFORMATIONcannotBeTrusted」と彼は言います。ノート&赤ん坊&ノートを読んだ(=withINFORMATION)叔父さん:ノートは実際に火をつけられ、焼き殺され(!)ます。その光景が、それを見つめる主人公の男性の姿に重ねて示されます。
主人公の男性が他の登場人物と異なるのは、彼がBIOinformation(!)とでもいう様な奇妙なモノであること だと思えました。aRUSSIANwithINFORMATIONそのもの、生命体として自己の意志を持ち活動する「情報」。実際、彼は全身が「書き込み」だらけです。そしてボスはやはり、この「情報殲滅」を狙います。サウナのシーンでは、銃弾を撃ち込む等ではなく、刃物によって「記述」を引き裂く というやり方が採られます。
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は「自律活動する銃器(としての主人公)」の物語だと思いましたが、『イースタン・プロミス』は人を離れて自主的に活動する、独立した意志を持つ「情報」の映画だと思います。人間の「意図」など無関係に、それとは独立して自己目的化(?)して己の生を生きる、意志を持った「情報」ですので、機関をはじめ人間達の意向がどうであろうと、そうした者としての主人公の「諜報活動」がとどまることは決してないと思います。
「ボスはやり過ぎた」。同輩たる「情報(ノート)」が消される現場も目の当たりにした主人公が、身の危険を感じて、また「情報」一般のために、「情報を消す人」としてのボス追い出しを決意するのは、当然の運びだったと思います。
「どうして助けてくれたの?」ヒロインへの好意もあるし、「情報(赤ん坊)」消去阻止のためでもあると思います。
人の意志を離れて「銃器」が独立した意志を持ち自主活動する/「撃ちたい」意志を持つ銃器が、人の身体を「道具」にして自在に活動する@『・バイオレンス』 のはまだ想像可能な範囲でしたが、「情報」というツールが人間から独立して自律活動をしたがる物語など考えてみたこともなく、しかもギャングもの?としてとても魅力的な映画で(セミオン氏素晴らしいと思います)、同時に想像を超えた奇妙な世界を見る映画とは、ぶっ飛びました。
人/死人と一緒に消されることは、この映画の「情報」達は決して望んでいないようです。人間の考えることなど無関係に、何としても「生き続ける」意志をかたく抱いているようです。
映画は最後に「情報」が、火刑をも潜り抜けてしぶとく「生き続ける」ことに成功したことを示します。
大切に育てられている「赤ん坊」の姿と、店内にある主人公の姿。両方に重ねてノートの声が響きます。赤ん坊の中と、主人公の中。両方に生き続けるノートのLifeStoryは、人間の都合で「消されてなるものか」とその強い声で自己主張しているかのようです。
映画でしか出来ない、映画だからこそ出来る、とても奇妙な世界、そして面白い世界だと思います。
すっかり堪能しました〜♪ -
犬のボードレールさんへ
2008/07/09 by
masamichi奥深い考察に非常に読まされるものがありました。
「情報」を後世に残すというのは、ある意味、生きとし生けるものの根源的な欲求であり、そのDNAレベルでの闘いを描いた物語と見れば、これもまたクローネンバーグ的だと思います。
又、セミオンの、息子キリルの身代わりとしての主人公殺害の間接的関与についてすらも「情報殲滅」という、超俯瞰的というか文字通り記号的というか、とにかく乾いた分析がとても印象的でした。主人公が持つ偽りの「情報」も「殲滅」の対象にされるというのは、ある意味社会の中で生きる人間社会の根底にある逃れられない宿命のようなものを感じました。
一つの世界に本物の「LifeStory」を持つ者と偽りの「LifeStory」を持つ者がいて、しかしその両者にも平等に生と死と、そしてアイデンティティーが存在するのだと解釈すれば、この物語をより一層感慨深く感じることができるのだと思いました。 -
ゴミ箱の中で。
2008/07/18 by
犬のボードレールmasamichiさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます!
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』『イースタン・プロミス』は、「乗っ取られた人体」としての主人公を続けて語っている様に思いました。両主人公共に、元来はヒトにとってツールであるものによって、乗っ取られている様に見えます。『・バイオレンス』は「手の先につけた道具」:主人公に先立って、彼の息子と「野球グラブ」の間に同じことが起こります。『イースタン・』は「情報」によって。
普段ヒトに「使われている」もの達が、両映画ではその立場を逆転し、主人公はその身体を彼らの意志(!)発現のための「道具」として「思い通りに使われている」風に見えました。
『イースタン・』では少女が14歳で死んで、入れ替わりに「ノートと赤ん坊」が生命活動を始めます。主人公は「私は15歳で死んだ」と言いますが、その時同じ様にして入れ替わりに「情報(の道具)」としての主人公の生命活動が始まったのかな?とも思います。
「情報」が、へその緒を切ってヒトから独立したEXISTANCEを確立するなど、自力ではとうてい不可能な発想で本当に吃驚しました。改めて考えれば、確かに今ヒトにより最も使用頻度&廃棄頻度の高いツールは「情報」ではないかと思います。便利に使われるだけ使われて、用無しになったら即廃棄され存在を消される存在。それを考えると、この映画の物語:「消されてなるものかと頑として存続を主張する情報たち」 はとても現実味があるし、なぜ今この映画が現れたのか、よくわかる気がしました。
「解説」等無いのに、画面上の光景からこうした普通でない物語が伝わってくる、というのは凄いと思います。『・バイオレンス』動作の様から、何も説明受けないのに主人公が「操られている」状況が、目で見て感じとれます。『イースタン・』も主人公を一目見てすぐわかる「人間ノート」にしてしまうとは完璧脱帽!(笑)ありえないはずの話にウソが感じられないのは、とりわけ画面上の人の身体が雄弁に語っているからだと思います。
見せ場のサウナ室シーンにも、説得力感じました。主人公の身体の書き込み=「LifeStory」の個々のエピソード が切り裂かれようとするここでの出来事は、ちょうど「個人情報をシュレッダーにかけて廃棄する」(!)に相当するかと思います。ヒロインの叔父さんの主張「人が死んだら残された物は死体と一緒に葬れ」も、少女当人の亡き後独自に朗々と声を上げる「LifeStory」のノートも、最近強調されている「個人情報保護」のことを強く思わせます。
人目に触れさせたくない「不要な情報消去」というセミオン氏の企てと、「個人情報保護」が進めていることとは、ぴったり重なっている様に思います。
情報が存在継続を主張して削除・消去に抵抗するなど、話で聞いても自分にはまるでピンと来なかったと思いますが、このシーン見たら、「人間都合」で好きなように存在を消される方が、そっちの都合で勝手に消すな、自分だって生存を続けたいのだと、存在継続の言い分を主張し始めたとしても、不思議ではない気がしてきました(笑)。主人公は全力で「消されてなるものか、絶対生き続けてやる」と頑張ってます。あの「存在継続への強い意志と強靭な生命力」は、見たら信じざるをえないです。想像を超える奇妙な話ですが、人の身体という映画にとってbasicでリアリティのあるもので、それを伝えているからだと思います。
ズタズタに引き裂かれても、まだ息をして動いている主人公。考えてみれば、自分もセミオン氏と同じことを毎日しています。「不要な情報」を消去・削除して、その存在を抹消しようとするたびに、自分のパソコン上や部屋のゴミ箱の中に、サウナ室の主人公と同じ物が転がってうめき声を上げているのかな、と(笑)。
こんなことはこの映画を見て初めて、考えさせられました。「講義」とか「評論文」等で説明してもらっても、自分の頭では考えることの出来なかったことだと思います。
難しいことは全然抜きで、ただとても面白く映画見たのですが、これだけ多くのことを考えさせられるとは、思ってもみませんでした。
映画の力ってすごいんだなー、と、改めて思います。
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