ラスト、コーション (2007)
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デュアルな世界の崩壊
2008/03/05
by
カイタカケン
ヨーロッパ諸国が群雄割拠する半植民地であった上海は、1937年、日本軍の占拠で一層複雑化し、融合も相互理解も無いままモザイク状に顕在化します。
移動する車内のチアチーの目線は、複雑な構造の魔都上海を、物語上の経済効果によって書き割りのように切り取っていきますが、車中の窓枠が文字通り『フレーム』となって固定され、見る側(観客)の視線は抑制や制御の境界からはみ出る事が許されません。
本作品には、一発の銃弾も登場しませんが、占領下の支配と被支配の対立関係は、寓意化されたマージャンとベッドの戦い以外に観客の視線を抑制する事で二重の緊張感を生み、物語を牽引していきます。
日本料亭でのシークエンス
イーはチアチーに対して“娼婦よりも娼婦らしい”と言ってましたね。
彼が娼婦に擬えているのは彼自身、
彼に崇高な政治的目的があったにせよ、イーが属していたのは国民からは日本の犬、売国奴と思われていた汪兆銘政権です。
属する組織と個人のアイデンティティが乖離する苦悩、内的自我と外的自我の相克、イーはその虚実の狭間で『擬態』を繰り返していました。
イーには日本の敗北が見えている、でもアメリカの参戦による脅威に背を向け“いつまでも調子はずれの歌”を歌っている日本に『媚を売る』しか汪兆銘政権は存続できない。
その彼の胸の内を察してチアチーは『天涯歌女』を披露し、同じ祖国の人間で変わりないと彼に理解を示しました。
猜疑心の塊のようなイーは涙を流し、この場面がチアチーを受け入れた瞬間でしょう。
イーはチアチーが搾り出すように言った“快走”の一言で宝石店を飛び出し、車に逃げ込みますが、果たして彼はチアチーのこの言葉をどう受け止めてたでしょうか?
3度のベッドシーンで、暴力的支配→理解への模索→支配関係の逆転と融和が抽象的に描かれていたと受け取っていたんですが、イーは『天涯歌女』の場面で相互理解に至った女との関係が、スパイとターゲットとしての関係でしかなかった事を認めざるを得なくなります。
偽りの理解はなく真の理解を与えてくれたチアチーに命を救われた瞬間に、その理解こそが擬態であった事を思い知らされる。
そうじゃない、あの時だけは『真実』であったとイーが確信できるものはおそらく無いでしょう。
ラスト、チアチーの処刑時刻を知らせる時計の音は、権力という『媚』を売る娼婦の為に分断されていたイーの内的、外的世界が足元から崩れていく予兆なのかも知れません。
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Re: デュアルな世界の崩壊
2008/03/05 by
じょりちょこすばらしい!
感動しました。
もう一度観てみます。力強い評論だと思います! -
光のノアール“老上海”
2008/03/06 by
カイタカケンこんにちは、じょりちょこさま。
レス、ありがとうございました。
誉めていただいて、とても嬉しく感じてます。
終盤、チアチーが宝石店を後にしたシークエンス、
柔らかい光線に浮かび上がる“老上海”の優雅さと、人力車に揺られながらいかにも儚げなチアチーの佇まいとの対比には目を奪われましたね。
そこには、人力車の若者の屈託の無い笑顔と、占領下であっても地に足をつけ逞しく生きる庶民の営みとユーモアーがあり、このシークエンスは大好き♪
まだまだ書きたい事はあるのですが、止まらなくなる性質なので(笑)、とりあえず初見の感想としてこのあたりで…。
そうそう、じょりちょこさんのフリートーク板『映画とマッカーシズム』楽しく拝見させていただいてます。
大変勉強になりますね!感謝。
では、また何処かで…どうもありがとうございました。 -
Re: デュアルな世界の崩壊
2008/03/07 by
むぎわら帽子のジミー三回あったベッドシーンは、そういう意味があったのですね。私は何度考えてもわからずじまいでした。
この作品が興味深いと思ったのは、殺すことを目的に近づき、イーを愛するふりをしていたチアチーが結局目的を果たせず、チアチーを愛していたイーが処刑にGOサインを出す、というところです。
私はイーは、命の恩人であるチアチーだけは恩赦すると読んでいたので、ラストの展開にはやや驚きましたが、裏切りに対する怒りが愛を凌駕したのだと考えれば、納得がいきます。
一見すると、チアチーは愛に負け、イーは裏切りに勝った、というように見えるこの映画ですが、カイタカケンさんの見方はまた違うようですね。
イーは裏切りが発覚した瞬間、真実を見失いますが、裏切りを明かされた事自体が真実であるはずなのに、そこにすがらなかったことが、イーの男らしさを物語っていると、私は感じました。 -
“権力“と“チアチー” 二人の娼婦
2008/03/08 by
カイタカケンお久しぶりですね、レスありがとうございました。
こういった捉え方もあるんだ位に受け取っていただければ幸いなんですが…
上海時代のイーは『ジェスフィールド76号』と呼ばれた特務機関で、重慶政府のテロ組織『藍衣社』や共産党地下組織組織の殲滅作戦を取り仕切るトップの地位にいたんですね。
<リンクURL>
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イーのモデルではないかといわれているのが丁黙村(丁默邨)ですが、彼は歴史上『ジェスフィールド76号』特務機関のボスでした。
蒋介石の重慶政府と違い財政面での後ろ盾がない汪兆銘政権は、貿易、金融、工業、商業の中心地である魔都上海の“富”が不可欠。
抗日派に対する拷問や処刑の他、資金調達の為に中国人や在中外国人の資産も没収するような事もやっていたそうです。
どうやら泣く子も黙る悪人『漢奸』というイメージがあるみたいですね。
チアチーと最初に関係を持った洋館も、特務の関係で強制的に没収した財産のひとつでしょうし、イー夫人の贅沢な生活を支えているのも、彼女やチアチーに買ってやった指輪の代金も、こういった所から回ってくるお金だと思います。
当然、彼は重慶政府や共産党地下組織からは暗殺の標的になりますし、同時に彼は政権内で激しい権力闘争をも戦っていた筈です。
実際に丁默邨には李士群というライバルがおり、丁の上司であった周佛海も『漢奸』と呼ばれた、一筋縄ではいかない男です。
<リンクURL>
終盤、イーが秘書に向かって、怒りに声を震わせるシーンがありましたが、
イーの秘書は秘密裏にチアチーと重慶政府の工作員及びクァン達の素性を洗い出し、情報を掴んでいました。
誰も信用しない、人を疑い続ける事が仕事である特務機関のトップの人間がよりによって女スパイの姦計に嵌り命さえ危なかった事、そもそもチアチーが警戒心を怠らないイーに近づけたのもイー夫人に気に入られたからであり、厳重な警備が敷かれた高官官邸内で、彼らの情事は行われていました。
政府公邸がスパイ戦の舞台であった事が政府内に広まれば彼の政治生命は絶たれてしまいます。
終盤、イーは怯える夫人に対してチアチーに関する口止めといつもの様にマージャンを続けろ、平静を装うように言ってましたね。
彼の地位ならチアチーひとりの命を助ける事は容易い事でしょう、現にイーの秘書はチアチーを拘束したものの拷問もせず、その処遇についてイーに判断を仰いでいます。
此処で、イーが私情を優先してチアチーの命を救うような事をすれば、イーはハニートラップに嵌められた事実を知っている彼の秘書だけではなく、チアチーという女にも弱点を握られる事になるんです。私にはスパイであった女を易々と信じられるような男には見えないのだけど…
全ての証拠は闇に葬らなければならない、政権内で生き残る為の苦渋の選択でしょう。
香港時代、南京政府の重職を得て上海に引っ越すのを契機にイーに使い捨てにされたツァオがいましたが、大学の演劇サークルのお気楽なノリで始めたスパイごっこから抜き差しなら無い泥沼に足を踏み入れてしまった劇団員達も、所詮、重慶政府の捨て駒に過ぎません。
イーも使い捨ての『駒』に過ぎないんですよ、それから逃れるには闘い続けるしかない。
汪兆銘政権は1944年に汪兆銘が病死すると、更に求心力を低下させ、1945年の日本の敗戦と共に同政権は消滅しました。
イーの書斎には辛亥革命の孫文の写真が掲げられていましたが、イーもかつては孫文の革命思想に共鳴し、欧米列強を退け、中国民衆の自由と平和、平等の為に闘っていた時期もあったでしょうに…彼はその理想からあまりにも離れた所まで来てしまった男でしょうね。
と、歴史的背景も含めてこんな感じで受け止めています。
チアチーとイーは似た者同士じゃないかしら?
チアチーは天性の女優で『演じる』事が全て。
彼女はマイ夫人を名乗る女スパイを演じ、イーは自身の理想を実現する為に冷酷な傀儡政府の要人を仕方なく演じているだけ、今の姿は世を偲ぶ仮の姿、いずれしかるべき地位を手に入れれば…と思いながら自身さえも欺き、権力という『娼婦』に踊らされていた男じゃなかったかなぁと思ってます。
チアチーはイーから贈られたハトの卵、6カラットのピンクダイヤを処刑前にイーに返してしまっているんですね。
秘書からそれを見せられたイーは一言“それは私のものではない”
この行為がチアチーの心を十全に物語っているのではないでしょうか? -
Re: デュアルな世界の崩壊
2008/03/11 by
むぎわら帽子のジミーこんにちは、カイタカケンさん。いろんなことにお詳しいですね。私は最近、上海が好きになった人間なので、とても興味を持って読みました。
本題に入りますが、私が前回書いたのは「愛は裏切りを許さない」という話だったのです(読み返すとわかりにくかったですね。すみません...)。
で、カイタカケンさんは、「イーがチアチーの処刑にGOサインを出したのは、特務機関に属する人間として立場上、私情を挟めないからであった」という見方をされているわけですよね。
たしかに、イーの立場からすると「チアチーを許せなかった」というのは、よくわかったのですが、仮に仕事を抜きにして、私情だけで考えても「イーはチアチーを恩赦しなかっただろう」というのが、現時点での私の考えなのです。
でも、意見が食い違うのは当たり前ですね。この作品は人によって、いろんな見方ができるわけだから。逆にそこのところがおもしろいとも思います。
私はこの映画を観てから、何度も終盤のシーンを思い返して、その度に新解釈を発見しかけるのですが、すぐにわからなくなってしまいます。
もう一回観たら、まったく違った新しい発見があるかもしれません。無修正のDVDがほしいですね(笑) -
むぎわら帽子のジミーさま
2008/03/12 by
カイタカケン>仮に仕事を抜きにして、私情だけで考えても「イーはチアチーを恩赦しなかっただろう」というのが、現時点での私の考えなのです。
↑ほほぅ、なるほど!
此処が食い違っている点なんですね。
私は正解を導き出そうとか思っているわけではないのですが、この相違自体にはちょっと興味はあります。
ジミーさんもそうお考えになったのには必ずそれなりの根拠がおありだからでしょう?
もしよろしければ、もう少し具体的に書いていただけないかしら?
正直に申し上げますが、2行足らずの文章からジミーさんの考えの根拠となったものを推測するのは不可能です(笑)
議論になるのがちょっと…というのであれば、そのまま放置して下さって構いませんからね。 -
Re: デュアルな世界の崩壊
2008/03/12 by
むぎわら帽子のジミーたぶん、時間が経つにつれて解釈が変わっていくと思うので、あくまでも現時点での考えですが...
人力車を止められたとき、チアチーは薬を手に取って自殺を計ろうとしますが、結局死ななかったですね。それを私は「もしかしたら、イーが助けてくれるかも?」という期待を込めたものと見ました。
「女は愛にすがる生き物だ」と、私はなんとなく思ったのです。
原作では、宝石店のシーンで、チアチーはイーの愛を実感したと表現されているそうですが、「愛されているのに、これ以上裏切ってはいけない」という罪悪感が「快走(行って)」というセリフにつながったと同時に、「愛されているなら、正体を明かしても命は助けてくれるかもしれない」という甘い考えにもつながったのかな、と思ったのです。
でもイーは男なので、「命を助けられた」というよりも「裏切られた」気持ちの方が強い。愛人にまんまとだまされ、秘書ですら掴んでいたことも見抜けなかったわけですから、今回の件では自分が間抜けに見えてしまう結果になったのです。プライドを傷つけられるというのは、男にとって屈辱的ですから。
チアチーの「快走」というセリフは、彼の愛の大きさを知ったからこそ言えたのに、イーがそれに応えなかったのは「愛は裏切りを許さない」からで、相手がいまさら自分の愛に気づいても、もう手遅れなのです。
なので、一見すると、イーは裏切りに勝ったように見えますが、そうではなく、じつは彼は愛には勝ったけど裏切りには負けているので、決着をつけるためにはチアチーに死罪を与えるほか選択肢がなかったんじゃないかな、と思ったのです。
そういうブライドの持ち方が、すごく男らしいと私は感じました。ただ、死刑にしたところでスッキリするはずはなく、むしろ、愛した女を処刑することでますます重いものを背負い込むことになるので、ラストのチアチーの部屋でのシーンは、愛が生み出した悲壮や重圧に包まれている印象を受けました。
この件に関しては、議論になっても構わないのですが、これ以上はあまり書くことはないかな? あと、今週末は出かけるので(ここだけの話ですが、この映画の舞台になった街に行きます♪)、しぱらく書き込みできないかもしれません。 -
Re: デュアルな世界の崩壊
2008/03/14 by
カイタカケン私も記憶が怪しくなってきてますから、満足な返事にはならないかもしれませんが(^^
>人力車を止められたとき、チアチーは薬を手に取って自殺を計ろうとしますが、結局死ななかったですね。それを私は「もしかしたら、イーが助けてくれるかも?」という期待を込めたものと見ました。
↑もし、チアチーがイーの助けを期待していたのなら、イーの機関に保護され、まして拷問も受けていないのに、秘書を経由してイーに指輪を返す様なことは絶対しなかったんじゃないかしら?
処刑執行のサインをした時点では、イーの秘書が既にチアチーの指輪を持っていましたもの。
イーに指輪を返す事は、彼の庇護下に置かれることを拒否する印でもありますから。
人力車が止められた場面、
たった一本のロープで象徴される不断の境界が立ち現れた瞬間、チアチーは、フレームの抑制から解放された開放的な視野を取り戻します。
この場面で彼女は、占領下であっても逞しく生きる市井の人々の中に放り込まれるんですね。
夕食の準備に遅れてしまうって愚痴を言っていたおばさんがいたでしょう?
この会話を聞いて、彼女はうっすらと微笑んでいました。
宝石店で搾り出すように言った“快走”の一言。
彼女が何故、この一言を発したのか、おそらくチアチー自身にも良く分っていないと思うんですね。
女スパイとして接近した男を愛してしまったのか、それともイーの中に自分と同じモノを見出して、それが深い『理解』へとつながったのか、占領下の複雑な民族意識に共鳴したのか…
そのいずれも真であリ、そのどれもがぐらんぐらん揺れ動いていたと思います。
彼女に分っていたのは、このままでは彼女の目の前で、イーが殺されるのを女スパイを演じていた女優として最後まで『舞台』に立って見届けなければならない事。
宝石店で主演女優チアチーはもう一人の俳優イーを舞台から降ろし、勝手に脚本を変えてしまったんです。
チアチーは自殺用カプセルに手を掛けた後、大学時代を回想してましたね。
この回想シーンで、チアチーは自己を取り戻し、女優を降りる決心をしたんだと思ってます。
この回想シーンで、チアチーは青い服を着て、ひとりで『舞台』に立っていましたが、彼女に呼びかけた劇団員達は全員『客席』にいました。
チアチーは香港時代から、女スパイの『舞台』に一人で立ち続け、他の劇団員達は遠巻きに『客席』からそれを眺めているだけで、唯一、演出家志望のクァンだけが主演女優の苦悩を理解し、見守っていたんですね。
青年期の純粋で青臭い理想の為に、心引かれた女を守ってやれなかった忸怩たる思いは、ずっとクァンを苛み続けていたでしょう。
終盤、採石場の処刑シーン、
イーの秘書によって身柄を拘束された他の劇団員達は、眼前に不気味に広がる黒々とした『闇』の前で、自分の事だけで頭が一杯、中には泣き叫んでいる者もいました。
その中で、クァンとチアチーの二人はしっかりと目線を交わしていましたが、他の者はそのことにも気付いてはなかったでしょう。
クヮンと視線を交わした後のチアチーには、死の恐怖はなかったんじゃないでしょうか。
>ここだけの話ですが、この映画の舞台になった街に行きます♪
↑あらっ!いいなぁ。。
香港は何度か行ったんですが、上海は一度しかなくて…お土産話がありましたら、また聞かせて下さいね。
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