靖国 YASUKUNI (2007) »掲示板

不幸なすれ違い(ご神体について) ネタバレ

2008/05/04 by taru

靖国 YASUKUNI

映画公開初日、映画館の前にはマスコミ各社の取材が殺到し、私も映画を観た後、待機していたどこかのテレビカメラの取材を受けました。あんまり面白いことは言わなかったので、たぶん私の映像はどこにも流されなかったと思うのですが(残念)、最後に質問されたのは、ご神体が刀とされていることについてでした。私はそれはパンフレットだけでなく、映画冒頭においても同じ趣旨の文章が流されたことを指摘し、「もしそれが間違いであるなら、訂正すればいい」とにこやかに笑って答えたものでした。

私は映画観賞に当たって、なるべく余計な先入観を持たないように、ほとんど事前の調べものはしない主義なので、今回の「ご神体問題」もその程度の認識しか持つことができていなかったのでした。

映画を観た後で、靖国神社の公式HPにアクセスすると、この問題に関して靖国神社が製作会社龍影に対して行った通知文書がPDF文書で読めました。ご存じない方はご参照ください。

(ご神体は「神剣及び神鏡」であるのに、「神剣」のみであるかのように紹介するのは誤解を招くし、「刀」と「剣」とは形状等が異なるので、ご神体が「刀」又は「日本刀」であると紹介するのは甚だしく誤解を招くとし、調査不足であるなら速やかに訂正してほしいとしています。さらに、それを承知の上で映画の中心的素材である靖国刀とご神体を是が非でも関連付けたいという狙いから、意図的にそのようにしているとしたら、著しく不当であり、直ちに全面訂正するように求めています。)

一見すると、理屈は神社の側にあって、映画はご神体が実は「神剣及び神鏡」であったと訂正すればいいだけの話のようにも見えるのですが、実はそれでは神社の側の問題は解決しても、映画で「問いかけ」を投げられた私たち(少なくも私の)問題が何も解決していないことに気がつきます。

すなわち、靖国神社のご神体が「神剣及び神鏡」であるということの意味は何なのかということについて、神社の側は何も語っていないということに気がつきます。

映画のパンフレットには

<明治2年に設立された靖国神社は、天皇のための聖戦で亡くなった軍人を護国の神(英霊)として祀り続けている。246万6千余の軍人の魂が移された一振の刀が靖国神社のご神体である。>

と、ご神体が神剣であることの意味を説明しています。

神社は、この説明でよろしいのであるかどうか、それとも間違いであるのかどうか、それをしっかりと言わなければならないと思います。

それから、ご神体が神鏡であるとはどういうことなのか。おそらくほとんどの日本人(というか私)には、ご神体が神鏡であることの意味について、ちゃんと説明できないのではないでしょうか。

ですから、神社の側にとっては大切な問題だとは理解できても、正直な話が、大多数の日本人(というか、私)にとってはどちらであっても大差がない話としか受け取れない不幸なすれ違いが生じているのだと思います。

この際、神社の側には、ご神体が神鏡であること(あるいは、神剣とセットでなければならないこと)の意味をぜひ説明してくださればと思います。それが分かれば、映画製作会社も訂正することをあくまで拒むものではないと信じますから。

もちろん、一民間宗教施設に過ぎない靖国神社に、そういう説明の義務などないことは分かっておりますけれども。

 

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/06 by 未登録ユーザika

    taruさんへ。

    私は、この作品をまだ見ていないので、書きこみは遠慮していたのですが……「ご神体」ということについて、ちょっとした「受け取り方の違い」というものがあるのではないかと思いましたので、その点に絞って書かせていただきます。

    私のパソコンは古いので、残念ながら靖国神社が製作会社の龍影に内容証明で送ったというPDFは見られませんでしたが……神社側の考えは、それはそれで理解できるのです(taruさんの紹介や神社側のPDFについてのいろいろな記事を読んだ感想ですが)。

    私は、フリートークの方で、靖国刀にちょっと触れた際に、
    「刀が御神体や宝物になっている神社には、なぜか惹かれます。」
    という書き方をしました。
    実は、このとき、靖国神社のご神体が、「刀」であるかどうか、自信がなかったので、「御神体や宝物」という「保険つき」の書き方をしたのですが……その後、手元の資料やネットでいろいろ調べてみても、 靖国神社のご神体がなんであるかということは、結局確認できませんでした。

    神社にとって、最も大切なものは、むろん「ご祭神」ですが、ではその次に大切なものは……というなら、それは、「神のよりしろ」である「ご神体」である……と、ふつうには考えられます。
    しかし……それは、「信心」よりはむしろ「分析的な関心」からするとそうなるわけであって、「信心」の立場からするならば、やはり次の有名な歌のようなことになるでしょう。
    「なにごとがおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる」
    (西行法師が伊勢におまいりしたときに詠んだ歌)

    この立場からするならば、神社において一番大切なものは、「社の地」であり、「社の杜」ということですね。
    そして、「ご祭神」も「ご神体」も、「なにごとがおわしますかは」知らない領域のものです。

    「ご神体」というものは、「神」がそこによっておられなければ、ただの「モノ」です。
    「神」がそこによっておられれば、それこそなんでもいい。「イワシの頭」でもいいわけです。
    逆に、 「神」がそこにおられなければ、どんなに立派な鏡や剣や玉でも、それは「ただのモノ」にすぎない。
    そういう本質的な点からするならば、「ご神体」が「何であるか」にこだわる必然性というものは、まったくない。
    「ご神体」が「何であるか」にこだわるのは、「受け手」であるヒトの関心が、「神以外」のところにある 場合です。

    ここで……神社側と、映画の製作側の「決定的なスレ違い」というものは、明らかになってくるように思います。

    神社の側のものの感じ方というものは、私たちの側とはだいぶちがっていて、やはりそれは、すべてが「神への奉仕」になると思います。
    ようするに……神社というものは、「神」がおられなければいくら立派な建物や杜があっても、「意味」がゼロになります。
    ですから……常に、神様がいらしていただけるように、すべての準備を整える……それが、神社の基本になると思います。

    かつて……長野県のあるお社を訪れたとき、そこの宮司さんにお話しをうかがう機会がありました。
    お話しが終わったあとで、私は、宮司さんにおたずねをした。
    「神社にとって、最も大切なものは、なんですか?」
    私は、宮司さんが「神様」とか「ご神体」とか答えられるのかな?と思った。
    ところが……即座にかえってきたお答。
    「掃除です。」

    私は……このお答を聞いたとき、一気に目の前をおおっていた帳が、切って落とされたような、不思議な感銘をうけました。
    ある意味、実にプラグマティックなご見解……

    「神道」というものは、とくに「国家神道」のような「かげり」を帯びますと、複雑な様相を呈しますが……
    実は、非常に単純明快なもので、それは、「神」がつねにおりていただけるように、「場」を浄めること……これに尽きると。
    政治的な「かげり」というものは、本来はまったく関係のないものなのですね。
    「ご神体」が「鏡」であるケースが多いのは、おそらくはこのことと、関係があるのでしょう。

    ですから……靖国神社のようなお宮は、私たちのような「周辺」からしますと、政治的な意味をたっぷりと含んでいるように見えるが……
    「神様」にひたすら奉仕する神社の職員の方々の意識からすれば、本来政治的なものは無関係で、ひたすら「場」を浄めて、神様がいつ降りていただいてもいいように準備をする……
    ただひたすらに、そのことが「基本」なのだと思います。

    一定基準によって選別された「英霊」を祀る……という観念からして、私たちから見れば、「政治的」であることを逃れえない……かに見えるこのお社の基本的なありようも……
    神社側にとってみれば、実は「基本」はそこにはなく、ただ「場」を浄めることのみに奉仕するのが、自らの本質……ということではありますまいか。
    それが……周囲の「政治的」なアプローチ(右であれ左であれ)に答えようとした場合に、無理矢理政治的な「答」を返さざるをえなくなっているだけであって、それが神社の「基本」とみてしまうと、おそらくは、ことの本質を見誤る……と思います。

    この映画をつくった監督さんや、私たちの側からすれば、「ご神体」が刀なのか、あるいは「靖国刀」なのか……
    それが、重大な関心事になる……ということは、あるでしょう。
    でも、神社側からすれば、関心はそこにはなく、またそれに関する質問にも、本来、答える必然性はまったくない……ということではないでしょうか。
    つまり、仮に「ご神体」が「神鏡」及び「神剣」であったとしても、それについての詳細を語る必然性は、神社の側には存しない……というのは、それは当然のことであると私は思うのですが。

    なお、これは、あくまで私たちの側にとっての「意味」ですが、「神鏡」や「神剣」をご神体とすることの「意味」について、参考になるかもしれない記載をあげておきます。
    まず、皇大神宮(伊勢の内宮)の成立に関する記述です。(岡田米夫著『日本史小百科 神社』近藤出版社刊 98ページ 著者は、皇學館大學助教授を経て神社本庁教学研究室長。執筆当時は神社本庁講師)

    …………以下引用…………

    日本書紀によれば、天孫降臨の際、天照大神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器を授け、そのうちの八咫鏡(やたのかがみ)について、「この鏡をみること我を視(み)るが如くせよ」と仰せられ、同じ宮殿の中で御神体として奉斎するように命じられたという。この同床共殿が守られて、歴代皇居に奉安されたが、崇神天皇のとき、神人分離によって 八咫鏡を他へお移しすることになり、皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が命を奉じて大倭(おおやまと)の笠縫邑(かさぬいのむら・桜井市芝付近)にお祭りした。ついで垂仁天皇のとき、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、大神の御意に従い、 八咫鏡と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を奉じて、転々伊賀・近江・美濃を遷幸、ついに五十鈴川のほとりに鎮座されたと伝える。

    …………引用終わり…………

    また、神剣をご神体とする神社で最も知られているのは、名古屋市の熱田神宮でしょうが、これについて、同書には次のような記載が見られます(前掲書144ページ)。

    …………以下引用…………

    三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、もと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といい、日本武尊が叔母の倭姫命からこの剣を授けられて東征に向い、駿河の焼津(やいず)あたりで草を薙いで賊の火計を免れたので、以来この剣を 草薙剣と称するようになったという。東征から戻った尊は、さきに婚約した尾張の宮簀媛(みやずひめ)の許に至り、神剣を預けたまま伊吹山の妖神征伐にでかけ、発病して伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなられた。そこで 宮簀媛が熱田に宮社を建て、 草薙剣を奉安したのが熱田神宮の初めとされる。

    …………引用終わり…………

    熱田神宮にお参りしても、むろんご神体とされる 草薙剣を見ることはできませんが、宝物館に行くと、その姿を彷彿とさせるような上古刀を見ることができます。これは、長さが実に3m近い直刀で、湾刀である後の日本刀とはずいぶんイメージの違うものです。taruさんの紹介しておられた文章の中の「「刀」と「剣」とは形状等が異なるので、ご神体が「刀」又は「日本刀」であると紹介するのは甚だしく誤解を招く」という部分に、もしかしたら関係するかもしれません。茨城県の鹿島神宮にも同様の剣が宝物として残されており(国宝)、フツノミタマノツルギと称し、長さ2.7mの直刀です。

    奈良県の石上神宮のご神体も剣であり、やはり「フツノミタマ」あるいは「フルノミタマ」と称します。剣がご神体の社というものには、ある一つの特徴があって、それは、「進軍の際の前線基地、あるいは橋頭堡に関係する」という点です。
    石上神宮のご神体の 「フツノミタマ」は「神武東征」の際に高倉下(たかくらじ)に天より下された神剣。 草薙剣を祀る熱田の地は、畿内より東に向かうときに、大きな海(当時は縄文海進の名残で伊勢湾がはるか奥まで入りこんでいた)を渡って最初に到着する熱田台地(洪積層)の先端に位置する。また、鹿島の地は、香取の地と並んで大和朝廷の「東北平定」の前線基地としての位置づけです(本殿が、なんと北向きになっている)。

    こういう発想の延長から、靖国神社のご神体を「刀」あるいは「日本刀」として、それを、かつての大戦時の日本軍の「大陸侵略」と関連づけよう……という「心の動き」は、あるいは自然なものなのかもしれません(果たしてこの映画にそういう意図があるのか否かは未見なのでわかりませんが)。

    しかしながら……そのような「心の動き」は、みなすべて私たちの側の話(分析的思考)であって、神域を守る立場の神社の側からすれば、あくまで境内を浄めて、いつでも「神様」におりていただける環境を整えておくことが最も大切なこと(信心)であり、その余の「政治的」な色合いは、副次的なものにすぎないのだと思います(右にせよ左にせよ外国との関連にせよ)。したがって、そちらの方がメインになっていろいろとりざたされるのは、スジちがい……という思いじゃないでしょうか。

    そのあたりに……なにか、大きな認識のズレを感じます。

  • 相変わらず。。

    2008/05/06 by taru

    文献学的に長い。(苦笑)

    ikaさん

    >実は、非常に単純明快なもので、それは、「神」がつねにおりていただけるように、「場」を浄めること……これに尽きると。

    なるほど。それは私の個人的な体験から言っても理解できます。実は私はある武道をしていたことがあるのですが、館長が書かれたある文章の中で、

    >神は肉体に宿る。だから常に体を鍛えておかなければならない。

    とか(言葉は正確に思い出せませんが)言っておられたのに感銘を受けたことがあるからです。それは館長自身の言葉ではなく、開祖の言葉を紹介していたものだったかもしれません。しかし、ではいかなる神が宿っているのか、鍛えた体を何に使うのかと問われれば、答えに窮します。と言っても、私が答えに窮するということであって、館長にはちゃんと分かっていらっしゃったと思います。ちなみに、この武道の開祖は皇族方にも教えていらっしゃいましたが、また同時に、国家から大弾圧を受けた大本教の信者でもありました。

    とは言え、今は

    「なにごとがおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる」

    という時代ではありませんよ。

    元々は、日本人の神さんというのはどこにでもいらっしゃる汎神論的なものだったろうと思うのですが、特に明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった訳ですし、靖国神社は、そこにお祭りする神も神社の側で選別する訳ですから、いかなる神が祭られており、ご神体はどういう意味で奉られているのかが、ちゃんと説明できなければならないと思います。

    あるいは、それを問うているのがこの映画なのかもしれませんね。

    映画公開日に、館内には

    >また、撮影時の許可等に関する靖国神社からの質問状につきましても、何ら当方に問題点はないという認識から、現在弁護士を通して話し合いを続けております。

    というメッセージが貼られておりましたが、どうも不幸なすれ違いに終わらなければいいなと思っています。

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/06 by 未登録ユーザ素子様命

    この映画はその内容が引き起こす論争よりも、
    なんだか宣伝のあざとさを感じて興味薄でして、
    この話題からは距離を置きたいと思いつつも。

    仏教にも「秘仏」という慣習がありますが、
    神道のご神体も木や岩といった自然物以外は
    基本的に「秘するもの」であるのです。
    私自身は靖国の成り立ちやあり方には
    もごもごもごもご...ですが(^▽^笑)、
    それでもあそこが神社の形態を取り、
    なんらかの神を祭っていると言う限り
    (靖国神社的にはそういうでしょう)、
    神社側がご神体について
    おおっぴらに語ることはできないでしょう。
    それは神道における宗教ルールなわけでして、
    研究や保護の目的で御神体に接する機会を得た
    学者等の神社以外の人が語ることはできても、
    時代にあわせて公開の道を選ぶ神社があったとしても、
    今現在秘匿の道を選択している神社側が
    どんなものかなんて具体的に言うのは
    信仰の根幹を揺るがす大問題なわけで。
    今語っている内容だけでも「語りすぎ」の部類かと。

    時代が時代だから公開したらいいじゃんと
    外野が言うのは自由ですが、
    決定権は神社にありますし、
    しつこいようですが「信仰の根幹・宗教ルール」なので
    無理強いはできないでしょう。

  • ですから、不幸なすれ違いだと。。

    2008/05/06 by taru

    素子様命さん

    ご無沙汰です。お元気してますかぁ?(^_^)

    >それは神道における宗教ルールなわけでして、

    私は、神道についてはほとんど知識がありませんから、もし変なことを言っていたら遠慮なくご指摘くださいね。

    言うまでもなく、「靖国神社」は明治2年に明治天皇の意向によって創建された「東京招魂社」を前身とし、明治12年に陸・海軍省の管理の元、軍による軍人のための神社として、国家神道の象徴的存在であった神社です。ですから、一般的な意味での「宗教的なルール」というものは当てはまらないし、進駐軍による解体を免れるために民間施設として存在を続けることになった現在においても、単純に神道のルールだからという理由だけで、説明責任を免れることはできないと考えています。

    それでは、合祀取り下げを求めている高砂義勇軍遺族や、真宗遺族会の人たちを納得させることはできません。ですから、いまだに問題が解決していない訳ですがね。。

    そしてこの問題が無視できないのは、これから起こるかもしれない戦争によって死んだ人たちが、本人・遺族の意向に関わらず勝手に英霊に祭り上げられるかもしれないという、「私自身の問題」を含んでいるからです。

    どこかの誰も知らない宗教法人が、秘仏を信仰していてもそれは勝手にご自由にやってくださいという話ですが、その宗教法人が、私が死んだら英霊としてお祭りしますと言うなら、どういうご本尊・ご神体の宗教なのか、教義はどういうものなのかを問いただし、とても認められないものならば合祀を断るのは当然の話で、そんな訳の分からない宗教法人は、『訴えてやる!』ということになるのは仕方ない話だとは思いませんか?

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/06 by 未登録ユーザ素子様命

    オオっと。そこまで踏み込みますか。
    「すれ違い」とは
    監督と神社側のことを中心にして言っているのかと
    考えてましたから。

    でも、「私達に投げかけられた問題」のほうを
    相当重要視されておられるようですね。

    まぁ、それが「神社だ」と言うのに
    今現在では信者である氏子不明確になっている靖国と
    (その成立からいうと国民総氏子が最初の発想なわけですが、
    今はうやむやむやですね)、
    国民との間の根深い問題・すれ違いなわけで、
    これを語りだすと一映画の出不出来を超えた議論になるので、
    私は撤退しときます。

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/08 by 未登録ユーザ甚だ疑問

    taru殿

    靖国神社が明治天皇のご意向で創建された国家神道の象徴であるから一般的な意味での「宗教的なルール」というものは当てはまらないというのはどういう意味か?貴殿がいやしくも明治天皇に対する畏敬や尊崇の念をお持ちでないことを表明されているだけではないか。英霊が靖国で合祀されることに反発しておられる遺族もおられる一方で靖国を拠所とされている遺族もおられるこの状況で、所詮は戦後に付け焼刃で押し付けられたに過ぎない自由思潮を至上のものとして、一方的な視点からのみ靖国を批判し、その尊厳を否定することは、いきおい貴殿らの主張をも尊重せず軽んじられても構わぬというご覚悟の上での発言か?論ずるならば論ずるで言葉の選び方に留意し互いに不要な摩擦を生じせしめぬよう心掛けるのが嗜みというものではないか。貴殿が自説を粗略に扱われることを望まぬなら、貴殿も意見を異にする者の思想や宗教観も尊重されるべきではないかと思うが如何か?

  • 甚だ疑問さま

    2008/05/08 by taru

    >論ずるならば論ずるで言葉の選び方に留意し互いに不要な摩擦を生じせしめぬよう心掛けるのが嗜みというものではないか。

    仰るとおりです。特に掲示板は一寸した言葉の行き違いから感情的なやり取りに陥りやすいので、私も気を付けてはいるのですが、十分に意を尽くせないこともあります。今回は私に言葉足らずな点が確かにあったと思いますから、その点はこれから説明させていただきたいと思います。また、甚だ疑問さんには、あるいは不快の念を抱かせてしまったかもしれない事につきましては、大変に申し訳ありませんでしたと、お詫び申し上げておきます。

    さて、

    >靖国神社が明治天皇のご意向で創建された国家神道の象徴であるから一般的な意味での「宗教的なルール」というものは当てはまらないというのはどういう意味か?

    というご質問ですが、確かにこれでは言葉不足だったと思います。

    まず、一般的な意味での「宗教的なルール」というものは、<信教の自由>がその前提として保障されていることが重要だと思います。すなわち、その宗教の教義はもちろん、ご本尊とかご神体とか、自分なりに納得してその宗教・宗派に属しているものだということですね。で、今回素子様命さんが、神道というものは「神社側がご神体についておおっぴらに語ることはできない」「それは神道における宗教ルール」であるのだと私にご教示くださった訳でした。確かに<信教の自由>が保証された上で自分が選択した信仰ならば、そういうものだと言われればそうなのだと納得するしかない訳です。それが一般的な意味での「宗教的なルール」だと思います。

    ところが「靖国神社」は国家神道であったのですから、氏子は国民全員なのか、軍人だけなのか、そのあたりのことはよく分かりませんが、ともかく日本国民なら、或いは日本軍人ならすべてが自動的に氏子になり、軍人として死んだらほとんど自動的に英霊として祭られた訳ですよね。本人・遺族の意向で祭られる訳ではないのです。一般的な神社ならば、その氏子であることを止めれば関係がなくなる訳ですが、靖国神社は違う。ですから、一般的な意味での「宗教的なルール」は当てはまらないと(私は)思う訳です。

    ですから、今回の件で言えば、靖国神社のご神体の事が問題となっている訳ですが、一般的なルールとしては神社がご神体についておおっぴらに語ることはできないものだとしても、それを当てはめることは妥当ではなく、この際ご神体が「神剣及び神鏡」であるということの意味について、広く一般にもご説明願った方がいいのではないかというのが、今回の私の意見なのです。

    映画製作会社に対しても、こうなっているのだからこうしろというだけではなく、こうこうこういう訳でこうなっているのだから、映画製作会社のあの説明ではよろしくないのだということを言ってもらえば、日本人の理解も深まるし、靖国神社に対する同情も集まりやすいと思うのですね。

    靖国神社のご神体は「神剣及び神鏡」であるから訂正せよと言うだけでは、神社の言い分は間違いではないとしても、お互いの気持が不幸なすれ違いに終わるだけではないかと危惧している訳です。

    私は神道に対する知識はほとんど持ち合わせておりませんので、あるいは噴飯ものの意見を申し上げているのかもしれませんが、私の意見は以上でありますので、よろしくご叱正ください。

    なお、「明治天皇に対する畏敬や尊崇の念」をお持ちの方について、それを軽んじたり否定したりするつもりは毛頭ございませんので、よろしくご理解くだされば幸いです。

  • いえいえ。。

    2008/05/09 by taru

    一寸違います。

    素子様命さま

    私は、<この問題が無視できないのは。。「私自身の問題」を含んでいるからです>と書いています。「私達に投げかけられた問題」ではありません。ここは大切なポイントですから、押さえておきましょう。(笑)

    まあ、真宗の人間ならすぐに解ることなんですがね。

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/09 by 未登録ユーザika

    taruさんへ。

    だいぶ時間があいてしまいましたが、とりあえず返信を……

    その前にちょっとお断りですが、私は神社は好きですが、そんなに詳しいものではありません。
    実は、どなたか詳しい方が書きこまれるのを待っていましたが、どなたも書かれないようですので、私の知る範囲で書かせていただくことにしました。
    よりよくご存知の方は、加筆・訂正ください。

    「元々は、日本人の神さんというのはどこにでもいらっしゃる汎神論的なものだったろうと思うのですが、特に明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった訳ですし、」

    やはりこれは、誤解を生む記載ではないでしょうか。

    「日本人の神さんというのはどこにでもいらっしゃる汎神論的なもの」というのは、そのとおりだと思います。
    そして、「どこにでもいらっしゃる」神様に、特定の「場」に降りていただく「よりしろ」となるのが、「ご神体」ということですね。
    でも、「特に明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった」という記載は、誤りではないでしょうか。

    昔から、そして明治期も今も、「天皇家以外の神様」は、日本の各地に、多数、祀られていますよ。
    例を挙げますと……
    出雲の大国主命(出雲大社)、三輪の大物主命(奈良・三輪山)、賀茂の別雷神命(わけいいかづちのみこと・京都・上賀茂神社)、伊勢の猿田彦大神(鈴鹿の椿大神社・つばきおおかみやしろ)、そして、各地の物部系統のお社など、枚挙にいとまがありません。
    また、ガンジス川の神(ワニといわれる)クンビーラ(琴平宮)、ヒンドゥーの川の神サーラスヴァーティー(弁天さん)など外来の神様も、日本の神様に習合されて、神社として祀られています。

    このように、日本の地は「神々の山河」でありまして……それは、明治期以降も、そして現代でもやはりそうなのだと、私は考えております。
    道ばたの、名もない社が……よく調べてみますと、実に奥深い「神々の歴史」を宿していて、びっくりするようなこともあります。

    たとえば、信州諏訪には、「ミシャクジさん」、「オシャクジさん」、「おしゃもじさん」などとよばれる小さな祠がたくさんあるといいます(字ごとに一社くらいあるそうです)……そして、その名から、シャモジを祀る祠みたいに誤解されている向きもあるようですが……この小さな祠に、実は、古代日本史の大きなドラマが隠されている……という説があります。

    それによりますと……かつて、諏訪の地は、洩矢(もりや)神という古い神様が治める地であり、洩矢神の祭祀はやはり古い家系である守屋一族によって守られてきました(守屋家は今も続いている)。

    ところが、はるか西の出雲の国において、元々出雲の地を支配していた大国主の命が「国譲り」で退いた。しかし、その子、建御名方命(たけみなかたのみこと)はまつろわず、武甕槌命(たけみかづちのみこと)と争い、負けて敗走、海路にて越の国(北陸)に至り、山々を越えて諏訪の地に入った。
    そして、この地にて、 洩矢神と激戦となり……敗れた 洩矢神(を奉ずる一族)は南方へ敗走、諏訪の地は 建御名方命の治めるところとなった。
    今は、「道端の祠」になってしまっている 「ミシャクジさん」が、実は、この 洩矢神の変わり果てた姿である……というのです。

    また、諏訪大社の上社のご祭神は、前宮、本宮ともに今は 建御名方命とされておりますが、少なくとも前宮のご祭神は、私は今も、実は 洩矢神ではないか……と思っています。
    というのは、これは、実際にお参りさせていただいた感想なのですが……諏訪盆地南端の守屋山の山麓にある前宮は、なんといいましょうか、実に深い「痛恨の念」に今も満たされておりまして、社の森全体が、深い嘆きの心に包まれています。
    それは、まさにこの地を追われた 洩矢神の深い苦しみのお心が満ち満ちている……そのようなものを強く感じるのです。
    (少し離れたところにある本宮からは、この気配はまったく感じないのですが)

    具体例が長くなりましたが……日本各地の神社にお参りして、とくに「その場で感じること」を大事にしていただきますと、この国が、昔も今も「神々の山河」であることを、実感していただけるのではないかと思います。
    そして、それらの神々は、「その地」に古くからある神様であって、それは、ほとんどの場合「天皇家以外の神様」であると思います。

    「明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった」という誤解が生じるのは、明治期に、国家神道によって、各地のお社が系列化され、地方色豊かな祭祀や神職の装束、場合によっては社殿の建築様式までが統制され一律化されたせいだと思いますが……各地の神社は、そのような「統制」に反発することなく、逆に「積極的に」受け入れた形跡すらあります。

    これは、西洋合理主義思想の範疇ではなかなか理解しがたいことで、アチラの考え方だと即「弾圧だ!」、「革命だ!」となっちゃうんでしょうけれど……
    では、これにより、その地の「独自性」が失われてしまったのか……というと、実はそうでもなく、古代から連綿と続いてきた「地の神々」は今も健在で、その独特の「気」は、今も各地の神社にお参りすると、十分に感じることができます。結局、「国家神道」の統制によっても、本質は殆ど影響を蒙っていない……とさえいいうるほどです。

    なぜか……
    私は、これは、ひとえに、各地の「山河」がきちんと保たれているからであり、「山河」を保持するその地の人々の、祖先から受け継がれてきた努力の賜物ではないか……と思うのです。

    要するに、祭祀や装束や社殿といった「上部構造」は、実は本質的なものではなく、神社においては、その地の山河という「下部構造」の方が大切でありまして、上部構造はいくらでも統制でき系列化することができるけれども、山河という 「下部構造」は、それは変えることができない……まさに、「国敗れて山河あり」ということの、本質的な意味合いですね。

    したがって、その地に暮らす人々も、頭の 「上部構造」は 「国家神道」を積極的に受け入れたけれど、「山河」と結びついた日々の暮らしという「下部構造」の部分においては、頑固にその地の「独自性」を守った。これは、結局、「ものごとのおちつくところ」を示唆していて、なかなかに興味深いものがあります。
    (別板でさかんにとりあげられている宮台さんは、たぶんこのあたりに思想の「突破口」を見出そうとされておられるのでは……と私には思えます)

    頭のいい人は、つい頭の考えにとらわれて……それは、右も左も私は同じだと思うのですが、言葉や論理や概念によってものごとを考え、取り扱っていくくせがついているので、そういう考え方からすれば、明治期から先の敗戦までの「国家神道」期における各地の神社の対応はまことに不可解で、理解しがたいものがあるのですが……しかし、実際の「地の生活」に根ざした観点からするならば、結局「人のくらし」は「山河」と「地の神々」によって正しく導かれてきたのだなあ……と思うのです。(ただ、現在は「山河」の崩壊が甚だしいので、これから先はわかりませんが)

    そしてまた……靖国神社というお宮の特異性と悲劇も……私は、この点に色濃くあるように思います。

    私は、別のところで、「靖国神社は、山河を持たない、珍しい神社……」という意味のことを書いたように記憶していますが……その後、いろんな本を読んでみますと、このお宮も、立派に「東京九段」という「山河」を持っている……ということに思い至りました。(この件は、また別に紹介できればと思っています)
    ただ……この神社に関しては、あまりにも「頭の部分」すなわち言葉や論理や概念で語られる部分が大きくなりすぎて、「東京九段」という「山河」とアンバランスになりすぎている……というのは確かだと思います。

    しかしながら、ここで一つ大切なことは、現在、このお宮を守られている神職の方々の意識でありまして、神職の方々の意識は、本質的には他のお宮と全く変わりのないものであろうと、私は、想像ですが、思います。

    なぜか……
    靖国も、他のお宮も、本質的に、そこは、「神が降りられる場」でありますから、「神が降りていただけるように」、その場を浄めなければなりませんし、そのことが、そのお宮にお仕えする方々の一番留意されるところであり、最も大切な仕事である……それは、結局、どこの神社でも変わりはないはずです。

    そして……一口に「神が降りていただけるように浄める」と申しましても、それは、実は大変なことでありまして、まず、自らの心を「清く明き」状態に保持し、さらには境内と社殿を毎日毎日徹底的に浄め……と、やっぱり自分自身のすべてをかけて行う仕事になります。

    神は、穢れを最も嫌われ、ほんの少しでも穢れが生じると、もう降りてこられない……たとえば、昔、伊勢の内宮正殿に「狂人昇殿す」ということがあったそうですが……そのときは、式年遷宮でもないのに正殿を全部壊して完全に建て変えたとのことです。

    私たちの感覚からすれば、掃除してお払いすればいいじゃん!……ということなのかもしれませんが、神社ではそうはいかず……穢れを浄めるためには、「造替」が必要だったのでしょう。要するに、そこまでやらないと神様に降りていただけない……ということですね。

    さらにまた、私たちの論理からするなら、伊勢の神様と靖国の神様は違うんだから……ということになるのでしょうが、お世話をする方々(神職)にとっては、どちらも同じ「神様」であって、やはり、全身全霊をあげてお仕えする……ということには変わりはない。神様の性質や来歴や……を云々するのは私たち外部の者が言葉や論理や概念をもってそうするのであって、お仕えする方々にとっては、今でも、
    「なにごとがおはしますかはしらねども……」
    という感覚は、日々、生身のものとして生きているものなのだと思います。

    やはり、このあたりが、どうしても、神社側と監督さんの「永久に埋まらない溝」としてあるのだと思います。

    ですから……ご神体の問題一つとってみても、神職さんたちにとっては、それはもう「ぬばたまの闇」の中の存在であり、秘中の秘として、口に出すさえはばかられる存在であろうと思いますが……これが、監督さんにとっては、「意味を付された物」として、言葉や論理や概念で取り扱える存在になっています。まあ、そのあたりからして、この溝は埋められないですね。

    今回、神社側のPDFをようやく見ることができましたが、神社側が、よくあそこまで「ご神体」について言及したなあ……と驚きました。やはり、監督さんがかなり違った解釈をされておられて、それが映画を見た人には「真実」として伝わってしまうので、それは困る……という苦渋の選択だったのでしょうが……

    なお、taruさんの問題にしておられるさまざまなことは、それは、名簿(霊璽簿)の段階までを問題にすればいいことで、その先「ご神体」にまで及ぶ必要はないものであろうと思います。
    名簿(霊璽簿)までは「人の領域」ですが、「ご神体」は、やはり「神の領域」になるので……。

    以前、「いったん合祀すれば、分祀は不可能」という見解を聞いたことがありますが、たしかに「ご神体」レベルにおいては、これは「神の領域」なので、そもそも「分祀」ということが考えられないのは納得できます。(この話のソースは忘却)
    ですから、祀られたくない人は、結局、「人の領域」の最終地点である名簿(霊璽簿)から削除してもらう……というところまでしかできないと思います。(現実的方法として)

    この問題は、たしかに「死人に口なし」というところがあるので、どうしても祀らるのがイヤな場合には、「オレが戦死しても、靖国には絶対に祀らないで欲しい」と公式の遺言状にでもしておくしかなさそうですね……。(厚生省の基準に当てはまると、自動的に祀られちゃうらしいので。戦後はですが。)

    なお……

    「進駐軍による解体を免れるために民間施設として存在を続けることになった」
    という表現も、やっぱり誤解を招くと思います。
    1945年のGHQの神道指令によって、宗教法人化されたというのが正解じゃないでしょうか。

    ちなみに、靖国神社は、GHQによって廃止される寸前までいったが、それを救ったのは、一カトリック神父の「進言」だったということです。

    お返事まで。

  • 相変わらず、長い。。(苦笑)

    2008/05/09 by taru

    >「特に明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった」という記載は、誤りではないでしょうか。昔から、そして明治期も今も、「天皇家以外の神様」は、日本の各地に、多数、祀られていますよ。

    私は神道の知識はほとんどありませんので、専門家から見るとずいぶんデタラメなことも言っているとは思います。甚だ疑問さんからも怒られたばかりです。しかし、どうか意のある所を汲み取ってご理解願えればと思います。

    「特に明治以降は天皇家以外の神様は認めないということになった」というのも、別にその「存在」を認めなくなったという意味ではありませんよ。存在してもよろしいのですが、あくまでも天皇家の秩序の中でならということですよね。

    天皇家の価値観、秩序をはみ出してしまった場合は、その存在自体が認められなくなります。それが「不敬罪」の存在していた意味だろうと思います。戦前において徹底的な大弾圧を受けた大本教は、治安維持法と不敬罪によって壊滅させられた訳でした。

    >しかしながら、ここで一つ大切なことは、現在、このお宮を守られている神職の方々の意識でありまして、神職の方々の意識は、本質的には他のお宮と全く変わりのないものであろうと、私は、想像ですが、思います。

    どうもikaさんは、神職の方々の意識の問題ばかりを仰っていますが、神社というものは、神職の方々だけで成り立っているものではありません。現実には神社を支える氏子の人たちの存在がなければ存在しえないし、神社の意味もなくなってしまいます。国家神道というのは、その氏子の役割を国家権力がやることになった特別な存在形態ということなんだろうと思います。実際の話、神職の人事権などは誰が持っていたのでしょうね。

    >。。ですから、祀られたくない人は、結局、「人の領域」の最終地点である名簿(霊璽簿)から削除してもらう……というところまでしかできないと思います。(現実的方法として)

    現実的な方法として、英霊として祭られた人の遺族が名簿からの削除を求めても、それが実現できていないのが今問題になっているのではなかったですか?

  • Re: 不幸なすれ違い(ご神体について)

    2008/05/10 by 未登録ユーザika

    taruさんへ。

    この問題に関して、 taruさんのご興味、ご関心が奈辺にあるか、私にも、ようやくはっきりとわかってまいりました。
    (鈍いもので、すみません……素子様命さんは、瞬間的に気づいて撤退されましたが、さすがですね……)

    しかし、その点については、問題があまりにも根深く、大きく、かつ重たすぎるので、私などには到底論じられるようなものではありません。
    それで、私が今までに読んだ本で、簡明にしてよくわかると感じられたものを参考までにご紹介させていただくに留めたいと思います。
    なお、以下3書は、著者に村上重良氏が入っていることからもわかるように、どちらかとえば(というか明白に)アンチ国家神道の立場から書かれた書物です。(すでにお読みでしたらご容赦ください)

    村上重良著『国家神道』(岩波新書770)

    村上重良著『慰霊と招魂-靖国の思想-』(岩波新書904)

    小池健治・西川重則・ 村上重良編『宗教弾圧を語る』(岩波新書61)

    また、大本教の「弾圧」に関して、私が思い出すのは、高橋和己の小説『邪宗門』ですね……
    あれほど暗く、重たく、救いのない小説は、読んだ経験がありません。とうてい再読する気にもなりませんけど。

    ただ、実際の出口王仁三郎は、よくわからないところの多い人物で、大本教があれだけ徹底した弾圧を受けた原因も、表面的には「治安維持法」と「不敬罪」ですけれど、実際には、彼の大陸における活動が根深くからんでいたようですね。
    そのあたりに関する、なかなか興味深い本として、こんなのはいかがでしょうか。

    海野弘著『陰謀と幻想の大アジア』平凡社(初版2005年)

    この書は、日本の軍部やいわゆる大陸浪人、学者、商社マン、右翼の大物、そして 王仁三郎のような宗教関係者たちが、なにを考えてどのように行動したか……を、「大東亜共栄圏」や「大アジア主義」といった戦前・戦中の概念から「騎馬民族仮説」のような戦後の概念に至るまで、幅広く概観してまとめたもので、日本を東端とし、コーカサスからヨーロッパを西端とするまことに不思議な「世界」が、さまざまな立場の人々によって、くりかえし模索・構想されてきたことがよくわかります。

    そういう、いわば「ふくらし粉がかかった日本」の中で、 出口王仁三郎の行動とそれにまつわる「弾圧」をとらえ直してみると、ことは、単に「国家権力による宗教弾圧」といういわば単純な図式ではなかったのではないか……とも思えてくるのですが。(宮台さんのお考えは、こういう観点から見ても、興味深い点に着目していると私は思いますけれど)


    「どうもikaさんは、神職の方々の意識の問題ばかりを仰っていますが」

    この件については、このスレッドの最初のテーマが、「神社側と製作側の意識のズレ」であった(と私は理解した)ので、「神社側の意識」として、神職の方々ならこのように考えられるのでは……ということを、私の知見からの想像で申しあげたまでで、それ以上のものはありません。
    「製作側の意識」については、さまざまな資料を通じて知ることができるし、なによりも映画自体が雄弁にそれを物語るものでありますが、「神社側の意識」については、神社側ご自身も例のPDF文書以外にはあまり語られないようですし、神職の方々がどのように考え、感じておられるか……ということに言及した論評は殆どないように見受けられますからね。まあ、バランスを取るという意味で……

    靖国神社の「氏子」がどうなっているのかは、私も知りません。でも、現在は一宗教法人ですから、崇敬者の方々やお賽銭によって、財政が成り立っているのでしょうね(財政難ともききますが)。
    戦前、戦中については、「氏子の役割を国家権力がやることになった」という表現は、どうなのでしょうか。
    戦前や戦中は、すべての神社が氏子によって維持されていたわけではなく、とくに官弊社と国弊社については、維持運営に関しては、国家が権限を持っていた割合が大きく、「氏子」の「出る幕」は相対的に小さかったと思います(靖国神社は、戦前・戦中は別格官弊社)。
    そういう意味では、靖国神社のみが特別に「国家によって運営」されていたわけではないと思いますが。


    「神職の人事権などは誰が持っていたのでしょうね。」

    これについては、上掲書のうち、村上重良著『国家神道』に記載がありますので、引用紹介します。

    ……(以下引用)……

    1887年(明治20)3月 、 官国弊社の神職制度が改められ、これまで官吏として扱われていた神官を廃して、神職を置き、神職を宮司、禰宜、主典の3階級とした。神職の身分については、宮司は内務省が任命する奏任待遇官吏、 禰宜と主典は北海道庁および府県が任命する判任待遇官吏とされた。1889年(明治22)には全国で157社に達した官社は、神宮とともに国家神道を代表する神社であり、国家神道の諸制度は、一貫して、神宮と官社の権威を高めるために内容を整備し、その経営を安定させることに主眼がおかれた。この改正によって、官吏であった神官が、待遇官吏の神職にかわり、内務省が宮司を直接任命することで、官社は内務省と直結することになった。なお靖国神社のみは、陸、海軍省が神職を補することとされた。

    ……(引用終わり)……

    さらに、同書よりの引用です。

    ……(以下引用)……

    1902年(明治35)2月には、すでに実施されていた官国弊社の職制を、法的に整え拡充するために、 官国弊社職制が公布された。その第2条は「宮司ハ内務大臣及地方長官ノ指揮監督ヲ承ケ国家ノ宗祀ニ奉仕シ祭儀ヲ司トリ庶務ヲ管理ス」と定めて宮司の任務を規定し、第7条では、宮司と権宮司は、内務大臣の奏請で内閣が任命する奏任待遇官吏とした。同年、 官国弊社、府県社以下神社の任用規則がつくられ、神職は、原則として各級の任用試験の合格者を任用することになり、神職の質の向上が図られた。待遇官吏である神職は、神に奉仕する聖職者であるとともに、天皇の官吏でもあったから、それにふさわしい人格、識見、教養をそなえていることが、天皇制と国家神道の威信を保つために要求された。そのため、神職の養成教育機関として、伊勢神宮の皇学館をはじめ、皇典講究所とその地方分所、 皇典講究所におかれた国学院等が整備拡充され、また1898年(明治31)に設立された全国神職会も、神職の養成にあたった。

    ……(引用終わり)……

    また、 村上重良著『慰霊と招魂』(上掲)には、次のような記載があります。

    ……(以下引用)……

    内閣制度の成立とともに、各省の管轄事項の整理がすすみ、1887年(明治20)3月17日、靖国神社は、閣令第4号によって神官を廃して神職を置いた。この改定で靖国神社は内務省の管轄を離れ、改称列格以前にもどって、陸・海軍省の管轄となった。それまで神官の人事権は内務省にあったから、神官の廃止は、内務省を離れるために必要な措置であった。国家神道の確立後、内務省社寺局の神社行政はちゃくちゃくと整備されてきたが、内務、陸軍、海軍3省の共同所管で、人事権だけを内務省が持つという靖国神社の変則的な在り方は、軍の宗教施設としては適当ではなく、軍の側には不満があったのであろう。当時、陸・海軍大臣は大山巌が兼ねており、内務大臣は陸軍の最高実力者山県有朋であったから、靖国神社を軍の専管にゆだねる措置が、支障なく実現したものと思われる。所管変更後の靖国神社の管理は、主として陸軍省総務局が担当することになった。

    ……(引用終わり)……

    靖国神社の人事については、ウィキペディアの「靖国神社」の項にも簡単な記載があります。


    「現実的な方法として、英霊として祭られた人の遺族が名簿からの削除を求めても、それが実現できていないのが今問題になっているのではなかったですか?」

    なぜ、削除が困難か……ということについては、上掲書(村上重良著『慰霊と招魂』)を調べてみると、霊御簿自体が、「ご神体に準ずるもの」としての扱いを受けており、その点に最大の原因があるのではないかと思えてきました。以下、同書からの引用です。なお、以下の引用ではご祭神の柱数が現在と合いませんが、以下の引用は、靖国神社が別格官幣社に列せられた時点のことを言ってますのでご注意を(座数も現在では2座)。

    ……(以下引用)……

    靖国神社は、別格官幣社であるから、その祭神は特定の個人でなければならなかった。神社では、祭神数を柱、ささげる神饌幣帛の単位を座で数えるが、改称列格の臨時大祭時の靖国神社は、祭神1万880柱、1座であった。
    (中略)
    しかし、いかに全祭神が同格であっても、桁ちがいに数の多い祭神を、他の別格官幣社と同様に処遇することは、とうてい不可能であった。そのため靖国神社では、霊璽(れいじ・みたましろ、神体)の神鏡、神剣に加えて、副霊璽(そえみたましろ、副神体)として、祭神の名簿(のち霊御簿)を社殿に祀ることとした。東京招魂社では、1872(明治5)年以来、合祀のたびに、巻物に新祭神の官位姓名を列記して社殿の内陣に納めてきたが、これを社殿の左右の床に安置して、神体に準ずる扱いをすることになったのである。

    ……(引用終わり)……

    この点に対するコメントは、差し控えさせていただきます。

    長くなりましたので、この辺で終わりにしたいと思いますが、最後に、このお宮の<出発点>を端的に語られている(と私には思えます)明治天皇の御製をご紹介しておきます。

    「明治7年1月27日 招魂社に至りて
     我国の為をつくせる人々の 名もむさし野にとむる玉かき」

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