ローマの休日 (1953)
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ギャンブル
2004/02/22
by
さくらんぼ
テレビでしか観たことの無かったこの作品を、映画館で観る事が出来た。テレビの時には恋の物語しか観えなかったが、今回は少し違うものが観えた様な気がする。
映画の前半に新聞記者がギャンブルをしているシーンが映る。「ギャンブル」、これが映画のモチーフらしい。
その「ギャンブル」は記者が王女のスクープで一儲けしようとするエピソードにつながっていく。言わば王女と新聞記者とのギャンブル対決である。王女はひと時のバケーションを賭けて、新聞記者はスクープを賭けてギャンブルをするのである。
そして王女は勝った。彼女はバケーションを楽しむことに成功し、甘美な一生忘れられないほどの想いでを作った。
ラスト、記者に別れを告げた王女は、決然と舞台の奥へ消えていく。王女を心配していた沢山の国民の元へ帰っていく。
一方記者は一人取り残される。さっきまで隣に居た友人のカメラマンもいつの間にか消えた。心遣いで記者を一人にしたと示唆するシーンは無かった。だから単なる仕事仲間で友人では無かったのかもしれない。
記者はガランとした広間にしばし呆然とたたずみ、やがてゆっくりと帰っていく寂しげなラストである。広間は彼の心の空虚を語っていた。スクープも無い。
寂しい記者はあの後泥酔し、またギャンブルに明け暮れる生活に戻っていくのだろうか。
記者にはもう少し暖かなラストが欲しいと思ったが、思えば彼は、政府や王室の立場から観れば善行をしたわけではない、だから、むしろ映画のモラルとしてはお仕置き的なラストにする必要が有ったのだろう。
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ギャンブルではない物語
2007/06/19 by
イタイタニックジョーにとって、アン王女は4つの段階がある。まず、得たいのしれない飲みすぎの女性。それから一転して、某国のお忍びの王女。そして、一人の女性、恋人。最後に正真正銘の王女。
ギャンブルのシーンは確かに布石で利害で動く人間を暗示している。でも、同時に独身であるジョーを強調もしている。ギャンブルはこの映画の導入ではあるがテーマではない。
新聞記者がスクープを求めて動くのは仕事であって、およそギャンブルとは程遠い。
そして、そのスクープも二人の間に芽生えた恋心によって、ジョー自らの意思で大金となるスクープは闇に葬り、封印してしまった。あのスクープを編集長へみっていけば大金を手にできたのに。大金は恋の前に容易にひざまずかされたのだ。
プレスとの会見で、王女はこころの奥の悲しみは、一際大きな微笑みで見事に隠したのだった。この辺りのこころの葛藤がこの映画の見どころでしょう。
会見が終わり、カメラマンの友人はジョーの内心を察して、ジョーを残してみなと共に去っていく。その場にしばらく、佇むジョーは別れたくは無かったけれど、会えなかったかもしれない、それを思えば、会えただけでよかったのだと自分に言い聞かせながら、複雑な思いで石の廊下を踏みしめながら去っていく。そこには最初のギャンブルの場面と全く異なった人間的に成長したジョーの姿があった。もうギャンブルに興じることもないであろう。
ジョーは何も言わないけれど、睡眠薬でしかも夜の街の中、何が起こってもおかしくない。悪い人間は沢山いる。そういう危険な状態にあった王女を救った恩人であった。そして、それは二人だけの秘密であって、アン王女の国からジョーに何のお礼もない。
風が吹き来るように二人は出会い、風が過ぎ去るように二人別れていった。後には忘れられない深い思い出が残った。
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