スーパーサイズ・ミー (2004)
»レビュー
真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2005/09/21
by
理屈屋
この映画は面白かったです。
私のこの作品に対する評価が必ずしも低くないことをご確認下さい。
さて、では安心して批判させていただくとしましょう。
この作品はドキュメンタリーというのとは少し違う気がします。
私の見る限り、あれは食べ「物」が悪いのではなく、食べ「方」が悪いんです。
マクドナルド及びその商品が悪いのではなく、被験者個人の食行動が悪いのです。
どんなに体に良い食べ物だってあんな食べ方をすれば、1ヶ月後にどうなるかはだいたい分かりそうなものです。
また「週に1回以上マックのハンバーガーを食べると必ず○○○になる」かのような、多数の栄養士による回答も、とうてい真実であるとは信じられません。
1日3回として、1週間で21回ある食事のうち、たった1回又は2回ハンバーガーを食べるだけで、運動やその他に摂る食事についての条件には一切言及していないにも関わらず、○○○になる確率がグンと高まるという結論を示すのは、素人の私にも分かりそうな、非常におかしな結論です。
この作品には、見る者をある結論に誘導しようとするような、心理操作的な、あまり感心できない部分があります。
あんな食べ方をしておいて、その結果についてマクドナルドを責めるのは全くの筋違いなんです。
では、問題の本質はどこにあるのでしょうか?
それは、あんな食べ方をせずにいられないような、心理的圧迫・強制をマクドナルドが行っているかどうかという点、つまりマクドナルドの「商品の売り方」にあるように思えます。
そういう意味で、中毒性や刷り込みについて触れたのは正解だと思いますが、その点についての結論は、私達に衝撃を与える、あの実験からはほとんど出せないように思います。
むしろ実験が終了した後の被験者の印象から、逆に中毒性は低そうだなと感じました。
結論として、衝撃的な事実に目を向けさせることによって、問題の本質から目をそらさせ、誤った結論を真実と誤認させるような作りのこの作品は、ドキュメンタリーとは呼べないように思います。
ですが、そんなこたぁ百も承知のエンターテインメント作品とするならば、衝撃的かつ面白い実験で興味深かったと思いますし、こういう電波少年的試みは個人的に大好きです。
最後に念のため。
私はマクドナルドやその他のファーストフード店を経営する会社又は個人とは、一切利害関係を有していません。ここに書きました事は、あくまでも私個人のこの作品に対する印象でございます。
このレビューに対する評価はまだありません。
※ユーザー登録すると、レビューを評価できるようになります。
-
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2005/09/22 by
ヘビメタさん
まいど、理屈屋さん。
かなり極端な実験であったことはそうなんですけど、一応理屈は苦しいながら通るようにしてたっぽいです。
1.栄養士
基本的に栄養士に対する質問は"How many times per week should people eat McDonald?"なので、ほとんどが<週一回以上食べるべきではない>という回答が得られます。まあ、当たり前すぎる回答なんですけど(笑)そんなの栄養士にわざわざ聞くまでもないので。
2.運動等の条件
運動量についても、運動学者?に問い合わせて、アメリカ人の平均的な一日の運動量を歩数で出してました。NYkerはアメリカでは類まれな運動量らしいですね。ああ、基本的に車で移動しないからか、と納得。ただ、実験は全米平均に合わせるという事で、近くのマクドにいく以外は歩かないようにわざとコントロールするとのことでした。
ほんでまた、監督はタバコも吸わない、酒も飲まないととって付けたような完璧な被験者。くどいくらいに健康だって立証してましたしね。
3.極端すぎる「ばっかり」食い
1日3食マクドってのは、これは本当に言い訳が厳しかったようなんですけど、アメリカにはファーストフードばっかり食べてる人もいるから、これくらい極端に「ばっかり」食べてもあながち実生活からかけ離れすぎているとはいえない、みたいな理屈みたいです。しかし、水までマクドで売ってる水しか飲まないって(笑)
4.監督の理屈に対する検証
確かに回数が増えれば増えるほど、今回の実験結果に近づくはずだという理屈は分からなくはないんですが、ではそれにそのほかの食事を加えた場合の好影響はいかほどのものか、という相関関係が現れていないのが「検証」ドキュメンタリーというのは足りない部分だと思いました。
ぜったいやりたくないけど、あなたは一日2食マクド+1食は純和食、とかの被験者を大量に募ってデータを出すと、逆説的に何がファーストフードの害悪を中和する効果があるかっていう結論にも至れたんですけどね。んー、理屈屋さんと僕でそういうドキュメンタリー撮りましょうか(笑)
5.恐怖のマーケッティング戦略
マクドナルドの「商品の売り方」についての、幼少期からの刷り込み運動は確かに興味深かったですね。そういえば、昔からあったもんなあ。
あと、公立学校でファーストフードってのも笑えましたね。たしかに当時の僕なら嬉しかったかも…。
6.しかしオモロい
皆思ってることかもしれないですけど、その真剣な?メッセージ性とは裏腹に、お馬鹿な企画で、車からオエーとかってかなりコメディーとしては楽しめました。明るいアメリカ人ならではの「笑い」ですね。
なんか、一昔前のヘビメタバンドのライブビデオのおまけ映像で、二日酔いのメンバーとかがオエーとかやって笑けるのと同じノリでした。 -
北米人の食生活
2005/09/22 by
素子様命
3食マックって違和感ないですよ〜〜〜
ホント、ホント。
厳密に言ったらそりゃ
3食マクドナルドで食べている人はいないでしょう。
でも平均的な3食ってどんなもんだと思ってます?
彼らの平均的3食とは...
朝: 牛乳ぶっかけのシリアル
(それもあんまりナチュラルでない
モノの方が主流)
昼: ジャムかピーナッツバターを塗っただけの
サンドイッチとリンゴ。
だがリンゴは一口かじって後はポイッ。
(ハムや卵やレタスのサンドイッチなんて
パーティアイテムでしかない。)
夜: マクドナルドで「ディナー」。
私はマック行くことをディナーというのを
聞いた時、結構呆然としました。
ディナーとは「相当ちゃんとした食事」の
ことだって思ってたからねぇ...
夜の簡単御飯は「サパ」だと
習っていたから余計に。
この、他の国の人間からみたら
「どこに食の楽しみが???」と思う3食の間に、
ポテトチップスとドーナツとコーラ(LL)の間食が
大量に差し挟まれます。
北米の高速使ってロングドライブするハメになったら
もう、泣けます。
サービス・エリアには
ピザ屋とドーナツ屋とハンバーガー屋
"しか"ないんですから。
電車の発達していないアチラでは
ロングドライブの旅行は当たり前なので、
3食以上ハイウェイ飯か?というのは
ごく一般的な状況なんですが、
我々日本人は「4食目はハイウェイ飯は無理」
という結論に達しましたね。
それどころか、2食で絶えきれなくなり、
食事のためにハイウェイを降りることもしばしば。
(で、懸命に中華かイタリアンを探す。
なぜって?
この2種は米系メシにありつけるのだ。
仮に米系メニューなくても、
野菜や果物のバランス良い摂取が可能。)
乗り降りタダなのが唯一の取り柄ですわい。
欧州でこんな目にあったことはなく、
中華かイタリアンを探さなくても
土地土地のおいしく健康的な料理に
出会えたことを考えると、
北米の食事は「3食マック」みたいなモンですよん。
なにせ1食は確実にファースト・フードだしねん。
日本人から見ると
まるで漫画のようなやり過ぎ映画であっても、
アメリカにおいては、
日々の食生活をちょっと誇張しただけに過ぎず、
結構現実味あふれる状況なんです、あれが。
そして彼らはその食生活の招く結果を
「まるで分かっていない」。
それがあの映画の背景なのですよ。
誰もがある程度食育知識を持つ
日本人向けではない内容であることは
確かですがね。(^▽^笑) -
返信ありがとうございます
2005/09/22 by
理屈屋
ヘビメタさんさん、素子様命さん、返信ありがとうございます。
ヘビメタさんさんへ
箇条書きにしていただいた事柄のうち、私が特に問題と感じるのが5番ですね、販売戦略。
体を悪くすると分かりそうなものなのに、かなり肥満になってもなお、多くの人がそれを止められないのはなぜか?
ファーストフード店が悪いのか?それとも自分が悪いのか?はたまた政府が悪いのか?
これこそ「実験・取材で証明する価値あり」と思います。こっちを追究して欲しかったです。
映画の中の実験では、この点の立証はできないのに、ナレーションと専門家へのインタビューで「あたかも既知の事実」であるかのように食品会社を責めていたのが気になりましたね。
映画の中の実験の結果がそこそこ衝撃的なため、それらの主張に根拠がないことを見逃しそうなところが怖かったです。けっこう強い拒否反応が出てしまいました。
「真面目に反論するのもどうかと思うが」という言葉が出たのもそういうわけです。
もし、食品会社の責任を追及するなら、例えば1日20回マックのコマーシャルを見た人と1回も見ない人とで、1ヶ月にどれだけハンバーガーの消費量に差が出るか?とか、ハンバーガーを食べているときの脳波の波形が薬物を摂取しているときの波形に似ているか?とか、ロビーストが食品会社に有利な法案を年間何本通させ、消費者に有利な法案を何本潰したか?などを証明する実験・取材が、是非必要だと思う訳です。
素子様命様へ
いつも貴重かつたくさんの情報をありがとうございます。
いろんなことを知っている素子様命さんを思わず尊敬してしまいます、わたくし。
> 日本人から見ると
まるで漫画のようなやり過ぎ映画であっても、
アメリカにおいては、
日々の食生活をちょっと誇張しただけに過ぎず、
結構現実味あふれる状況なんです、あれが。
そして彼らはその食生活の招く結果を
「まるで分かっていない」。
なるほどぉ…。そういう事ならあの実験の結果を見せるだけでも、米国人にはかなり意義があることに思えますね。
とはいうものの、私がエンタメと思われる本作に「真面目に反論」を試みたのは、本作に「危うさ」を感じたからです。
ヘビメタさんさんへ宛てた文章とダブりますが、この作品での実験は「ファーストフードを大量かつ継続的に摂ってしまうのはなぜか?誰の責任か?」の答えを示し得るものではありません。にも関わらず作品では、ファーストフード自体やその製造販売会社が全面的に悪いかのような主張をしてしまっていると思います。
筋違いの事実を証明する実験の強烈な印象に惑わされ、「悪者はコイツ!」と根拠が薄弱であることに気づかずに決め付け、しかもバッシングしてしまうという行為に、非常に危険さを感じます。
「ファーストフードを食べない」という選択肢を自由意志で選べる限りは、まずは自分の行為に責任を感じるべきだと思います。現に作品中で、それができている人も何人かいましたし、「食べなきゃいいのさ」とか言ってる人もいました。
もちろん責任の所在を追求するのには大賛成です。
ですがそのためには、責任を追求するのに必要な事実の立証をきちっとして欲しいところですし、追求は、むしろもっと手厳しくやって欲しかったですね。
ボウリング・フォー・コロンバインみたいに、実験や取材で得たデータに専門家の意見を添え、政治家や役所や企業へ突き付けるみたいな突撃取材をして欲しかったです。
結果として意外な方向へ発展して、ボーリング〜の「恐怖」みたいな思わぬ結論に突き当たったりしたら、社会とか人間とかいったものが透けて見えるような、面白くてためになる深い作品にもなったかもなあと思うわけです。
そうすればエンタメとしてだけでなく、ドキュメンタリーとしてもかなり良い映画になったのでは?と思ったりします。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/23 by
ハーピン
ようやく見ることができました。
それで、ここのスレッドをイロイロ読みました。
なんか、30日間もマックしか食わなければ、変になって当然というレスが多い。
でも、この映画の実験の目的は、裁判の判決に基づいているのは、示されます。
「毎日、マックを食べても害が出ません」と言ってるマクドナルドに対して、「実際に毎日食べたら、害が出る」と、立証すれば、再提訴できる。
これに挑むという実験。
だからですよね。
「ファーストフードが健康に有害なのは、一般常識」といいつつ、毎日食べても害が出ないと言い張る。
この矛盾に対抗するための実験。
マクドナルドを題材に、肥満という先進国の問題の一部になってる食品業界の宣伝戦略へ警鐘を鳴らそうとしてるんですよね、きっと。 -
ちょっと危険な香りがしちゃうんですよね、この作品
2006/08/25 by
理屈屋
ハーピンさん、初めまして。コメントを頂きありがとうございます。
> マクドナルドを題材に、肥満という先進国の問題の一部になってる食品業界の宣伝戦略へ警鐘を鳴らそうとしてるんですよね
そうですね。そういう主張の映画なんでしょう、たぶん。
ただ、やっぱり実験と主張との根拠・結論の関係が弱く(ってか、全く無く)、その主張と「マクドナルド」ってところだけがエラく強調され過ぎちゃってる感じがどうもちょっと…。
マクドナルドの立場に立つと、この映画はちょっとイケナイんじゃないのって感じがして来てしまいます。
本当に真面目に反論するのもどうかと思うんですが、やっぱり見過ごせない危険な要素が、この映画には含まれてしまっていますよぅ。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/25 by
ハーピン
>理屈屋さん
勝手な書き込みにレスアリガトウございます。
映画でもありましたが、マクドナルドが宣伝にかけているお金は、この映画の製作費30万ドルの十倍近い額が毎年使われています。
そして、裁判は金で片がつきます。
しかも、チーズバーガー法なんてのも、わざわざ通す力がある外食産業。
屁理屈に屁理屈で対抗するという姿勢で、マクドナルドの巧妙な屁理屈は映画の中でも書かれていました。
自己責任は常識として、企業責任への追及を、この映画はしているのでしょう。
十代の少女がなぜマクドナルドを訴えたのかに、論がスタートしているのだと思うのですよ。
大人は自己責任出来るが、子供は出来ないから、論調の視点を下げているんだと思うんです。
あと、アメリカにおけるファーストフードは、日本おける米問題なのではないかと思うのです。
そういえば、アメリカでは、ファーストフードを題材にした、リンクレイター監督の『ファーストフード・ネイション』(でしたか?)というフィクションも公開されます。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/25 by
カイタカケン☆
こんにちは、理屈屋さま。
この作品で一番印象に残った所は、本来、学校という非営利を目的とする場に、大手ファーストチェーンによる給食サービスが進出している事でした。
学校給食の財源は主にその地区の固定資産税が充てられる事が多く、中産階級以上の住民が住む豊かな地域は潤沢な予算に恵まれますが、貧困地区はその恩恵からはかけ離れた所に置かれがちです。
また、保護者の経済状態によっては朝食さえ満足に取れない子供達も多くいます。
こういった地区は、昼食だけではなく朝食プログラムも同時に行なっており、財政的にも厳しい状況があるのが現実のようです。
中産階級などは、異常とも思えるくらい健康志向は高いのに(笑)
彼らは禁煙は当たり前、オーガニック食材を使った料理を家で調理して食べるか、ケイタリングするそうです。当然ながら、マクドナルドとは比べ物にならないくらい高額です。
一方、貧困層は日常の食事に当てる費用もその為の時間も少なく、勢いファーストフード漬けの食事になりがちですし、その結果、低年齢層の肥満、それに伴う糖尿病などの増加が深刻な問題となっています。
それに加えて、アメリカの医療制度は、日本の様な保険制度ではなく、最低ラインの保障しかありません。必要な治療を受ける為には、個人が民間の医療保険に自己責任において加入するしかないのです。お金持ちはより充実した保険に入れますが、低所得者はそこからもこぼれ落ちてしまうのです。
マクドナルドを手がかりに、アメリカの内包する問題を提示する、しかもその語り口は中々ユーモラスで、けっして声高に主張をするだけのものではなく、私は何箇所も笑わせてもらいましたが、『食』から垣間見えるアメリカには、なにやら寂しさと空恐ろしさを同時に覚えました。
そういえば、子供の頃肥満で苦しんだクリントン前大統領が、公立学校に置かれている飲料水の自販機の中身をダイエット(ノンカロリー)飲料以外販売禁止にする為に尽力していましたね。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/25 by
ハーピン
>カイタカケン☆さん
>そういえば、子供の頃肥満で苦しんだクリントン前大統領が、公立学校に置かれている飲料水の自販機の中身をダイエット(ノンカロリー)飲料以外販売禁止にする為に尽力していましたね。
ブッシュさんはそういうこともしていたんですね。
勉強になりました。
>理屈屋さん
自由の国アメリカの企業の自由。
それを監視し、律する立場の人間がいると思うのです。
この映画は、それをするであろう政府さえ勝てない企業の論理に、メディアの論理で、蜂の一刺しをするためのアイディアだと思いました。
食い物にされる子供、貧困層の味方はそう多くは無いのです。
ステディがベジタリアンというのも、笑いのいいスパイスだと、思いました。 -
映画の持つ問題は、アメリカの食問題とは別のところにあります
2006/08/26 by
理屈屋
ハービンさん、カイタカケンさん、返信ありがとうございます。
アメリカの食環境に関して複雑で深刻な問題が存することが、ご指摘で良く分かりました。
確かに政治をも動かしてしまう大企業を源とする、文化的社会的国家的問題であろうことは理解できます。
が、私が指摘したいのは、この作品がそれらを(アメリカ人にとっては常識かもしれないが)広く一般人に知らせ、問題の根源と問題を発生させているシステムを追及し、明らかにするものとなとって“いない”一方で、いきなり食品関連企業が問題の根源だ!という結論を前提として、問題の源であろうと考えられるもののうち、マクドナルドという一企業だけを見せしめの如く選び出し、根拠として薄弱な実験の強烈な印象をもって、個人(法人ですけど)攻撃をしてしまているという事実の方にあります。
もし私がマクドナルドの人間で、最近企業イメージを落とす裁判を終えたばかりでなかったなら、確実に訴訟を提起すると思います。
神様の目から見れば「悪人を糾弾する行為なのだからいいじゃないか」と見えるかもしれませんが、神ならぬ身の私から見ると、戦争などさえ起こしかねない危険な要素を内包する映画に見えてしまいます。
この作品はボーリング・フォー・コロンバインのように、マクドナルドから始めて、食品会社一般、圧力団体、議員・議会へと遡ってその問題を発生させている根源とそのシステムの存在を示し、更にその奥に、銃社会に対する「恐怖」のような、人がそうせずにいられない真の原因まで予測させるような、本当の意味のドキュメンタリーであって欲しかったところです。
確かにこの作品は面白いですし、エンターテインメントとしては電波少年的ノリで好きだと私も書きましたが、「笑い」というのは一定の者に対する差別であったりバッシングであることが多く、この作品の笑いもマクドナルド製品を大量に食べ続ける者の愚かさを叩くことで成り立っていると思います。
そして間接的とは言え、ここで叩かれているのは、やはりマクドナルドであり、有罪の確定していない一個人(法人ですけど)です。
司法・行政・立法のどの手段でもその有罪を事実として認めてもらえないという事情もあるのでしょうが、そういうことであったとしても、なおボーリング・フォー・コロンバインのように、その有罪性を多くの人に訴える方法・表現があったはずです。にも関わらずそれをせず、有罪を立証せずに断罪に走る行為に、私はとても危険を感じてしまったワケです。
マスコミは第四の権力だと思います。この権力を行使して断罪を行うという意味の方を、私はより深刻に感じました。
この作品をただ面白いと笑えない私の気持ちもお解かりいただければと思います。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/26 by
カイタカケン☆
ちょっと時間がないもので、リンクを貼っておきます。
参考にしていただければ、幸いです。
いつも思うことですが、理屈屋さまの熱さは私は好きなのですよ。
唯、映画にはいろいろな表現方法、手法があります。
『多様性』を否定しないのも映画から学べる重要な事のひとつであり、そうあって欲しいと心から願っています。
<リンクURL>
<リンクURL>
<リンクURL> -
カイタカケン☆さんは、カイタカケンさんとは別人ですか?
2006/08/27 by
理屈屋
カイタカケン☆さん、こんばんわ。
前の返信は、ハービンさんとカイタカケンさん(☆なしの)だと思って書いたのですが、カイタカケン☆さんはカイタカケンさんと同一人物ですか?良く見たら☆がついているので「ひょっとして、別人?」と思っていますが、どうなんでしょう?
もしかして、誰かにからかわれてるのかな?
ま、そんなことはともかく、リンク先の記事を読みました。が、前の返信でも書きましたとおり、アメリカの食環境に深刻な問題があることと、その問題の源が食品会社のロビー活動も含めた、販売戦略・宣伝方法であろうと思われることも、私は全く否定するつもりはございません。
んが、
それはそれとして、それに負けないくらい、この映画が持っている危険な要素が大問題です、と主張したのが私の前の返信の趣旨です。
私は別にマクドナルドを擁護しようとしているワケでは全然なくて、たまたま立証なく有罪を宣告され断罪されている形になっているのがマクドナルドであったというだけのことです。
この映画の行う大衆操作的な行為を、「結果的に人々の健康のためになるから」とか「マクドナルドは実際に問題があるだろうから」などという理由では、その危険性からとても見過ごすことはできないという私の主張(いや、実際、そんなに強く主張してはいないんですけどね、いや、その、ちょっと気になるかな?って程度なんスが)について、ご理解頂きたいと思います。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/27 by
カイタカケン☆
理屈屋さま、レスありがとうございました。
カイタカケン☆はまちがいなくカイタカケンでございます。
ログアウトした覚え(パソコンは家人も使うものなので、全くその可能性がないとはいえないのですが)はないのに、いつの間にか登録ユーザーだ無くなっていたのです。
この点については、サイトの管理人様にメールで問い合わせしているので、今お返事を待っている所です。
混乱させてしまったようで、ごめんなさい。
正直申し上げて、彼が行なった壮大な(笑)実験結果については、多少首を傾けたくなる所は多々あります。
もし、この作品が学校給食に関しての言及を行なっていなかったら、私はあまり評価しなかったでしょう。
『食育』というのは、本来家庭でなされるものであり、家庭個々の文化と合わせて子供達の世代に受け継がれていくのが最も理想的な姿だと思います。
しかし、現実として恵まれない環境にいる子供達は大勢います。
その子供達もやがては親となり、自分の子供達に『食育』をする立場となった時に、はたしてどのようなものを伝えていくのでしょうか。
公正な裁判によって、巨大メーカーの実態を明らかにするのが最も望ましい形であることは、この作品の監督や医療関係者も十分認識していると思います。
その上で尚、奇索とも、企業イメージを盾に取ったいささかアンフェアとも思える手段に訴えるのには、経済格差が生む待ったなしの状況に子供達が置かれているからではないでしょうか。
マクドナルドはあくまでシンボリックな存在であって、この巨大企業の背後には多くのファーストフードチェーン店や食品メーカーの存在があります。
もし、この作品がサンダンス映画祭で評判とならなければ、マクドナルドはメニューの変更はしなかったでしょうし、教育現場の改革の必要性を世に知らせる機会を失っていたかも知れません。
全ては『もしも』という仮定でのお話です。
この作品がどれだけ世論を動かしえたのかは不明なままです。
しかし、私達の大好きな映画が世論を形成するきっかけとなり、その結果、世界がほんの少しだけましなものとなるのなら、それはとても素敵な事だと、私は思うのです。
効率優先の経済はビジネス面での急激な変化にはすばやい対応が取れますが、公教育や法律といった分野はその変化のスピードに取り残されてしまう事が起きてしまいます。
まして、アメリカは連邦制を選択したために二重の法のもとで事態はより複雑化します。
巨大な政治力を有する企業が率先して、社会のニーズの変化を読み取り、高い企業倫理によってその富を社会に還元していく、社会に対して高い貢献を出来る企業が最終的に生き残っていけるのであれば、企業利益と社会的弱者の保護を矛盾なく両立出来る道が開けるような気がするのです。
長々とおじゃましました、ではまたどこかで… -
力関係
2006/08/27 by
Baad
カイタカケン☆さんと、理屈屋さんの論争は終わったようですが、理屈屋さんの論点で気になったことがあったので、一つだけ。
理屈屋さんの気にされている「危険性」というのは、あくまでもメディア側の力が批判されている側の力より大きい場合に成り立つものであると思います。日本で言えば、フジテレビとか日本テレビなどのメディアグループがキャンペーンとして、一般市民相手にもっぱら印象操作を元にファーストフードを食べることは愚かな行動であり、ファーストフードを常食する人は愚かである、的な非難を繰り広げた場合はある程度その危険性に敏感になる必要はあるだろうと思います。
でも、この映画は、サンダンス映画祭に出品されていることからも判るように、独立系の低予算映画です。しかも、この映画がある程度評価されたといっても、たかだか2004年度のヒット映画というレベルですよね。力関係で言ったらマクドナルドの宣伝力とは比較にならないほどの微力な存在です。マクドナルドが実際に断罪されているように見えても実際に法的に断罪されているわけではありませんし、この映画で印象操作されているように思われる部分は、立証不可能であるから印象操作的な手法を撮っていると言うことを判るように表現されています。
ここまで注意深く作ってもそれが危険だとおっしゃるのなら、理屈屋さんのおっしゃっていることはジャーナリズムそのものの否定であるように感じるのですが、如何でしょうか。
広告、とか、ジャーナリズムは必然的にある程度のアンフェアさを伴う危険性を伴ったもので、そういう前提の元に妥当性が問われるものだと思いますし、この映画の主張するところはその妥当性の範囲にきちんと収まっていると思うのですが、如何でしょうか。 -
この作品は逸脱が「ある」と思います
2006/08/28 by
理屈屋
カイタカケン☆さん、Baadさん、コメント頂きありがとうございます。
アメリカの食をめぐる問題については詳しくないので強く主張することはできませんが、この作品の持つ容認し難い危険な2つの要素については看過できないと思います。
危険と感じる要素の1つ目は、この作品が問題をとても単純化して攻撃の目標も絞り、特定の個人を攻撃させるような方向へと導いてしまいかねない部分です。「特定の個人はシンボルである」というご意見は、私には攻撃する側からの視点にしか感じられません。「シンボルである」という見方には既に「同じ有罪者の中の一人である」という意識が含まれてしまっていると感じられます。
逆に「無罪かもしれない」という視点で見ると、有罪かもしれない同様に見える他者への「見せしめである」と見えなくはありませんか。「無罪かも知れない」という目を意識して一度見てみて下さい。
実際にも問題の所在は、カイタカケンさんの仰るように経済格差や食に関する教育の不徹底、人々の意識の低さなど、もっと広範囲かつ複雑で制度的なものであるように思われます。食品会社が無罪であるとは全く思いませんが、政治や教育の問題と切り離してそれらについての責任の全てを一企業に背負わすかのような印象を受けかねないこの作品は、意図や姿勢において(結果においてでなく)やはり批判を免れないのでは?と思います。
2つ目は、実験と主張との関連性のなさです。
前にも述べました通り、この作品で行われる実験と主張される内容との間には、ほぼ全く根拠・結論の関係がありません。
にもかかわらず製作者は、実験のインパクトの強さに乗じて何らの立証もなく自らの主張を述べ、それを見る者に受入れさせようとしていると思われる部分が多々あります。
製作者は独自の調査などを通して主張の内容が真実であるという確信を持って述べているでしょうし、真実性はある程度高いとも思われます。「間違ったことを言ってないのだから良いじゃないか」という意見も、このケースに限っては間違っていないのかも知れません。
しかし、ここで用いられている手法は紛れも無く「真実でないことを真実と誤認させうる方法である」ことは、否定できないはずで、その主張の内容ではなくそのような主張の仕方を採っているという点及びその姿勢に危険性を感じます。
私はこの作品とボーリング・フォー・コロンバインとを比較して考えることが良くあるのですが、その際にボーリング〜の方にほとんど問題を感じないのは、「まず問題ありき」という姿勢を貫いているからだと感じます。「問題があって原因を探って行く」そういう手法をボーリング〜は採っていて、問題の末端では、とんでもないヤツにも意見を自由に言わせています。そして原因を探って行く過程のいくつかのレベルにおいてポイントとなり得る部分の者達へは、こちらから突撃取材等をして弁明の機会を与えているように感じます。見る人はその者の弁明する態度などを見て、その弁明が嘘か本当かの判断を多少なりともできるようになっていると感じます。
それに対してこの作品は「まず結論ありき」という印象が強いのです。
また関係企業に弁明の機会を与えているかに見せていますが、電話でアポが取れないという理由だけで、マクドナルドの担当者・責任者の顔や説明は基本的に見聞きできません。ボウリング〜がああいう取材をした為にあの類の突撃取材は禁止されてしまったのかも知れませんが、とにかくマクドナルド側がどんな弁明をするのかも、その弁明が真実かどうかを判断しうる機会も、見る者には与えられていません。
それでも尚その主張がしたい程、問題が切迫し待ったナシなのかもしれませんが、今作のような危険な方法を採らなければ有効にその主張ができないとも考えられず、むしろこの方法を容認することは、もっと別の大きな問題を発生させる危険の方ををどうしてもより大きく感じてしまいます。
例えばマクドナルドが同じ手法を使って
飢餓で苦しむ国の子供達にマクドナルド製品を援助として送った結果、餓死するはずだった子供が数万人も死なずにすみました、みたいな報告をすると同時に、何らの根拠も示さず「マクドナルドの製品は安全です」というPRを繰り返すなどしたらどうお思いになりますか?
そして多くの企業がこういう手法を大々的に採用するとしたら(一部既に行われている気もしますが)?
企業側のこのような方法は是認できますか?是認できないとしたらそれは強者だからですか?
話がそっちを向いたので、今度はこのような手法を採る者の立場の強弱について。
このような手法を使用する者が権力そのものであったり強者である場合には、問題が即刻的かつ極めて深刻なものであることがハッキリと感じられます。
が、弱者が使用する場合においても程度の差しかなく、深刻であることに変わり無いと私は思います。
適切な例かどうか分かりませんが、現在の日本の総理大臣はそのようにして弱い基盤しか持たないながら自民党の総裁に選出され、インパクトのある論点を持ち出した事で本来的な政策とは関係ないのに選挙で大勝し、今もある程度同様な図式で支持されていると見る事が可能だ思いますが、そのように弱者がこの手法を利用する事でいつの間にか大変な強者となり、この手法を更に使い続け大衆を操作していく、というようなことが起こり得ないという保証はどこにもありません。
それにどういう立場なら使用してはならず、どの程度弱ければ、あるいは誰に対してなら使用して良いのでしょうか?
政治的には弱者であった男が、インパクトのある政策(とパフォーマンス)によってその政策とは何の関係もない自らの思想を大衆に熱狂的に支持させ、メディアによる操作もし続けて、経済的社会的に隠然たる力を持っていた者達に大変に恐ろしい行為を行った例も思い出したりします。
ちょっと(というかかなり)脱線してしまいまいたが、Baadさんの仰られるように、確かに多かれ少なかれ公告やジャーナリズムには(特定の者を批判するような場合には特に)アンフェアさや危険な要素が含まれてしまうと思います。だからこそ、批判されている個人が批判されうべき事由を有しているという蓋然性を、批判と同時に示すことが要求されますし、批判の根拠となる事実と批判されるべき事実との間に関係性・確実性が不可欠ですし、更にそれがアンフェアでないかどうかの反証の機会があること、そして第三者による再現・再立証が可能であることなども必要であろうと思います。
もちろん今挙げたすべての要素を完璧に満たす必要はないでしょうが、ある程度までこれらを満たしていなければ、それはジャーナリズムではなく、単なる噂話であったり中傷であったりという誹りを免れないと思います。
最低でも姿勢においてこれらを満たそうという態度が見られない場合には、それ自身がジャーナリズムを名乗れないのではないでしょうか?
そういう意味で、私はこの作品をエンターテインメントとして面白いと評価を致しました。
ちょっと厳格過ぎるように聞こえるかも知れませんが、逆に言えばこれらを満たしていれば、たとえどんな主張であったとしても、激烈な非難であったとしても、どのような立場の人がどういう立場の人にする場合であっても、一切その言論は何者にも妨げられるべきではないと考えます。
自由と責任というヤツ、でしょうか。
そういうワケで、この作品については先に述べた2点において今述べた要件を満たすには遥かに不足で、妥当な範囲からの逸脱が「ある」と感じられたと、結論として述べたいと思います。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/28 by
ハーピン
なんか私のレスで‥‥、申し訳ないです。
でも、反論は反論です。
理屈屋さんは、お忘れだと、思うのですが、
「真実でないことを真実と誤認させうる方法」を
使っているマクドナルドの宣伝方法の踏襲という方法を、
このドキュメンタリーは用いているのだと、思うのですが。
マクドナルド側も同じように実際出さないで、言葉だけで真実にしているわけですよね。
で、言葉だけの存在である人たち、
一般常識をつかさどる町の人、子供達、栄養士、医者の顔を明らかにする。
マクドナルドは、「ファーストフードが有害なのは、一般常識」といいながら、「毎日食べても害が無い」と言いつつ、いってる人の顔が出てこない。
何とか、出せたのは外食産業のスポークスマンだけ。
でも彼自身が問題の一部であると認める。
そう、問題の一部なのですな。
スパーロックさんは実験体は僕だと言い放ちつつ、毎日食ってるミスター・ビッグマックも出します。
そう、ほぼ毎日食べても害は無いわけです。
では、スパーロックさんに近い人はなんでしょうか?
子供です。
子供の肉体と同じ状態が彼の状態。
彼は言います。
「子供にとっては夢の実験を開始します」と。
実際、安ければ、子供が口にするのも可能です。
飢餓の子供達の例を出していましたが、それを宣伝する事をマクドナルドはやるというわけです。
それが良い悪いではなく、どうかわからないことを良く言うのは、止めて欲しいが、この映画の大きな軸だと思うのです。
だから、彼の主張は明解です。
「マックを食うのはいい。ただ、スーパーサイズはやめないか?」
です。
これは、マクドナルドにも、実は、食ってる人にもいってると思うのです。
そして、マクドナルド自体が大きなシンボルなのではなくて、アメリカに例えられていると思います。
マクドナルドの宣伝手法を、スパーロックさんが取り入れている。
でも、そのマクドナルドが取り入れているのはアメリカの手法でもある。
最初に言っています。
「肥大するアメリカを象徴するのがスーパーサイズだ」
そして、主題歌でも。
「スーパーサイズ、スーパーサイズこそ、アメリカの道」
マクドナルドを訴える十代の少女が正義なのではなく、「それもアメリカのやり方の影響じゃないか」と、皮肉を重ねまくっている。
インタビューでも。
「アメリカ式ね。なんでも訴えるのよ」
そこに、逆にエンターテイメントの国アメリカを感じさせもし、スパーロックさん自体がアメリカのやり方に見えてくる。
かなり、ひねくれた頭脳の持ち主です。
ボーリングが悪なのか?とムーアさんはやりました。
マクドナルドが悪なのか?とスパーロックさんはやってもいるわけです。
まさに、理屈屋さんがいうように戦争になりかねないやり方。
アメリカはそうやっている。
僕(スパーロック)も従っています。
だから、言います。
「でも肉食はやめられない」
マクドナルドはアメリカの問題の一部に過ぎないと、この映画を観て私は思いました。
多くの人は確かにマクドナルドだけを見つけるのかもしれませんが、それで充分だと、思うのです。
だから、「せめて、スーパーサイズは止めないか?」が「大胆な提案」となるのだと、思うのですが、どうでしょうか? -
そうだったら、素晴らしかったのに(仮定法過去完了の例文?)
2006/08/29 by
理屈屋
ハービンさん、ご意見どうもです。
私一人で、ちょっと興奮してて恥かしい感じですが、ちょっぴり、いやホントにちょっぴりだけ、「この作品のやり方、マズイな〜」と思っただけなんですけど、書いてるうちに大演説になってしまいまいたぁ(汗)。
それはともかく、ハービンさんのご意見は面白いです。
マクドナルドから始まって「アメリカのやり方」にたどり着き、自らそれをやって見せ、観客に「そのやり方はどうなの?」と訴えるという作品である、という見方にはさすがにウナリました。
う〜んと深読みすれば、そう見られなくもない部分はあるかもしれません。実際そういう意図もあったのかもしれないと思えて来るから不思議です。
う〜ん、誰にでもそうと分かるように作ってくれれば、銃乱射事件から人々を支配するある感情にたどり着いた「ボーリング〜」を超える素晴らしいドキュメンタリー作品になっていたかもしれないですね。
その点からもちょっと残念だったかなぁ、この作品。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/30 by
ハーピン
>理屈屋さんへ
なんだか、アリガトウございます。
>う〜ん、誰にでもそうと分かるように作ってくれれば、銃乱射事件から人々を支配するある感情にたどり着いた「ボーリング〜」を超える素晴らしいドキュメンタリー作品になっていたかもしれないですね。
その点からもちょっと残念だったかなぁ、この作品。
お客さんを楽しませて、そのヒントを見せるというのが、ムーアさんの暑苦しさと違って、ひそかに伝わえるとうのが、狙いだと思うのです。
英語で見た人々には、あの歌はそのまま耳に残ると思いますし、言葉を残す事に成功してます。
大事件から、より深くにいけたムーアさんの作品と違う、小さな事件に潜む大きな影響を見つめる目をスパーロックさんには感じました。
ムーアさんはそこら中にあるのに潜んでいる事実を暴きましたが、スパーロックさんは隣にあって気づいてる事実へのあなたにある選択肢を見せている気がしたのです。
それに気づいたのは、ベジタリアンの恋人の存在なのです。
・ベジタリアンの恋人
・スパーロック
・一般の方
・ヘビーユーザー
・スーパーヘビーユーザー
という5つのマック度を示し、「さて、あなたは?」という選択肢を見せている点だと思うのです。
スパーロックさんは今、ホストで『30デイズ』というTV番組をやってますね。
キリスト教徒をイスラム教徒と30日間暮らさせたりしてるそうです。 -
Re: 真面目に反論するのもどうかと思うが…。
2006/08/30 by
Baad
理屈屋さんへ
大筋のところで私の主張したいところは全て ハービンさんがおっしゃっていますので、原則論として2点だけお答えします。
1.このような手法はどういう立場なら許されると考えるのか?
私人の立場として批判を行う場合のみです。
例え相対的立場が弱くても、公務員など、一般国民を統治する立場にある人には許されません。巨大メディアも場合によってはそういう立場になることもあるのでそのようなときはこうした手法はまずいのではないかと考えます。
ですから、理屈屋さんが例に出した小泉首相の場合は許されないと考えます。
市役所や警察の広報をやっているというような立場の人でも同様です。
2.ジャーナリズムの場合はどうか?
最初からいかがわしいものとして見るリタラシーが求められます。
理屈屋さんの批判はどう読んでも一般的なジャーナリズム批判に過ぎないので、何故この映画だけ立証が厳格でないことが気になったかということが私は気になりました。
ちなみに私がこの映画でかすかにに気なったところは、この映画がやっていることは、結局のところ中上層階級のインテリが下層階級の生活習慣をマクドナルド批判を口実に揶揄する事に終わっている部分があるのではないか、ということでした。
ただ、『ボーリング・フォー・コロンバイン』よりは穏当な手法でないかと思いました。あちらは途中までは良いのですが、ラストの死んだ女の子の写真を出して情動に訴える部分はこの映画以上にある種のごまかしというか、すり替えの危険性をはらんでいると思いました。 -
Baadさんへ
2006/08/30 by
理屈屋
返信頂きありがとうございます。
ちょっと映画自体とは離れてしまいますが、関連事項として意見の交換を致しましょう。
1.どのような立場ならこのようは手法が許されるか?
私はどのような立場の者も、そのような手法を使う事は許されないと思っています。ですからこのような手法がチラホラ垣間見える現状の広告やジャーナリズムのあり様を、嘆かわしく思っております。
2.ジャーナリズムの場合はどうか?
1で答えましたが、ジャーナリズムがあのような手法を使うことは、特に厳禁されるべきだと思います。私はこの作品だけを批判しているのではなくて、この作品にも見られる、このような手法そのものを批判しています。
この作品に関して言えば、エンターテインメントを装って、実は印象操作を行っていると思える節があるという点においては、普通のジャーナリズムより以上に悪質であるという可能性も確かにあります。
ですが、繰返しになりますが、私はこの作品だけを批判しているのではありません。この作品の用いている「手法」を「一般的に」批判しています。
前に書いたことと重複しますが、この手法は、単なる噂話や人に対する非難・中傷の中で無意識的に多用されます。個人が個人を精神的に追い詰めたり、いぢめたりするのにもって来いの方法なのです。
用例を一つ挙げますと、
「あの人は、人が死ぬような欠陥品を販売した会社の社員だ」などと人を中傷混じりに噂するような場合がそうです。
会社が販売した製品とそこに勤める人の人格には(余程の悪質商法の会社であったり、会社の意思決定に関与できる立場であったりなどの場合を除いて)何の関連性もありません。しかし、その人を疎外し、人格を貶めるには十分な発言だと感じます。
ついでですがこの手法については、主張と立証の関係が「不充分」であることを批判しているのではありません。上の例でご理解頂けると思いますが、主張と立証が「無関係」であるにも関わらず「一定方向の強い印象を与える」ことを批判しています。
ですから不充分な根拠で主張をしたり、場合によっては根拠無く人を非難するような場合でも(もちろん誉められたことではありませんが)批判をするつもりは私はありません。前に(私が挙げた)要件の全部を完璧に満たしている必要はないと申し上げましたが、この手法は要件を満たさない上に、不当な心理操作をする意図が含まれているところを批判しています。
そういう意味では仰る通り、ボーリング〜でも被害者の遺影を使用して主張を強化していると思えるところがありました。確かにあれも好ましくない手法であると言うべきかもしれません。
とにかくそんなワケで私は、個人が個人や企業に対して「この手法を使用すること」が不適切だと思います。ジャーナリズムが使用するなどもっての他に思い、政府や統治に権力を有する者が使用する場合には、直ちに命に関わるかのような切迫した危険を感じます。
返信を投稿
Copyright©2008 USEN GROUP All Rights Reserved.








