ヒトラー〜最期の12日間〜 (2004)
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ほぼ実話。すごい。
2006/10/22
by
黄金のキツネ
「明日、世界が滅亡します。それまであなたはなにをしますか?」という質問はよく聞く。答えは簡単。家族と豪勢な食事をして(和食がいい。やっぱり寿司かなぁ)、酒を飲む。アルコールは絶対に欠かせない。だから酒におぼれる人たちを笑うことはできなかった。
強烈なカリスマがいた。そのすさまじい個性に接している人々もいた。その中で逃げ出す人と、居残ってヒトラーに殉じてしまう人との違いに興味を持った。言葉を換えれば、カリスマの影響から離れた人と、その中にどっぷりと浸かった人との違いってなんだったんだろう。
自分の思い、願い、欲望をカリスマに投影し、カリスマがそれらを実現してくれることに快感を覚える。その快感をもって自分の欲望の達成ととらえる。カリスマと同一化することにより拡大する自我に満足するわけだ。そして遂には生身のカリスマよりも、さらに自分や周囲が理想化したイメージ、すなわち「カリスマ像」に自己を投影するようになる。行き着く果ては、大義や思想こそ自分の生きる指針であると思い込んでしまう。観念に縛られる人間の誕生だ。観念が現実から遊離すれば遊離するほど、それは妄想と呼ばれるようになる。心理学はよく知らないが、多分そういうことのような気がする。
一方、逃げ出した人々はカリスマに寄生していただけに過ぎない。彼らにとってカリスマとは、扱い方は面倒でも欲望を満たしてくれる単なる装置であり、ボタンをうまく押せばオイシイ目にあうことができる、そのような便利なものだったのだろう。だから上司であろうが、国家指導者であろうが賞味期限内でしか接しようとはしない。それを過ぎればお腹を壊す。自分の身を守るには利用価値がなくなったカリスマは捨てるしかない。
ヒトラーに自己を投影しヒトラーを自分の目的とした者と、彼を単なる手段として利用した者との違いと言えるのだろう……、とまとめるのは簡単だが、わけ知り顔に論評する自分の姿勢に忸怩たるものを感じる。
アルコールへの道、カリスマにすがる道、甘い汁への道。そのどれもが欲望を刺激し安易へと誘う。それらの陥穽に落ちることはない、と自分に言い切る自信がない。だから空疎な言葉を紡ぐのは止めて、心に残った人物の話に切り替えよう。
それは誠実な二人の将軍(ヴァイトリング中将、モンケ少将)と、ヒトラーから賞賛された少年のことだ。彼らの前にはともに厳しい現実があった。夢だ、理想だ、大義だ、などという掛け声に惑わされる余裕もなかったし、贅沢もなかった。地に足をつけなければ生存すらおぼつかず、地に足を付けているからこそ生命の大切さを知っていた。戦後の二人の将軍の運命には悲哀を感じたが(米英側の捕虜だったら抑留生活はもっと短かっただろうなあ)、少年の運命には安堵した。ユンゲに対する機転や水没アイテムの発見などにドイツ再生の兆しを感じてほっとできた。
近世の歴史は他人から解釈を押し付けられたくはない。この作品のように実話をあまり脚色せずに、つまり制作者の解釈をあまり持ち込まずに描写する姿勢が好きだ。現実を見よ、理念・理想に捕らわれるな。これが教訓かな。とてもいい作品だと思う。
付) 逃亡組、居残り組とも頭の良さはあまり関係ないらしい。軍首脳で逃げ出したゲーリングや、ほとんど役立たずで居残ったカイテルとヨードルも、IQをみる限りそれなりにお利口さんだったようです。それじゃあ、ヒトラーやゲッベルスって……おお、なんかすごそう。
直リン避けます。「h」付けてから飛んでください。
ttp://www.mirai.ne.jp/~ittaka/atama.html
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