ナイロビの蜂 (2005)
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理解することの難しさ
2006/05/28
by
りんぼ
夫がなぜあそこまで妻の死に拘って最後まで彼女を追ったのか?
それは単に無惨に変わり果てた妻を見たからでは無いだろう。
怒りや悲しみが彼を動かしたわけでは無いと思う。
また、彼が本当に弱者のためだけに行動したのとも違う。
それはあったとしても後付けの動機だろう。
やはり、彼は妻のことを理解したかったのだ。
この映画の面白い点は、それが妻の死後に始まることだ。
だから夫の旅の終着点は自ずと決まっていた気がする。
このラストで夫がどうなるか、そのこと自体は重大なことではなく、夫は妻を理解出来るかという問題こそが一番重要なのだ。
もう一つのテーマは利潤追求の弊害といった社会的な側面。
この映画はフィクションを越えて説得力がある。
その陰謀が極めてリアリティがあり、痛烈に今の資本主義社会を糾弾しているように見える。
実際、今の社会の拝金主義的思考は強者と弱者とに世界を分けて、容赦の無い搾取を行っている。
恐ろしいのは我々自身がそういったものの上に成り立っているかもしれないということだ。
それは丁度、夫の最初の立ち位置と同じなのだろう。
製薬会社の社長を初め、陰謀に荷担している者たちは極めて男性的に見え、それに対抗するテッサたちが女性的な象徴に見える。
彼女はアフリカの薬害被害を受けている子供たちの母親でもあり、同様に自らの身体を売るような女の側面も持つ。
テッサという女性は色々な面で刺激的で挑発的だ。
彼女に対し同調するにせよ嫌悪するにせよ、抱く感情はどちらも平坦なものではないだろう。
テッサは男性の作り出した理想像の女性とはまるで違っていて、自らの意思で目的を持ち存在する女性だ。
男が恐怖するのはそういう女性の力そのものなのかもしれない。
しかし、本当にテッサの望んだことは男性社会に打ち勝つことなどではなく、ひたすら弱者に対しての情なのだ。
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