実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007)
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山荘を占拠したのは男だけ
2008/06/18
by
Mの隠し玉
冒頭の赤軍派と革命左派(確かに京浜安保共闘と呼ばれてました)が合同して連合赤軍が誕生する迄の、70年安保を巡る学生闘争の経緯を描く語り口が、“アルジェの戦い”('66)か、“仁義なき戦い”シリーズか、あるいは昔のハリウッド戦争大作のプロローグさえも思い出させる仰々しいドキュメンタリタッチになっているが可笑しかった。一方で、その物々しさに浮くようにしばしは登場するスタイリッシュな酒場の乾いた雰囲気や、中東に飛ぶ重信房子と遠山美枝子の別れの場面に微かに漂うセンチメンタリズムは、60年代を通じてこの時期までに連綿と作られていた例えば日活アクション等の邦画プログラムピクチャーが持っていたメンタリィも彷彿とさせてくれる。
なにやらゴッタ煮的な感性を散りばめて始まる映画は、本筋に入るやその映像にただならぬ熱気がただよい始め、ワンパターンで繰り返されるリンチ場面も,今となっては意味のない記号としか聞こえない新左翼用語が飛び交う様も、異様な迫力となって観る者を圧倒するようなる。それはクライマックの山荘攻防戦にまで増幅しながら持続するのだけど、若松孝二監督は決して押し付けがましい表現はとろうとしない。事件の年にリアルタイムで製作された<テロルとエロスの衝撃作>”天使の恍惚”('72)での気負った前のめりの表現は、あれから三十数年、ここでは確かな経歴に裏打ちされた玄人としてのしたたな打算と抑制に置き換えられる。まだ凄惨な「総括」が始まらぬ山中のアジトで唐突に挿入される<美女の入浴>場面なぞ、この作者らしき脱力的な観客サービスと見せて、実は映画のポイントとなるスケッチの一つではなかろうか。ドラム缶の浴槽から体を浮かせるときの女性闘士の涼やかなる様子。そして、クライマックスでの戦闘シークエンスでも比較的長い時間を割いて捉えられる人質の若き女性管理人が怯えながらも気丈さ見せる様子。意図的なのだろうか、登場する男性闘士達に向けられる眼差しが硬く画一的なのに対して、女性を描く時の視線はふくらみがあってなおも鮮烈だ。映画を支える隠れた核心に、上のふたつのクローズアップの間に挟まれて幾人かの女性達(永田洋子でも、遠山美枝子でも)がその都度に浮かべた多様なる表情があったように思われた。
もちろん、この希有な大作エンタティンメントのスクリーンを大きく振るわせるのは、<革命>への志向を持続する<若者達>への、作り手の苦い思いをこめた、しかし今なお強く波打つシンパシィであることには間違いないのだが。
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山荘を占拠したのは男だけ
2008/06/19 by
牧坂満
「Mの隠し玉さん」初めまして。映画冒頭の連合赤軍が誕生する迄の70年安保闘争の経緯を描く語り口に“アルジェの戦い”と“仁義なき戦い”をダブらせたご意見に共感しました。ご意見を拝見するまでは、映画のあのシーンでの高揚感は何だったんだろうと思っていましたが、なる程と自分自身の深層心理にある原因が確認出来た次第です。ご意見有難うございました。
また、機会がありましたら、若松孝二監督の別の作品や60年代の日活無国籍アクション映画で意見交換をお願い致します。 -
レス、ありがとうございます。
2008/06/28 by
Mの隠し玉
牧坂満 様
レスありがとうございました。
これ迄の学生運動を題材にした映画と云うと、社会的視点をもったものでも登場人物の(あるいは作者自身の)パーソナルな視点や心象さらに寄り添うものが多かったようです。純然たるドキュメンタリは別として、本作の出だしのように、事の次第を高い目線で鳥瞰図に写し出すが如く、いわゆる現実の事象をものものしく積み重ねるひと昔前のTVドキュメンタリ風の描き方は珍らしいと思いました。
タイトルに<実録>と付いた以上、若松監督以下作り手達がこの手法を適用したのはごく自然ですが、一方、彼らはそのウラにある、「いかにも客観性を装った表現に漂うウサン臭さ」も先刻承知。だからこそ、ひたすら“アルジェの戦い”、”仁義なき戦い”等の、あるいは旧いハリウッド映画の記憶さえも想起せしめるかの様なパロディックな仰々しさをも強調したのかも知れません。
生真面目なストレート志向の”アルジェの戦い”はさて置き、”仁義なき戦い”シリーズの<実録路線>タッチには、いわゆる正統的な社会派ドキュメンタリィ的な描写をおちょくるような感性が何処かにあったような気がします。原爆ドームのスティール映像に被さるあの独特の乾いたナレーションが本作の原田芳雄によるそれと交錯するときに、独特の映画的興趣が高揚する事は云うまでもありません。
(いや、牧坂様ご指摘のそれとは少し違うかも知れませんが...)
若松孝二監督と日活を繋ぐ系譜の中に、ご承知、脚本家の故・大和屋竺さんがいますね。日活作品では鈴木清順監督”殺しの烙印”('67)や、梶芽衣子さん主演の“女番長・野良猫ロック”シリーズの脚本でおなじみですが、そんな晩期(大映と日活が配給提携してダイニチとなった頃)の日活アクションの気配がそこはかとなく感じられました。久方ぶりに長谷部安春とか沢田幸弘とか監督さん達の名前も記憶の底から浮かび上がります。
当方が若松作品で今迄に観てるは、本文に引用した”天使の恍惚”の他、”犯された白衣”('67)、”処女ゲバゲバ”('69)、“水のないプール”('82)くらいでしょうか。どうも熱心かつ誠実なる観客だったとは云えないようですが、スクリーンから吹き出すその反社会的な熱風が最も強烈だったのはやっぱり、新左翼運動盛んなりし60年代後半の頃だったように思います。その後も幾多のピンク映画(ポルノと呼ぶには微妙に違う感じ)を中心に撮り続けて今に至っているいるようですが、牧坂様はこの辺りをフォローされておられるでしょうか。さらにこの期間に、大島渚の超話題作“愛のコリーダ”('76)のプロデューサーに名を連ねたのもトピックでしたが、やはり若松孝二の本当のキモについては、場末(いや、もとい、裏町)の専門館に潜り込みこれら陽の当たらぬフィルム達が放つ光を浴び続ける事で語れるのではないかと、自戒をこめて思う次第でもあります。
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