いつか翔べるように (2006)
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ずっと点いたまま
2008/05/14
by
アキラ
作風には向き不向きって奴がある。例えば素材に踊らされないチャンヤンは場所を限定して複数の人物をじっくりと深く描き込む事で現代を浮き彫りにするのは上手いが『帰郷』みたいなロードムービーで現代を切り取ろうとしても舌っ足らずな語り口になってしまいます。逆にこの作品の監督アルキプージは素材に対して貪欲に拾おうとし過ぎる癖があるから、この手の群像劇ではテーマが散漫になってしまう弱点がありました。これは自分の範疇外を描こうとするロッセリーニの影響。ただ今までのアルキプージ作品は悪く云えばスキャンダリズムみたいなもっと浅い次元で素材に振り回される傾向がどうしても好きになれなかったのです。でも今回ばかりは彼女を見直しました。インドで自分探しをする若者たちをロードムービーとして描く事で、特有の踏み込みの浅さは主人公たちの成長を促すエッセンスとして消化され逆に芯のある物語を生んでくれました。
インドを舞台に撮られたドキュメント的要素も含んだイタリア映画なので映像的にはモンド映画を連想させる生臭さを見せるシーンもあります。ホテルになだれ込む暴徒やわらわらと集まる物乞い。群がる制服の少女たちの前で嘔吐し倒れる青年。片足がないアシスタント。まだ小さく幼い彼の嫁。その出産シーン。ここではボカシなしで少女の血まみれマンコがドアップになる。胎児と一緒に臍の緒が引き出される。それらの生臭い描写は今さらスキャンダラスでも何でもない。元々イタリア人の表現は何でも即物的に見せる傾向があるが、そこに商業的思惑ばかりが絡んでいるとは限らない。これらは生命力を学ぶ青年たちのドラマとしては必要不可欠。
「人の想いは電球みたいなもの。点いている時と点いていない時がある。でも中にはずっと点いたままの電球もあるの。いくら反発しても消えない両親がそうであるように」旅先で助けられた年上の女性。彼女への恋に悩み迷ってる青年に彼女は優しく語りかける。何事にも受け身で情熱を持てずに何となく遊び暮らしていた二人の青年は予期しなかった出会いの中で少しずつ変り始める。自分のルーツを探るなんて最初は日常から逃避する為の言い訳でしかなかった。本当の親が誰だかなんて知りたくもない。テキトーに遊んでイタリアに帰っても何一つ変りはしないだろう。だが出会う事で彼らには背負い込むものができた。既に背負い込んでいるものの大きさにも気付いた。玄関の電球は消えてない。今度は彼らがすっと点いたままの心で玄関を照らす番。
朝日ホールにてイタリア映画祭2008
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