39 刑法第三十九条 (1999)
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カント、ヘーゲルをアウフヘーベンする
2008/04/15
by
牧坂満
19世紀末のドイツを中心に刑法思想を巡る論争が発生して、各国の学会を二分しました。刑法学は古典学派(旧派)と近代学派(新派)の二大潮流が対峙しています。今日の刑法理論はこの両者の思想から派生されたものでありますが、犯罪は社会や権利に対する侵害に応じて、予め法律で定めた規則によって処罰されるべきであるとした古典学派(旧派)は宗教や王権が法の規定を越えて刑罰に介入することに反対したのです。刑法上の責任は、自由意思によって反道義的行為を行ったことへの道義的批難であるとする意思責任論・道義的責任論を主張します。この立場によれば、自由意思が欠落する者に対しては道義的批難を付与することが出来ませんので、“刑法第39条”を適用するということになります。
森田芳光監督はこの重要課題を近代学派(新派)の法解釈で問題提議してきます。近代学派は社会・経済の急激な変動は、犯罪の増加をもたらし、理性的な人間像を前提に犯罪や刑罰を観念的に唱える古典主義への批判として、実証的方法によって犯罪をとらえて対処しようとする論理です。殺傷行為をおこなう精神障害者にどう対応するか。これは精神医学に突きつけられた最大の課題のひとつです。「刑法39条」は、精神医学が、社会の安全と人々の安心を保障するための技術となるべきであるという視点から論じて、精神鑑定の現状をも理解出来るよう努めたのです。この立場によれば、自己の行為をコントロール出来ない者は、反社会的危険性を持つ者であって、“刑法第39条”を適用すべきではないということになります。
“としぞ”さんがレビューで述べられているように、「刑法39条」に精通して“詐病”を演じる犯罪者がかなりの割合で存在しており、彼らが刑を逃れているのも事実です。映画は、異常を装う犯罪者の方が、まともな人間の感情に突き動かされていて、所謂、世間的にまともであると認識されがちな医者や検察官の方が、病んでいるという人間描写をしています。映画は刑法第39条という思いテーマを真正面から扱っていますので、全体が重く陰鬱に圧し掛かる様に進捗していきますが、これに“銀残し”の技法が生きています。
深作欣二監督も「現代やくざ・人斬り与太」や「仁義なき戦い」で、斬新的なハンディカムによる“ぶん廻し”撮影を仲沢半次郎に提案して成功させましたが、同じ、日本大学・芸術学部の後輩である森田芳光監督もこの作品で実験的技法に挑んでいます。
それは、殺人現場の場面ではスチール写真を撮影するように、1カット・1カットを音と一緒にぶつ切り状態で進行させています。この他にも斬新なカメラワークがいたる場面に登場してきますが、鈴木京香扮する香深に母親から電話がかかってくるシーンは、香深の精神状態を見事に表現していたと思います。ラストシーンの鈴木京香と堤真一の法廷場面のカメラワークは、先輩格の深作欣二監督が生きていたら絶賛したかもしれません。
鈴木京香扮する香深は“カフカ”ですが、実存主義に詳しい方がいらっしゃいましたら、彼女がくぐもった喋り方をするのが、どのようにして“カフカ”に結び付くのかをレクチャー下さい。
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