サウンド・オブ・ミュージック (1964) »レビュー

たとえば犬に噛まれたら

100点 2008/02/21 by 根無し葛

ある大事な面接の場面で、「好きな映画は?」と質問されたことがあります。

思い浮かぶままにこの映画の名前をあげたら、白髪まじりの面接官が破顔一笑、うれしげに何度となくうなずいてくれました。わだかまりを捨てて和解をとげた父親と息子のような親密な空気に包まれました。一本の映画が生み出す波紋のいちばん外縁の、そのまた外縁で起こったひとつのエピソードです。

名曲や名場面、記憶に刻みつけられたフレーズ満載のこの映画、とりわけ印象深いものがいくつかあります。

まず最初に、映画の序盤、修道院を出てトラップ家での家庭教師を命じられたマリアが、不安な気分を吹き飛ばすように歌う『自信を持って』。

曲とともに映像は修道院からトラップ邸へダイナミックに転換していきます。心もとなげにくもっていたマリアの表情も歌うにつれてみるみる晴れ上がっていきます。

この曲のはじまる直前、マリアが自分自身を励ますようにつぶやきます。

"When the Lord closes a door,
  somewhere He opens a window"

「神がひとつのドアを閉めたときはどこかで窓を開けてくださる」

(*最近、NHK/BSで放映された際には、「道はきっとどこかに通じる」という字幕になっていました。)

八方ふさがりな気分のとき、思わず口をついて出る言葉です。一緒にいてくれるだけで心強い、近しい友人のような言葉です。

実際には、いかめしい顔をした「現実」が「そうは問屋が卸さない」とばかりに外側から窓を押さえつけたりもします。暗い部屋の中に閉じ込められる心細さはたまらないですよね。

そんなとき、マリアのように「自信を持って」胸をはって歌い上げたら・・まさに究極のポジティブ・シンキングです。

ここでのマリアの「自信」にはこれといった「根拠」はありません。言葉どおり「自分自身を信じる」、それこそが自信の源泉であり、それ以上にややこしい「根拠」なんていらない、そう思えてくるのが、なんとも痛快です。

こんな「自信」を前にしたら、「現実」だって、すこしは遠慮して身を引くんじゃないかと思えます。おそれをなして道を譲ったりもするんじゃないかと思います。窓はそういうときに自ずと開かれるんでしょうね、きっと。だんだんそんな気がしてきませんか?これといった根拠なんかなくても。

2番目が、稲光と雷鳴を怖がってベッドに駆け込んできた子供たちにマリアが歌う『私のお気に入り』。

バラに降る雨の粒、子猫のひげ、クリーム色の仔馬、白いドレスに青いベルトの女の子、月夜に舞うガンの群れ・・・お気に入りのものを思いつくままに数え上げていきます。『枕草子』の<好きなものづくし>みたいで楽しいですね。

そして、怯える子供たちをこんなふうに励まします。

"When the dog bites, when the bee stings,when I'm feeling sad.
  I simply remember my favorite things.
  And then, I don't feel so bad"

「犬に噛まれたり、蜂に刺されたり、悲しい気持ちのときは、お気に入りの楽しいもののことを考えよう。そうすればきっといい気分になれる」。

そんな甘いことを考えているようでは生き抜いていけない、辛いときには奥歯を噛みしめて耐えればいいのだ、ときびしく自らを律して生きる方もおられることとは思います。
「タフでなければ生きている資格はない」などというタフな見解もあるでしょう。
でも、そうはいわれても、やっぱり「奥歯を噛みしめる」のは苦手です。

この曲はスタンダード・ナンバーとなっていて、TVコマーシャルでもおなじみです。

実をいうと、なにかの拍子にふとこのメロディが耳に入ったとたん、なぜだかときたま甘酸っぱい、かなしい気分に襲われます。落ち込んだ気持ちを明るく励ましてくれる歌なのに、これではまるであべこべです。

どうしてそうなるのか。
ひょっとしたらと思い当たるのは・・・
どうも幼いころのある日の出来事を思い出してしまうせいみたい。
なにかでへそを曲げてぷいと家出をして、隣の町まで行って迷子になった日のこと。見慣れない風景に囲まれて怖くなって途方に暮れて・・。

無事に家まで帰った、という記憶だけがどこを探しても見当たりません。そのためいつまでも同じ場所で立ち竦んでいるような心細さが残り続けて、その心細さがこの曲のメロディと結びついて、あのときに見えていた風景を思い出してしまう。どうもそういうことのような気がします。どんなメカニズムで結びつくのかはよく判らないけれど、なにはともあれ、その場所が自分にとってある種のホーム・ポジションなんでしょうね。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画のヒロインであるセルマにとっては、この曲はひっきりなしに襲いかかる痛みを和らげるための鎮静剤でした。彼女にはどういう風景が見えていたんでしょうか。あるいはどういう風景が見たかったんでしょうか。懐かしい「悲しさ」に浸ることで、耐え難い痛みを耐えていたんでしょうか。ホーム・ポジションはひとそれぞれです。

最後に、トラップ大佐の見せ場についてすこしだけ。

子供たちが歌う『サウンド・オブ・ミュージック』の調べを耳にして、長く閉ざしていた心を開き、われ知らず歌声を添えてゆく場面。永久凍土に覆われていた大佐の顔に、生き生きとした表情がよみがえっていきます。心地よい幸福感に包まれる忘れがたい場面です。

そして祖国への愛を可憐な花に託して歌う『エーデルワイス』。この曲は、とくに映画の後半、音楽コンクールでの場面がいいですね。

祖国への万感の思いを込めて歌い出したものの、すぐに感極まって声を詰まらせてしまうトラップ大佐。と、うしろに控えていたマリアがすっと大佐の腕を取ってフォローし、子供たちがそれに続き、ついには客席全体がひとつとなって唱和します。その熱風の中で、さまざまな人に宿るさまざまな「愛」がひとつに溶け合います。

どちらの場面でも、「タイミング」が絶妙です。
大佐が子供たちの歌声に加わるタイミング。
マリアが絶句してしまった大佐の腕を「すっ」と取るタイミング。
それぞれ、何百年も前からあらかじめ神さまの予定表に書き込まれていた「瞬間」だったのではないかと思えるほどです。

それにしても、こんな子供たちとマリアに囲まれて、トラップ大佐はほんとに果報者ですね。

マリアについては、尼僧たちと修道院長さんがユーモラスに楽しげに歌う『マリア』という曲の中に、彼女を表すこんなフレーズがあります。

"How do you hold a moonbeam in your hand?"

「月の光は捕まえようがありません」

たしかに誰にも捕まえることなんてできません。
でも、できることもあります。
たとえば降りそそぐ月の光を全身に浴びること。

大佐はたしかに果報者だけど、この映画を観るひとすべてに月の光は公平に降りそそぎます。この光を浴びている間、胸の中で泡立つ不安も不満も不機嫌も、いっとき姿を隠します。もしも大切な宝物をなくしてしまったとき、夜中にこわい夢を見てしまったとき、ひとりでいることに耐えられない気分のとき、この月の光の中に立てれば・・・

"And then, I don't feel so bad"

きっと元気が出ますよね。

 

2人がこのレビューに共感したと評価しています。
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  • Re: たとえば犬に噛まれたら

    2008/02/22 by じょりちょこ

    「ミュージカルは苦手で...」
    という人が時々います。

    そういう人に、自信をもって勧められるのは、この「サウンド・オブ・ミュージック」ではないでしょうか。
    僕などは涙腺が弱いので、オープニングシーンの美しさだけで早くも涙ぐんでしまうのですが...

    ともかく、傑作ですよね。すばらしいレビューだと思います。

  • Re: たとえば犬に噛まれたら

    2008/02/23 by 根無し葛

    確かに「ミュージカルはどうも苦手」ということでこの映画を敬遠してしまうとしたら残念な気がします。
    実際、この映画ばかりは、いろんな人に薦めてしまいたくなります。
    「迷惑だ」といわれても「だまされたと思って」などといって薦めてしまいたくなる。あきらめの悪いセールスマンみたいですね。

    じょりちょこさんのレビューは、とてもスリリングに感じたり、複眼的であるように思われたりして、いつも興味深く読ませていただいています。『ヘアスプレー』についての投稿を拝見したときには、独特の「視点」が大変最高になりました。率直にいって、かなり「びっくり」しました。
    これからもよろしくお願いします。

  • Re: たとえば犬に噛まれたら

    2008/02/23 by じょりちょこ

    ありがとうございます。
    僕自身、できるだけ自分ならではの視点でレビューを書こうと思っているので、そういう感想は励まされます。(どうも小難しいことを嫌味に書いている奴、と思われているようなので...)

    「サウンド・オブ・ミュージック」は本当に時代を越えた傑作で、およそリメイクの必要のない作品ですよね。
    もともとミュージカルは繰り返し上演することを前提に作られていて、その中でも名作と認められたものが映画になっているので、当たりが多いんですよね。
    もっともっとみんながミュージカルを好きになってくれたらいいんですけどね。

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