コンフェッション (2002)
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ザ・ゴングショー = マルコヴィッチの穴
2003/09/21
by
Mの隠し玉
日ごろの神経衰弱が嵩じて”俺は国家機密を左右するスパイだ”みたいな妄想を抱くに至る主人公。それを無理矢理に難病感動映画にスリ替えるが如く描いて話題を取ったさもしいアカデミー賞狙いの作品もあったけど、この一篇は原作者、脚色者の各々ヒトを喰った健全なる(?)ホラ話精神が横溢しているのでイヤミなく笑って楽しむことが出来きました。そのスパイに変身する件りもヘタな活劇仕立でなく、”寒い国から帰ったスパイ”('65)や”さらばベルリンの灯”('66)の本格エスピオナージ路線を意識したと云う初演出ジョージ・クルーニーの絵作りはなかなかのハイ・センス。チョロと流れる”さらばベルリン〜”のテーマ曲<Wednesday's Child>も懐かしいです。
さて問題は、主人公の本線たるテレビ・マンの現実とこのもう一方の現実(お話の設定ではあくまでそう云う事になっておる。)をひとつの映画の虚構世界の中でいかに面白くさばくかにあるのわけですが、ここに今や売れっ子ライタァとなった脚色のチャリー・カウフマンと人気スター監督クルーニーの間に若干の意識の齟齬が見えたようで・・・。
カウフマンの脚色は、「自ら考案したお下劣番組が次々にヒットを飛ばす傍ら、ますます視聴率に脅かされるTVプロデューサー」と「指令されるままに33人をも暗殺したCIAエージェント」のふたつの現実は同列で、彼自身の話題作を引き合いに出すならばいわば双方とも「ジョン・マルコヴィッチの脳内世界」。主人公がこれらの不条理な世界をピーン・ボール・ゲームの如く往き交う事によって醸し出される乾いた笑いと遊び心の愉快さを狙っているようです。
対して、クルーニーの演出は、TV業界はシリアスな現実であり、他の一方はそのストレスから生じた副産物的現実であるかのようなスタンスを取ります。律儀な新人監督にとっては原作者の背景となる事実はあくまでマジに描くべき世界であるし、いかにも作り事に見せるスパイ稼業こそ仮想的脳内世界でありましょう。脚本家のキャリアを意識しつつ、クルーニー御自ら「マルコヴィッチの穴」的存在と云えるCIAの謎のスカウト・マンを気持ち良く演じてみせるのもこれまた十分頷けるところです。
その”マルコヴィッチの穴”('99)をそれほどに評価しない投稿者は、脚色にこめたカウフマンの思いがより面白い作品に結実したかを確証は出来ません。でも、ふたつの現実を最終的に融合させる事なく互いに異質な世界のままに放置したこの演出もまたシナリオの面白さを殺してしまっているコト否めないでしょう。そう云えば、日本でも放映された”ザ・ゴングショー”をダラダラと見ていた時の、ただならぬ時間の喪失感と云うか、チリチリ来る焦燥感と云うか、あの心理的様相の不条理さを経験した向きには、この映画のアプローチに物足りなさを覚えること必定かも知れません。
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