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昔の深夜映画って思いきり著作権違反?
2007/09/14
by
月踊り
ボクが初めてこの映画を観たのは高校生の頃、TVの深夜映画でした。それとなく評判は知っていたのですが、何とも淡々と進んでゆく展開を眺めるようにして観ていた記憶があります。
非常によく覚えているのですが、コーヒーを淹れようと思い、火にかけていたヤカンに向って歩きだした一瞬に映画は“ほぼ”終わっていました。「嘘ぉっ!」
クレジット・タイトルが流れる映像を見て、何がどうなったのかという結末だけは解りましたが、その後、その一瞬を取り戻すに至るまで、つまりヴィデオ・デッキなる物が部屋にやって来るまでのほぼ5年間、自分にとっては“幻の映画”ならぬ“幻のラスト”として、悶々としたタイトルだったのです。
念願叶ってレンタルして見直したこの作品、いやあ良かった、その時見逃して。って、だって全然違うじゃん、スーパーソウルの重要度がまるっきり違うんだよ。深夜映画恐るべし!映画を完全に変えちゃってるよお〜。
というワケでこの作品には主人公がもう一人いたのでした。それがコワルスキーの協力者となるインディ・ラジオ局の盲目の黒人DJ、スーパーソウルです。クリーヴォン・リトルという俳優が演じているのですが、これが凄くイイ。終始無表情のコワルスキーの心の燃焼を実に見事に代弁しているんですね。彼を置かなかったら、この作品の魅力は半減したでしょう。
アメリカン・ニュー・シネマの一群は、大国に射しはじめた不安と断絶の影を描きました。この作品でもやりきれないような陰が支配しています。
それにしてもコワルスキーの、この執拗なまでの陰・厭世感は何なのでしょうか?『イージー・ライダー』とも『ファイヴ・イージー・ピーセス』とも異なる、エリートの焦燥と絶望?
まあ、この時代の空気を吸った者じゃないと理解できないモノなのかも知れませんね。
余談ですが、エンディングで流れていた「Nobody Knows」という曲、とても効果的で印象も強かったのですが、クレジットに目を凝らして見ていたら“Kim Carnes”の名が!って、あのキム・カーンズ?あの「Bette Davis' Eyes」の?
ボクらMTV創成期に大学生だった世代の大ヒット曲ですよ。でもそんな話聞いた事なかったからホント驚きでした。
ホンキートンク・ゴスペルって感じの、いかにも南部っぽい曲です。
点数ですが、94点ぐらいですので、四捨五入してしまいました。
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