ブルーベルベット (1986)
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現実と虚構の境界を曖昧にされます
2007/02/07
by
理屈屋
ストーリー的には、大したことのないサスペンスもの、といったところでしょうか。
父親の事故(?)で、都会の大学から家に戻った青年が、切り取られた人間の耳を偶然に見つけてしまったことから、不思議な魅力を持つ女性と危険な関係になってしまい、ギャングのボスと対決する、みたいな、ま、言ってみればありがちなサスペンスです。
しかし、これを製作した人がこの作品に込めた狙いとは、今書いたストーリーとは全く別の所に在るようでございます。
例えば、水を撒いている庭の芝生の下であるとか、リンカーン通りより向こう側であるとかに、今自分が認識している世界とは地続きではあるけれども、全く異質な世界が存在していて、しかもその世界の方こそが、自分が世界と認識している世界を支配し動かしていて、しかも自分ではその事実を認識できていないのではないか?という疑問を観客に感じさせる、というのが真の狙いのようのであります。
その為、芝生の上であるとか、リンカーン通りよりコッチ側の世界は、非常に美しく好もしく健全でありながら、青空に白い柵や緑の芝生などの色合いが、原色でかなりケバケバしく、非常に嘘臭いのであります。
それにひきかえ、アッチの世界は、異様な雰囲気と不可思議な迫力とを以って、拒み難い真実として迫って来る訳でございます。
この結果、我々が通常真実と認識している世界の真実性が危うくなり、逆にスクリーン中の虚構が、拒み難い真実であると強く主張してスクリーンからはみ出して来て、我々観客の座っているところまで、その異様な世界を広げてしまうようでございます。
私、一観客として、自分が現実として認識しておる世界が、どの程度リアルな世界であるのか、非常に不安を感じたりしてしまうのでありました。
思えば、つい先ごろ鑑賞させて頂きました「カミュなんて知らない」のラスト15分くらいにも、全く同じ感じがしたものでございます。
また、コミックとかファンタジーという枠組を保った上で、であるので、観客たる私の不安を煽るには至らないものの、M.ナイト・シャマラン監督の作品群などでも、同様な、現実と作品世界(虚構)との間の、明確な境界線が失われるという事態を何度か経験させられておりまする。
これらの監督さんは、皆、面白い監督さんだと思いますが、特に本作品のデビッド・リンチ監督は、ファンタジーなどでなく、人間の深層のリアルで、しかも作品全体においてそれをやってしまっているため、かなりの不安感を引き起こされるという現象が起きるかもしれません。
面白いと思う人には、非常に面白いかもしれませんが、ちょっとオーバーにいうと、若干危険を感じる作品でございました。
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