草莽の志士 さん

草莽の志士さんのレビュー一覧

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137件中1-10件

  • 80点 贅沢な絵(0)

    2008年3月1日 to 人のセックスを笑うな

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    (c)2008「人のセックスを笑うな」製作委員会

     人のセックスを笑う人を物語(登場人物)に捜すなんて無意味。それは僕であり、あなただから。“知らずに植え付けられた価値観に囚われている人々”に赤裸々に向けられた一言、まずはタイトルから僕が感じた事だ。

     マニュアルや説明書で語られる映画はそこらで幾らでもやっている。過剰なサービスが当たり前な昨今に産み落とされたワンシーンワンカットの贅沢、その凛とした美しさ。

     例えば美術館で一枚の絵を見ていて、或いはリビングで一枚の写真を見ていて。その一枚に想いを巡らせる心地良さ、のような。

     クスクス笑う自分に気づかされたのは久しぶりだ。小さな共感を共有するささやかな幸せ、がここにある。

     

    共感:1人

     

  • 90点 居残る静けさ(1)

    2008年2月16日 to ONCE ダブリンの街角で

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     静かに終わったな、と想ったのだが…不思議な事にその静けさが未だ胸に居残っている。

     こうして瞼を閉じると、彼らの歌が僕の暮らしの上に降りて来るのを感じる。

     言葉を重ねるのではなくて、躰を重ねるのではなくて、心を重ねてゆく二人。名を持たぬ男女を通して描くソウルメイトの有り様がここにある。

     素晴らしい映画に出逢えた。

     

    共感:3人

     

  • 80点 お約束の時間はここにない(0)

    2008年1月19日 to 4分間のピアニスト

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    (C)2006 KORDES & KORDES FILM GMBH/SWR/BR/ARTE

     劇場にいた9割以上が予想したであろうクライマックスは訪れない。

     『北京ヴァイオリン』『コーラス』『ミュージック・オブ・ハート』『スウィングガールズ』…まぁなんでも良いのだけれど、それらと同じ福音を座布団を敷いて待っていたいなら他を当たった方がいい。

     完成(ラスト)に向けて丹念に作り上げて来た世界をぶち壊して生まれるものもあって良いのだ。

     それは芸術の持つ一つの側面だとも僕は想う。

     

     

  • 80点 巣食うもの(0)

    2006年11月23日 to 父親たちの星条旗

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    (C) 2006 Warner Bros. Entertainment Inc. and DreamWorks L.L.C.

     「戦争を語る人は本当の戦場を知らない人」この言葉は「戦地を知らない」を意味する言葉ではないと想った。戦地で見た胸の奥に巣食う愛憎の地獄絵を指す言葉ではなかったか。生還した3人、ドク、アイラ、レイニーは共に硫黄島にいた兵士だ。特にレイニーを見て想う。彼は戦地を知ってはいるもののそんな戦場を知らない、ある意味で幸せな男だ。一方アイラはどうか?とても印象的な描かれ方をされたよう想える彼だが、戦場を知ってしまったあまりにも不幸な男であった。アイラは語りたくなかった。例えばあなた母親が目の前で惨殺されたならあなたはその有様を語り続けるであろうか?…きっと戦場とはそんな所なのだろう。

     C.イーストウッドのオーソドックスな演出とP.ハギスの斬新な組み立てが相見える映画である。時系列が入り乱れるが、それは人の記憶のひらめくタイミングとよく似ていると僕などは感じた。焦点をフォーカス出来ずに物語を追わずとも良い、所々ピンボケて観るよりはそこにあるオーソドックスな絵を感じれば良い。それだけで充分に伝わる力は備えた作品である。この作品の何処に中心があるのかなんて考えるまでもない、そもそも戦争に中心なんてものはないのだから。

     

     

  • 80点 奏でる、踊る(0)

    2006年10月28日 to フラガール

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     蒼井優。彼女を見てるといつも未完だと感じるから不思議だ。どんなに素晴らしい映画に出ていても、どんなに胸打たれてもそう感じるほど、計り知れぬ器と底知れぬ美を秘めている。美しい人、そんな僕の概念さえも変えてゆく女優だ。

     だからこそエンドクレジットで彼女の名を頭に持ってこれない不自然さを感じた。岸部一徳の方言はラップのよう強く、フランス語のようにエレガントだった。富司純子は銭湯から上半身裸で帰っていたという炭鉱女の面影すら漂った。だが、どんなビッグネームもこの"主役”の取り巻きに過ぎない。

     他者を見てみよう。例えば豊川悦司は健闘していたと想う。が、松雪泰子は「from東京」を差っ引いても残念であった。見事なまでのダンスを披露しておきながら、その染み付いたであろう演技が邪魔をする。そこに加えアノ演出は僕を著しく引かせた。何故、自分に贈られた生徒の素晴らしいフラを言葉(口)にしてしまうのか。あそこで喋る必要は爪の先も無いのだ。ただ黙って生徒達の想い(フラ)を見せて欲しい。フラも手話も知らない僕でさえ十分に「聞こえて」いたのに。本作で最も残念な名場面だった。

     僕はフラのそのコスチュームに何のイヤラシさも感じない。しかしクライマックスのそのダンスには激しく感じた。生の躍動、性の謳歌を。生きる事とエロスは悦びを間に挟み常に隣り合わせであると云う事を。奏でるのが男の性、踊るのが女の性、フラから僕が感じた事だ。

     

     

  • 80点 吐く事も評価(0)

    2006年10月28日 to ユナイテッド93

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     飛行機が何機どの辺りにいて、東西南北どっから何処へ飛行していて、どんな高度でどんな危険が迫っているか…映画を観ていて僕はそのどれも完全に掌握しきれてはいない。現実にその時、あの管制塔にいた誰もその全てを把握していた人なんていないはずだ。それでもその再現(本作)を遠巻きに(映画館で)眺めていて僕は十二分に感じた。何かが、得体の知れない恐怖が迫っていると。

     だから犯人グループのお国の言葉に字幕がなくたっていいとさえ想った。会話を追えなくても、展開に置いてゆかれても、得体の知れない恐怖だけは僕の傍を離れずにいて…そんな映画を僕は観ていたのだと想う。

     本作のコピーには「4機の旅客機がハイジャックされた。3機はターゲットに到達。1機のみ到達せず」とあるが、少なくとも僕の観た映画は全くそんな映画ではなかった。愛国心もヒロイズムも達成感も、何一つ何処にもなかった。

     正義と悪をキレイに分け隔てた場所でこそ成立する国家がある。そんな国でこのような作品が作られた事にも小さな希望の光を見た想いがする。国と国、或いは宗教と宗教がどんなにいがみ合っていても、個人と個人のレベルでは手を差し伸ばし合える(優しさを分け合える)と信じたい…否、信じたくなった。そう信じたくなった、このパニック映画を観て。

     

     

  • 70点 魔球(0)

    2006年10月28日 to 出口のない海

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     そこに僕は放り込まれた。それもいきなりだ。そこは潜水艦の中、呼吸する度に酸素が目減りする艦は海中のただ中に息を潜めていて、まるで同乗しているかのように息が詰まった。昨今の戦争映画にみられる饒舌なエピローグは切り捨てられて、そんな導入部からも真摯に取り組もうとする作り手の想いはみてとれた。

     しかし泣けそうで泣けない映画である。その題材が題材だけにそうしよう(泣かせようと)想えば幾らでもやれただろう。だがそこを寸止めで演出するから胸にこびりつくのである、余計に。『男たちの大和』が公開されて僅かな間に本作が観れて良かった。YAMATOと云う映画に感じたある種の諦めに似た胸の違和感を、『出口のない海』は見事に沈めてくれた。

     てんで駄目な兵士が戦場で敵を射抜く興奮、戦場で追いつめられた隊が反撃に転じる興奮、絶対絶命の危機を救う助っ人が現れた興奮、取り残された兵士が孤軍奮闘する興奮、そんなものは本作には皆無である。実際敵は一度も見えなかったし、鮮血が飛び散る事もなかった。

     それでも十分に、伝えられるのだ。

     

     

  • 90点 それでも美しい(0)

    2006年10月1日 to 太陽

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    (C)2005ニコラ・フィルム、プロライン・フィルム、ダウンタウン・ピクチャーズ、MACTプロダクションズ、リフォルマ・フィルム

     冒頭からのクダリ(儀式的密室的日常描写)の、その後で。彼は外へ出ます。皇室の庭先で国鳥(鶴)が撫で回され、米兵はガムを噛みポケットに手は入れたまま、同じ席について彼が帽子を置いた机に総帥の帽子も置かれ、総帥はある時は彼の後ろから表情も見せずに問う。どうするのです、あなたは?と。

     そのようなものに始めから終いまでインパクトを受けました。静かなその描写に潜む圧倒的な力に、そして詩的な技術センスに。終始鳴らされたノイズのせいかも知れません。東京上空を徘徊する翼のついた魔物のセイかも知れません。

     僕はイッセーさんとは同じ方向を向いて共同作業のようなものをした事があります。安っぽい僕の人生をかけて敢えて云えば、彼は唯一無二の役者であり人物です。彼から漂う「間(ま)」がこの映画に叩き込まれていて、僕の直感もあながち間違いでもないと想うのでした。間?…否、それは「魔」のようなものであるかも知れません。

     悲しみに満ちた薄暗い映画です。底のない悲しみに濡れた喜劇です。それでも美しい。そう想えるのが、芸術の成せる魔法なのでしょうか?

     

    共感:1人

     

  • 80点 ドカドカドカ(0)

    2006年9月18日 to グエムル 漢江の怪物

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     エイリアンとその容姿が似ていなくはない。これはネタバレには当たらないであろう、何故って開始早々間もなくにグエムルは何の勿体もつけずにドカドカと現れ出て暴れてゆくのだから。

     しかし『エイリアン』(特にその1作目など)はSF映画に属するのに対し、本作『グエムル』は正真正銘の怪獣映画だ。ゴジラ、ガメラと云うよりは僕は大魔神に似た印象を持った。別にグエムルが悪に鉄槌を下す訳ではないのだけれど。

     それにしても怪獣映画は日本のオハコだったのではないか?或いはその後にハリウッドに持ち去られた娯楽ではなかったのか?…あー僕はこんなに楽しめる怪獣映画、見た事がない。こんな気取り屋の僕まで引きずり込むなんて。でもそもそも大人の為の怪獣映画って、無かった気もするが。

     この監督の叩きつける雨も健在である、素晴らしい、何と力漲る映像だろうか。また演出や展開が拡散するのはこの監督の売りである、大いに楽しんで頂きたい。僕が一番関心した事は、人が死ぬと云うリアリティである。繰り返すが、怪獣映画である。まぁ、でなくとも昨今の映画は誰が死にキャラで誰が生存するかは多くの観客の想う所に落ち着く。そんな固定観念を一度白紙に戻せるのだから、余計に見事だ。

     

     

  • 60点 残念な結果(0)

    2006年9月4日 to 親指さがし

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    (C)2006 映画「親指さがし」製作委員会

     原作を読んだ訳でもないし、特にホラー映画が好きな訳でもない。僕がこの映画を観たのは監督のクレジットを信じたからだ。熊澤尚人監督の長編処女作『ニライカナイからの手紙』は未だに僕の胸に居残る作品であり、その監督が臨んだホラー映画である事に期待せずにはいられなかった。ホラーであろうとオカルトであろうと、その向こうにはいたわりに似た何かが隠されているに違いないと踏んでいた。

     しかし僕が期待した熊澤作品の側面は無かった。それならそれで何か新しい物か、震え上がる何かを期待したが…それも感じられなかった。天井から落ちるどす黒い血、ペタペタと張り付く無数の手のひら、ドアを叩き割るオノ、躰が変に曲がった化け物の姿…それらは皆何処かでみたものだ。絵のトーンがクラシック調で美しいとは感じられたが。

     次回作には岩井俊二をプロデューサーに迎えた『虹の女神』があるらしいが、僕は熊澤監督には大いに期待している。

     

     


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