黄金のキツネ さん
男性
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2008年7月6日 to クライマーズ・ハイ
映画館で観て良かったと思います。
日航機墜落という大事件に立ち向かう地方新聞社の一同。社長から全権を任された悠木(堤真一さん)が日々の締め切り時刻に追われながら下す決断。彼の足を引っ張ろうとする上司たち。最前線の現場で苦労する記者やカメラマン。悠木の紙面作りに反発する社内部の他部門の責任者たちとの軋轢。ものすごい迫力です。
事件は現場のみならず新聞社内部でも派手に生じており、悠木の周りは全面戦争さながらの非常な緊迫感で満ち満ちています。それを役者陣が見事に演じ、ドラマを徹底的に盛り上げてくれます。主役悠木の堤真一さんはもちろん、遠藤憲一さん、でんでんさん、蛍雪次郎さんなどが印象に残りました。中でも野心もあり冷静さをも有する県警キャップ佐山を演じた堺雅人さんが一押しですね。もう、眼の力・眼の演技がすごい! また彼の記事の文面は感動的でした。
ただ、時々挿入される谷川岳のシーンや、悠木の家庭の事情などが、緊迫感のある流れに時々ブレーキをかけている気がしました。いっそのことこれらの大半はカットして、ドキュメンタリータッチで当時の時系列のままに描いてくれたなら、ずっと息を呑んで見続けられたように思います。また白河社長(山崎努)の描き方が薄っぺらい感じがしたのも惜しい点でした。
でもいい映画です。あの報道合戦の最中、クライマーズ・ハイに陥らなかった悠木の報道姿勢は、いろいろな感じ方はあるでしょうが報道人の良心だと思いました。
(なお「オークボレンセキ」という言葉が鑑賞中に分かりませんでした。1971年頃の大久保清連続殺人事件と連合赤軍事件の両者を指しているそうです。両事件とも小さい頃ニュースで知ってはいたんですが、二つの事件を連続した音で言われるとピンと来ませんでした。テロップでもいいから簡単な説明が欲しかったと思います。)
2008年7月5日 to 武士の一分
夫婦愛を描いた温かい作品でした。ユーモアも適度にあって、ときおりニコッとできたのも嬉しいところです。
それに主役の二人と中間役の笹野さんの演技は大変良かったですねぇ。おまけに木村拓哉さんの木刀の素振りはたいへん上手です。びっくりしました。あと、坂東三津五郎さんもさすがだと思いました。殺陣や歩くときの姿勢が決まっています。驚いたことにそれなりの高さから刀(竹光? 模造刀?)を持って飛び降りています。スローで再生してみましたがご自分で演技されてるようでした。このシーン、着地の場所やタイミングの取り方など難しそうです。木村さんも板東さんも、ずいぶん危険な撮影をこなすもんだなぁと感心しました。
あと他の方も指摘されてる細かな点(設定とか、CGとか)が気になりましたが、まぁいっか、と思いました。
2008年7月1日 to ザ・マジックアワー
辛口の感想になります。
声を立てて笑うところは確かにありました。ナイフをなめるシーンとか、「カーーット !!」のところとか。醤油の染みとか寺島進さんとの絡みも面白く思いました。しかし、その後が続きません。特にラストの収め方には本当にがっかりとさせられました。
もともと現実離れしたコメディです。いやコメディというものは、なにかしら現実離れしているのが大半なのかもしれません。でもその設定を観客は受け入れ、その上で登場人物たちの会話や行動、状況の変化に可笑しさを感じて笑うものだと思います。
しかしそこには大切な前提があるはずです。登場人物の性格や行動様式は、“その設定”の中では基本的に同一でなければなりません。もちろん劇中のでき事によってキャラが成長したり、ブチ切れたりすることもあるでしょうが、そうなるためには観客を十分に納得させる最低限のことは描かれていなければならないでしょう。
ですが、この作品。
ヒロインの突然の行動――理解できません。
「伝説」にもなっている殺し屋のリアクション――ありえません。
中盤には笑いがありましたが終盤はトーンダウンし、ラストはぜんぜん駄目でした。終盤以降のシナリオが明らかに失敗していると思います。
2008年6月25日 to 山桜
観るチャンスが幾度か急用で潰れてしまい、ようやく3週間たって観れました。
時代劇にしては珍しく女性が主人公です。本人にその気がなくとも、いわゆる運命のイタズラで幸せが薄かった野江(田中麗奈)が、徐々に自分の意思を自覚し、新しい運命に向かっていく物語です。淡々と穏やかにストーリーは進みますが、悩んでいる女性にとっては(そしてたぶん男性にとっても)、ある種の力を与えてくれそうな気がする映画です。
清々しい野江の実家の人たちがいます。品性をないがしろにすることのない父親(篠田三郎)、若々しい正義感を持ちながらも姉の野江を思いやる弟(北条隆博)、そしてなにより野江を温かく見守り励ます母親(壇ふみ)の存在。……いい家庭です。
羨ましく思います。その家庭で育った野江に、嫁ぎ先の下働きの人たちに対する配慮や、凛とした気品があったのは当然でしょう。この親にしてこの子あり、です。日頃の自分の父親としての行いを省みると頬が赤く染まってしまいます。
「あなたは回り道を……(以下ネタバレなので省略)……」、という壇ふみのセリフは、悩んでいる若者にとっては最高のエールです。子どもに対する親からの言葉として、これに勝る愛情と全幅の信頼を表した言葉はないと思います。何気ないシーンでしたが、とても感動的で、その温さに涙がにじみました。それだけの器量と大らかさを本当に持ちたいものだ、そしてそれを子どもに注がなければ、と思い知らされました。
ただ肝心の山桜の樹自体がそれほど堂々としたものではないことと、何よりもカメラアングルのせいでその山桜の梢の後方に、別の白い花の樹が見えているのが残念でした。なぜその後ろの樹を切り倒さなかったんでしょう。「悪りぃっ、ゴメン」、と言って地主には話をつければいいのに。たぶん噂に聞く黒澤明なら迷うことなくそうしたでしょうに。
しかし田中麗奈の演技、自分の芯を決して曲げずに凛としている姿は、女性の美しさの一つの側面を見事に表現していましたし、終盤のわずかな出演でしたが富司純子もすばらしかったと思います。
そして手塚弥一郎役の東山紀之さん。眼差しの演技と殺陣は掛け値なしに見事です。とくに殺陣は今までの藤沢周平の時代劇では、『たそがれ清兵衛』の真田においてすら、小刀と大刀との間合いに違和感があって絶賛はできなかったのですが、本作ではたいへん感激しました。無駄な動きがなく、かつ様式美を保ったという点で絶賛に値する見事なものでした。
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2008年6月23日 to イノセンス
4年前、「映像の凄さ」という評判を確かめたくて劇場に行き、期待以上の映像を体験しました。スクリーンの全面にわたって刻々と動いていく細密画はたいへん見事だったと今でも思います。でも映画自体はつまらないものでした。
しかし懲りもせず映像に惹かれて2度目の鑑賞に出かけました。映像は相変わらず綺麗で緻密でしたが、もはや映像自体に感激はすることはできませんでした。どうやら映像の美しさとか緻密さというものは、それだけではすぐに「慣れ」が生じてしまうものだということを、この作品は教えてくれたようです。
世の中には繰り返される「鑑賞」、あるいは「評価」というシビアな「篩(ふるい)」によってもなお残り続け、多くの人々を感動させる芸術作品があります。しかしこの映画はそれらとはどこかが決定的に違うことに気づかされました。
そして思い浮かべのは土門拳記念館での強い衝撃でした。土門が、彼の全存在をかけて撮った作品の数々。真摯に対象を見つめ、その本質だけを捉え、それを一瞬のシャッターの中に表現することにより「永遠なるもの」をとどめたその才能とその芸術家としての姿勢の高さ。否応なしに心に迫ってくる作品の数々を前にして、わたしは茫然自失し感動を覚えたものです。
また絵画や彫刻の分野においても、同様の作品を思い浮かべました。魂が心底から揺り動かされるそれらの作品からは、常人には達っし得ない「極致」と呼ばれる美の真髄を感じ取ることができます。見るたびごとに何度も感動し、時代を超えても多くの人々から賞賛を浴び続ける「なにか」です。
それに反してこの作品には、残念なことにたった二回目の鑑賞でも色あせてしまう映像しかなかったようです。
魅力的なキャラクターはいます。ですが彼らに押井は自らの感情や言葉を託すことをしないのです。語られるのは、ただ先哲たちの言葉や格言だけです。
押井にも描きたいテーマがあり、プロットがあり、映像があったのでしょう。しかしテーマに関わる部分になればなるほど、キャラクターたちの動きはぎこちなくなります。押井は彼らを自在に動かすことができず、既成の言葉に頼ってキャラクターたちを飾るだけなのです。なんと歯がゆく、情けないことなのでしょう。
創作する立場、すなわちクリエイターとして自らの姿勢を表現したいのなら、対象、とくに、“人間と真摯に向き合う姿勢”は、絶対に避けては通れません。キャラクターへ没入することにより彼らの考え、感情、心情、人間性を理解することがまず第一歩でしょう。そしてその理解の上で作品全体を俯瞰しながら、理性的にキャラクターたちを作品の構成要素として表現していく作業が必要なのだと思います。これらの過程のどれか一つでも不十分ならば、多くの人々を感動させる作品には結びつかないように思います。
押井はキャラクターたちの正面には立ってはいません。彼らへ一定の距離以内に近づこうともしません。押井は彼らを単なる“駒”としてしか見ておらず、深く関わろうともしません。借り物キャラのためなのか、彼らへの熱い思いは感じられず、彼らの中に押井自身の悩みや感情を投影することもありません。ですから劇中の表現で観客が心を動かすことはできません。テーマにかかわる部分になるとますますその傾向が顕著となり、主役ですら音声を垂れ流す単なるスピーカーと成り果ててしまっています。
描く対象に正面きって対峙することのない姿勢が押井の基本的スタンスです。彼がキャラクターたちと離れた位置に居座り続けている限り、彼の作品に今以上の芸術性、あるいは精神性を期待するのは無理だと思います。彼がその姿勢を変えない限り、映像の分野で目を見張ることはあったとしても、今後の作品は過去の焼き直しのレベルにとどまらざるを得ないでしょうし、感動することもないでしょう。
(採点は映像で20点。エンドロールのFollow Meで30点のトータル50点。まあ、ごちゃごちゃ言いながらも、GHOST IN THE SHELL Ver2に期待しちゃうんだよなぁ。)
2008年6月18日 to シザーハンズ
深く印象に残る映画です。
異形ではあっても臆病で純情な主人公エドワードがいます。優しい性格のペグやその家族がいて、そして周囲にはどこにでもいるような人たちがいます。でも結局は、エドワードのことを好奇の目では見つめても地域社会の住人としては認めなかった方々なのですが……。
そこで描かれるエドワードの恋のゆくえ、そして社会との不器用な関わりを観ていると、何か手助けしてあげたい、見守っていてあげたい、という気持ちになります。ヨチヨチ歩きを始めた幼子を見ているような感情です。それだけエドワードが繊細で傷つきやすい人物に描かれているからなのでしょう。
エドワードは社会の中に入って初めて恋をし、そしてまた嫉妬も覚えてしまいます。物ごとの表と裏を経験するわけです。また拾った物をどう取り扱ったらよいのかという質問に、世間知らずの彼はただ自分の思いに忠実に答えるだけです。しかしペグの小さな息子はきちんと答えます。このシーンは何気ないのですが、私はハッとさせられました。人は社会の規範を躾けや教育を通して身につけていきますが、その学ぶ過程の裏側では、人は生まれながら具わっていた大切なものの一部を、いわゆる純粋さと呼ばれるものの一部を意識せずに失っていくのかもしれません。
ある物事について、その表裏を学ぶことは、その人の糧となります。規範を学ぶことも社会から望まれるものです。これらの過程は「成長」と呼ばれ、本来は祝福されるべきものです。そのときには捨て去られてしまった大切なものも、蝉が空を飛ぶために脱ぎ去った抜け殻のように顧みる必要すら感じないでしょう。
しかし意に反して糧のはずのものが毒となり、脱皮に失敗する人もいることでしょう。不安が生まれ、それが不本意にも大きく育ってしまえば切ない悲しいでき事が生まれてしまいます。ちょうどこの映画のように……。
実はこの映画を再見するつもりになったのは、『アルジャーノンに花束を』を観たことが直接の原因でした。その主人公であるチャーリーと、本作のエドワードの間に、何かしら共通するものを感じたからです。ふたりは一般社会にようやくデビューはしたものの、混乱し、動揺し、煩悶してしまいます。しかしそれでもふたりに最後まで残っていた“無垢なるもの”はたいへん素晴らしく貴重なものでした。
チャーリーやエドワードの物語に感激してしまうのは、我々がいつの間にか手放してしまったこの大切なものについて無意識に知っているからでしょうし、そして同時にこれからは決してその大切なものを失いたくはない、という強い思いが湧き上がってくるからなのでしょう。
いい作品だと思います。無垢なるものを詩のように美しくそして切なく謳いあげ、絵本のようにかわいらしく描いた作品でした。
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2008年6月7日 to 二百三高地
日露戦争開戦の100周年目だから一度ぐらいは観ておこうかと軽い気持ちで4年前に観て、頭を殴られるくらいの衝撃を受けた作品です。ポーツマス条約というこの戦争の結末は歴史の授業で知っていましたが、その内実のひとつである旅順要塞攻略戦の凄まじさが、これほどのものだったとは……。
これほど多くの日本人の血が流れた映画はかつて観たことがなく、これほど白兵戦のむごたらしさを感じた映画もかつてなく、そしてこれほど拙劣な作戦指導に憤ったこともありませんでした。そして小賀中尉(あおい輝彦)の変貌ぶりと戦後の人々のたたずまいに涙したものです。
日露戦争については教科書半ページほどしか知らなかったので、その後いろいろと調べ、そして最近また観直しました。感想は4年前と殆ど変わりありません。やはり凄まじい映画です。
日本と帝政ロシアとの国力・軍事力の差。それを知りつつ児玉大将(丹波哲郎)が伊藤博文(森繁久弥)に開戦を迫る迫力。その伊藤が金子子爵(天地茂)にルーズベルトを介しての講和を依頼するときの必死さ。そして旅順攻略戦の終盤での乃木と児玉の会話の身を挺した凄み。国家・戦争指導層においても恐ろしいまでの迫力があります。
そして実際に戦闘をせざるを得なかった者たち、小賀中尉の苦悩、そして兵卒たちの悲惨さは目に余ります。中でもロシア要塞直下の壕に落ち込んだ日本兵の末路は凄惨そのものでした。(当時CGがあれば、プライベート・ライアンを凌駕する絵になっていたように思います。)
また銃後の人達の悲しみ、延々と続く葬列、乃木の自宅への抗議行動など明治の日本人を重層的に描いた傑作だと思います。ロシア側の名将コンドラチェンコもきちんと描いたことも高く評価できます。
明治時代、先人達が各々のレベルで日本を築き上げたその苦労と覚悟に、本当に頭が下がる思いがした映画でした。
蛇足ですけれど、映画自体は司馬史観に沿った形で、乃木大将や伊地知参謀長を愚将扱いして児玉の神懸かり的な作戦指導をかなり誇張しています。この点だけは4年前と違って今は賛成できません。当時の世界の軍事常識を調べた後では、乃木や伊地知の攻撃方針、とくに劇中で乃木が語る「正攻法」こそが真の決定打だった、今は理解しています。
そしてこれも蛇足ですが、夏目雅子さんはずいぶん綺麗な人だったんですねぇ。惜しいなぁ。
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2008年5月27日 to アルジャーノンに花束を
再読することがためらわれる小説がある。以前読んだときと同じ感動を再び味わえるだろうか、というかすかな怖れが心の底に生じてしまうからだ。この映画の原作がそういった小説のひとつで、ずっと大切にしていた。そのため手元に本作のソフトはあっても、なかな観る気にはなれないでいた。
それでも昨日ようやく観た。知的障害者のウェイターを主人公が手助けしてあげる箇所や、恋人に自宅でコーヒーを振舞う場面など、心に響いた箇所があってとても嬉しかった。他人のことを思いやるチャーリーの温かさ、そして自分のたどる運命に恋人を巻き込ませたくはない、という悲しい決意に胸を打たれた。
しかし……、やはり原作には遠く及ばない。主演のクリフ・ロバートソンがオスカーの主演男優賞を獲った作品であってもだ。原作は、「それほど」の原作なのだ、と改めて思った。
一番残念だったのは、原作のラストの、「あの一行の文」の取り扱いだった。あのたった一行のインパクトは、高校2年だった私にとってはとてつもなく大きなものだった。なにしろに初めて本を読んで泣いてしまったのだから。でも、おそらく多くの人も似たような経験をしたのではないだろうか。
日本では舞台化もされ、ユースケ・サンタマリア主演でドラマにもなった。またカナダや韓国でもTVMとなったと聞いている。今後も名作として世代を越えて読み継がれる本であろうし、20世紀の古典として末永く記憶される作品であることは間違いない。
だからどうしても夢を見てしまう。エドワード・ノートンあたりを主演に据えて、現代風にリメイクしてくれないかなぁ、と。主人公の家族への複雑な想いも省略せずに。そうしたら、『ベン・ハー』や『ローマの休日』のように、いついつまでも語り継がれる傑作が新たに生まれるような気がする。
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2008年5月27日 to GONIN
食い詰めた者たちが暴力団を相手とする犯罪映画で、物語に大きな起伏はない。犯行前、犯行中、そしてその後が、5人の犯行グループと二人の殺し屋の動きを中心に淡々と描かれているだけである。登場人物の造形も、竹中直人演じるサラリーマンにだけ特殊性はあるものの、それ以外は既存の人物像から大きくはみ出しているわけでもなかった。
それでもこの映画には魅力がある。ひとりひとりの俳優たちが、その役を演じていながら、その役に埋没することには満足せず、自らの個性そのものを、「これでもかあっっ!」、っていうくらい主張している。そのさまを、そのさまこそを堪能する映画のように思えた。この作品の魅力は、ストーリーよりも演じる俳優たちにあるのだ。
役者の中で特に印象深かったのは根津甚八とビートたけしの二人。根津は刑事崩れの犯罪者を演じていたが、根津は根津以外の誰でもなく、たけしも同様に個性的な殺し屋を演じながら、ビートたけしという存在を十二分に主張していた。そしてこの二人にはわずかに及ばないが、佐藤浩一、本木雅弘の二人も、個性と魅力を存分に表現していたと思う。
ひとり、キャストの中で竹中直人だけは特殊だった。初めのうちはいつもの竹中だよなぁと思っていたのだが、彼の自宅でのシーンには舌を巻いてしまった。彼独特のユーモラスな個性は完全に消え、背筋が凍る不気味な役柄だけが前面に出ていた。「演じる」と言うことの深さを改めて思い知らされた気がする。
犯罪絡みのバイオレンス映画は嫌いなのですが、頭っから否定はできない映画でした。
2008年5月21日 to 最高の人生の見つけ方
二人の豪遊には声を出して笑いました。とくにスカイダイビングとムスタングのカーレースは最高でした。でも二人が自宅に戻ったとき、孤独に涙する者と温かい家族に包まれる者とを観て、昨年読んだ「星の王子さま」のことを思い出しました。
そこに登場するキツネは王子さまは次のように言っていました。
「ほんとうに大切なものは目に見えない」
この言葉の意味は昨年になってようやく理解できたのですが、この言葉を本作に当てはめれば、
「ほんとうに大切なものは目にも見えず、お金でも買えない」
ってことになるんでしょう。
エドワード(ニコルソン)の教会でのスピーチや世界一の美女とのキスは、彼もそのことに気がついたことを示していました。この二つのシーンでしんみりとしてしまい、胸が熱くなりました。逆説的かもしれませんが、ガンになっても二人は幸せだったんだと思います。
すっとぼけながらも極めて有能だった秘書トーマス役のショーン・ヘイズもおいしい役どころで、要所要所でいい味を出していました。ラストのオチも、「そうきたかあ!」って感じで、たいへん気に入りました。いい映画です。
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